2011年7月18日月曜日

日差しにご用心

慧海の肌は白い方である
昔から夏の日差しにあたっては、赤くなって、痛い思いをした
赤みが引いた頃には皮がむけて、また白くなる…

そんな感じで焼けた肌とは縁遠い生活だったのだが、
休職した際に、家でちょっと焼いてみたりしてみた
5,6月の天気のいい日に、1~2時間日にあたるだけで、
もう日焼け状態で肌が赤くなる
時間が短いので、痛くはならないが、赤い
赤みが引いた頃…一度目の脱皮をした頃にまた日にあたる
また日焼けする
今度は1日ちょっとで赤みが引き、脱皮しない
また日に焼く…
そうこうしていると、ちょっとは黒くなる

この状態にして、やっと休日や夏休みに海やらプールやらにいける
それでも肌はいたくなるので、ラッシュガードは着たりはするが、
基礎ができてないと、火傷状態になってしまうのだ

子供を海やらプールやらの夏休み遊びをさせるには、
父親として努力もしないといかんのだw


夏の日差しですらそうなんだから、心の問題なんてもっと大変だ

部署異動やプロジェクト参加すると、ガンガンに照らしてくるリーダがいる
元々日差しに強いやつはいいが、日差しに弱いやつは火傷する
近寄られるだけで、暑いし痛い
日陰に逃げ込みたくても、日差しを止められるだけの器がなければ
日陰を作る事ができないのだから、日陰があるとは限らない
照らす側からみれば、日陰ができるのは嫌だろうしねぇ

そして、日に焼かれて黒くなっていったものは、強いやつ
日差しから逃げ出した白いやつは弱いやつ
日差しの下で日陰を作れるやつは… 危険人物

そういうことになるのだろう

少しずつ日差しに慣らさせてあければ、誰でも日差し慣れできるのに
社会においては、そういう事はしないんだよね

メンタル疾患がある人だけは、そういう生活をする
メンタル的色白だと認識できている人だけが、そういう生活をする
気づいていないと、炎天下にさらされて火傷して寝込むことになる

自然な生活を営みたければ、自分の弱さと自然の強さを知ってないとね

OLの大半が日傘をさすようになった。それも黒いやつを。
サラリーマンは日傘をさすことはないが、昔の紳士のように
帽子をかぶる事はできる
キャップをかぶった私服の人は多いが、Yシャツにハットは少ない

しかし、意識をしてみると、ハットをかぶったノータイのサラリーマンが
ごくまれに見つかるし、初老の紳士もみつかる
今年はコレだ!

お客さん先に麦藁帽をかぶっていくことはまだできないが、
エコ対策でこれから増えるんじゃないだろうか
ノータイのサラリーマン比率が今年は格段に増えているのと一緒だ

強い日差しに対して、自らガードしていくしかないのだ
それは、今よりも昔の知恵が生きているような気がする慧海であった

2011年7月10日日曜日

新盆

今日はちょっと早いけど義父の新盆法要を行った
仏壇もかったし、家で一度くらいお経を頂こうということで
住職に来ていただいた

この暑い中、着物で自転車のって来ていただいたよw

普通に正信偈と和讃のセット あとは雑談
決して法話と言えるものではない
本当にただの雑談だった

そんな雑談しかしてないが、お寺は14ランクのうちの4ランク目という
それなりに高いランクのお寺だったらしい
埼玉では2つしかない門主が来た寺という事だが、
当時の門主は今の東本願寺派の人だから… という話をしていた
Wikipedia で読んだことがあるが… 歴史だね~w


他は、友人Sが入院するとかで、見舞い用アニメのエンコしたり、
プールや屋上で夏休み対策で、日焼けしたりと、なんでもない
終末をすごしました とさ

2011年7月5日火曜日

宮城谷昌光氏の本

慧海は宮城谷昌光氏の中国本が好きである

中国古典の頃の話がおおく、名君や賢人等偉人の話だが、
偉人が偉人すぎなくてよい
上司や同僚、部下に苦しむサラリーマンのような
偉人の苦悩を描いているのがよい

病んだ時、本が読めなくなった
復職期には、仏書以外の本を殆どよまず
夢とか欲とか名誉の話が嫌になっていた
宮城谷氏の本も、お気に入りのARIAというマンガも
手に取ることができなかった
夢とかで表現する欲求行動がうんざりだった

元気になって、佛教勉強も進み、欲とかの煩悩との付き合いを
すこしずつわかりはじめてやっと宮城谷氏の本を再びとることができた

そして、先日読んだ本を読んでて気づいた
氏の本にでる偉人達の多くは、大事なところで

天に問う
天に任せる
天に従う
天をみる

ということをする
氏の書く偉人達はどこか我を離れたところがある
苦境に立っても天の采配や天の試練となるし、
私と天と先祖・国の問題として物事を捉える表現が多い

氏の中では老子の世界観か、日本人がもつ神道・佛教感なのかはわからないが
慧海には佛お任せしつつ、世間をちゃんと生きる人の例に感じた

昇進はしたい
給料は多く欲しい(領地は欲しい)
体調を壊すほどの仕事や嫌だ(戦で死にたくない)
あれや、これやと思い通りに物事をすすめたい
等などありつつ、

な~に天がみている
行いが天にあわなければ、物事がすすまないし、
天にあえば、そのようになっていくだろう

と、どこか結果をほっぽりだしているのだ

やるべき事はやる
やらねばならないと思うことを提案してやる
出来る限り頑張ってやる

それでどうかは、天のみぞしる

そんな感じのただ楽しく読んでいた、宮城谷昌光氏の本が
慧海の中で違う姿として映り始めた…
やっと、憧れもうんざりさも感じずによめるようになった気がする

時間つくって、もう一度読み直してみようかな
読めてなかった言葉が読めるようになっているかもしれないw

2011年7月3日日曜日

門徒講座6

定例の門徒講座に今回も出席

今回は最澄の話
天台の話とか、比叡山の話とか千日回峰行のルートをみてきた
という話をしつつ、一切衆生悉有仏性 という事の話があった

あとは、最近住職がお気に入りの言葉
「雑行を捨てて本願に帰す」の逆「本願を捨てて雑行に帰す」
ということを千日回峰行の話をしつつ、雑行がしたいんだよ
と話していた

ふと家に帰る頃思った

親鸞は雑行をしてたから捨てるという選択肢があった
釈尊だって苦行をしてたから、苦行を捨てられた

僕らは捨てるべき雑行をしらず、頭で本願に帰すと考え
雑行は必要ない無駄なものと決めて考えているような気がする
慧海は雑行と言えるかわからないが、本願よりも雑行の類に
集中している・・・そもそも本願ということがわかっちゃいない

本願を捨てて雑行に帰す・・・ 東大で真宗の坊さんが言った言葉らしいが
彼や住職は捨てるような雑行を行っていたのだろうか?
佛に遇いたくて、雑行をして・・・無我になんてなれないし、煩悩も消えない
そんな現実から佛にお任せするしかない となるんじゃないのかなぁ~

これこれはこうである
だって、お経にこう書いてあるから

住職はよく、こういう言い方をする
どういう考えでこの言葉をつかうのかは知らないが
慧海は好きな表現ではない

お経にある言葉をただ読んでもわからない
苦悩等の経験があると、なんとなくわかった気になれる
そんな経験は内観やら瞑想やら空念仏やらの、
雑行がないとわからないのかもしれない

2011年7月2日土曜日

携帯とPSPとWindowsスレート

友人「G猫氏」からPSPを借りた
故障っぽいので、新しく買ったのだが故障してなかったらしく、
モンハン2Gまたは3をやる という条件でお借りした

早速、中古ソフト屋に行って、ソフトチェック
2Gの廉価版の中古がとても安く入手できた
ついでに、やってみたかったがPSPがなかったので手をださなかった
ゲームもあったので衝動買いw

まだ動かしてはいないが、10年以上ぶりにゲームにはまりたい気分だ


昔はPCゲーム、PCエンジン、PS等でRPGを中心にゲーム楽しんでいたのだが
最近は、ゲームをする時間がなかなかつくれず、数年前にPS2を友人S君から
返却日未定でお借りしたのだが、ソフトはかったもののクリアどころか
封さえきってないソフトばかりになってしまった

テレビつけて、部屋でじっくりゲームという環境作りが難しいのだ


病んだ際に元アニメオタだった慧海は、再度アニメオタの道に戻った
復職の際に家での視聴時間が作れない事と、会社に行く事の抵抗感を
払拭する為、スマートフォンW-ZERO3での通勤視聴を始めた
それ以来、通勤視聴が日課であり、出社しないと視聴残が出る状態になった

PSPが出たとき、ゲーム機持ち歩いてまでゲームなんかすんのか?
と思ったが、DS Lite が出た頃には家もDSをかった
子供たちがDSを持ち寄って遊ぶのをみて、ゲーム機が
外に持ち出せる別の価値を理解した気になった


昨日、会社から携帯を貸与された
節電対策で、直行直帰日ができたりで会社にいられなくなる
その分、携帯を貸与し、外でも電話対応ができるようにということらしい
家電話から携帯電話になり、iモードで通信端末となった
そしてiPhoneやAndroidで一般化したスマートフォン、そして
iPadやAndroidタブレットで、モバイルPCからスマートデバイスになって
つねにPCを携帯していくウェアラブルとかユビキタスとか言われたものが
どうも実現していっているようだ

PCではなく、iPadやAndroidを使いたくなるポイントは、
起動の待ち時間がないことだろうと思う

携帯でネットにつながる感覚になれた人は
ちょっとWebサイトを見ようと思って、
PCを立ち上げるのが面倒なのだろう

思ったときにちょろっと使える
携帯よりも大きな画面で、使いたいソフトも動いて…

実際にPSPが自分の手元にきて思ったのは、
iPadが手元にあるのと同じ感覚だということ


思いつきを即行動にうつしたい欲求に即答えられる姿が
今の携帯電話でありPSPでありスマートデバイスなんだろうね

PCを使っているときにスマートデバイスは使わない
スマートデバイスでがっつり文字を打ったりしない

じゃ、WindowsOSでスマートデバイスはどうよ ってことで
先日までの1週間ほど、Windows7のスレートを借りてみた
ソフトキーボードはやっぱり使いにくいが、操作慣れはしているので
他OSよりはよい
USBキーボードとかをさせば即通常のPCと同様の操作になるのでガッツリ
文字も対応できない訳ではないな
BlueToothキーボードでも良いけど、接続やら充電やらを考えると
サクっとUSB挿す方がいいかと思う

で、即時に欲求に答えられるか と言う点で電源まわりをみると
スタンバイにしておけば起動の待ちはないものの、ランプが点灯してたりで
なんか気になる。スタンバイ中は1時間で1%ほどの消費なので、100時間は
持つことにはなるだろうから、スタンバイでもなんとかなりそうだ
一時停止だと起動に20秒弱 まてなくはないが、ちょっと面倒

Windows8でもARM対応で低電圧対応はされるだろうが、
起動周りは変わらないらしいとうわさされている

慧海が使いたいソフト仕様は、PCでなら無償提供で安定稼動しているが
他OSでは、イマイチな対応状況だ
実際、Windowsスレートで遊んでみたが、PCよりお手軽で、スマフォより
見やすく動きがよく、使いたいソフトが使えるのが実によい
タッチ操作対応がイマイチではあるが、設定である程度はよくなる
今後タッチ操作をするデバイスが増えてくれば、対応してくれるだろう
あれやこれやと、欲しくなるねぇw


今の世の中は欲求で動いている
欲求を口にできなければ、ダメだしされる

携帯もポータブルゲーム機もスマートデバイスも、とても便利だ

個を立てて、他とつなぐ

そういうスタイルなんだよね

伝言はいらない
みんなでサイコロも振らない
だれかに相談しない

このまま便利になっていくと、どういう世界になるのかね~w?