2011年9月25日日曜日

親父の帰敬式

お彼岸のお中日は、色々とあるだろう ってことで
今年は日曜の25日が帰敬式の日となった

つ~こって、親父が帰敬式するんでいってきた
慧海の時は彼岸会とあわせてたからか、他の人がいたが、
今回はうちの家族だけが見学者だった

慧海は見学者のつもりだったのだが…
スタッフジャンパー渡され、世話人帯袈裟して写真係をやることになった

きいてないよ~~w

でもCANONの一眼レフいじれてよかったよ
18-50ってレンズがついていた 35mm換算の数字かなぁ?
18って、もっと魚眼になったような気がするんだが…

帰敬式自体は、慧海の時と内容はかわらない
住職の法話が慧海の時よりよくなっていた事だけが違うw

帰敬式をして、今後の過ごし方とか、ご縁という事とかについての話があった
これは慧海もきいた

「人事を尽くして天命を待つ」は諦め心ではなく、
「天命を待って人事を尽くす」と読み換え、出来ることをしっかりやろう
ということだ なんて話をしていた
こういう話が昔はなかったんだが…
お寺に坊さんが増えて4人になったからか、
住職として法話の方も頑張っているようであるw


慧海は檀家の主ではないので、お寺に連絡先が登録されていない
実家にいないので、今回、連絡先を別途渡す事になった
報恩講の準備に関する連絡等があるからだそうだ
ビデオを取るのが当日のお仕事らしいw

連絡先書いている時に、今度、本山の研修に一緒に行こうと誘われた
住職と、Iさんとが行くらしいが、休みをとれるなら慧海も行こうと

本山の研修ってなにするんだろう~
ちょっと行ってみたい気もする
京都まで安くないけどね

でも、動画をDLできる環境はもっていたいよなぁ~
本山でそういうことしてていいのか??

Windows7スレートが750gになってきたし…買っちゃうか?w

まぁ来週の勉強会やら、報恩講の後の飲み会やらできいてみっかな
得度についても、どういう下準備が必要かもきいてみよっかな~w

2011年9月23日金曜日

ダラダラと気づいた事の記録

今回の台風で、同僚の多くが深夜帰宅となったらしい
慧海は、上司が早退OKをだした時点でとっとと出た
それでもJRは全滅した後だが、まだ地下鉄が生きていたので、
地下鉄を乗り継いで地元付近まできて、家内に車をだしてもらって
普通に帰宅するような時間には家に着くことができた

帰れるようになるまで、会社で待っている事が慧海は耐えられない
地震による帰宅難民化と、その後の計画停電等で家を心配しつつ、
会社にいる事に苦しさを感じるようになってしまった

家の心配がなくても、仕事したくないんだけどねw


あ、23日だから、帰敬してちょうど丸4年目だ
そんな不真面目社員の慧海は、自律神経不調な感じになるだけで
逃げ出したい感情がわんさかでてくる
仕事をしたくない、サボりたい、とっとと家に帰ってしまいたい と・・・

でも心が逃げたいと言うからといって、実際にそれから逃げてしまうと、
体もそれに反応して不調になってきてしまう
逃げちゃいけないってどっかで思っているからなのだろう

だからといって、「逃げちゃダメだ」とどこぞやの人型決戦兵器に
乗せられるアニメ主人公のように心にいいきかようとすれば、
今度は心だけが逃げてしまい、その場にいて現実をみなくなる

つまり、心が逃げたらどっちにしろダメなんだろう


じゃ、逃げたくなったらどうするか
逃げずに耐えて、思いから「離れられる」ようにする
ということなのだそうだ
そのあたりを知りたい人は、亭主師の記事を片っ端から読んでみて欲しい


慧海はどうしているかをココに記録しておこう

1.まずは「止まる」
  
2.次に、逃げたい心の声を、じ~っと聞く。
  逃げようとして、体がそわそわしている感覚を感じたりする
  ただ、聞くだけで、ただ、感じるだけ
  ラジオをきくかのように止まって聞きつづける
  声を聞いて何か思うことがあったらソレも聞く
  心の声に反応して、思考したり行動したりしないようにする
  ただただ止まって聞くだけ

3.逃げたい衝動がおとなしくなってくるので、
  普通に活動をはじめる
  ただ聞くことができていないと、衝動が繰り返される
  思考がつづいてしまうのであれば、腹式呼吸をしながら念仏する
  腹式呼吸だけじゃなく、散歩も頭がおとなしくなるので良い


ちなみに、逃げたサボリと、休憩は別だ

体調・精神状態を見て、適度に休憩は必要だ
正規のルールにのっとって、ちゃんと休息をとるのだ
感情に流されての行動かどうか が違いだと思っている


そんな感じで、すごしてきた
で、今回、面倒な仕事をしてて気づいた
腹がたって、どうやって負かせてやろうか、ぶん殴ってやろうかと、
頭の中が大騒ぎしているのに…なんか苦しくない

燃え盛る炎の中から抜け出ているとは、この感覚か?

頭の中は実に騒がしい
それを唯聞いている

あまりにもうるさくて眠れそうにないので、
仏壇の前に坐って蝋燭をながめつつ、出てくる思いをじっくりききはじめた
その下に隠れている自分が正しいと思っている感情がでてきたので、
全部を御任せするように、無責任に捨て去った
そうしたら、頭の中のうるささがおさまって、ちゃんと眠る事ができた


さらに気づいた事
晩酌を欠かさなかった慧海が、今日は酒はいらないという思いが
でてくるようになった事だ

二日酔いだった日は飲まないというのはあったがそれとも違う
今日は烏龍茶でとか、ペプシドライでとか、炭酸水でとか…
飲んでも、350缶一本であとはお茶でよくなったり…

もちろん、飲みたければ飲む
休肝日とか禁酒、節酒とかを考えているのではない
酒が欲しいと感じないから飲まないだけなのだ

こういった事も、亭主師の記事の中にあったが…
慧海にはそういう事は無いだろうと思っていたので、不思議な感じだ
これが一過性のもので、また飲まずにいられないかもしれないが…

2011年9月18日日曜日

早いけど、5年目の慧海

23日が、慧海になった日
数日早いけど、慧海誕生記念記事

もう既に思ってることは書いてみた
なので、ブログのデザインを変えたり、言葉をかえるただけ

25日は、親父が帰敬式を受ける
爾今(じこん) という法名だそうだ
今から、これから という言葉で
自然法爾の爾 と 今 だ

慧海にとって帰敬式は世捨ての儀式的な意味があった
そして、鬱にならない生き方の探索の始まりであった
親父は何を思って帰敬するのかは知らない
息子である慧海が先に帰敬したのは何か関係があるのかも知らない

慧海は、このまま世捨て感が強まれば、得度の道に寄っていくだろう
それと平行して、産業カウンセラーへの関心も高まっていくだろう
お金に余裕があれば、得度もするし、産業カウンセラーの資格も取るだろう

慧海にとって、これが背中合わせの同じ道に感じるからだ
もちろん慧海が何かをわかるまでは、どちらもない 

となると、まだまだ先の話ということになるのかな?w

これも、御任せってことだよね

南無阿弥陀仏

2011年9月17日土曜日

通院日

先週から入った、大きな案件の小さな障害対応は…
予想以上にひどい状況だった

体裁を保つために出来もしないのに、いつまでにやると報告し
当然できないから、どうなっているのか とお叱りをうける
お叱りをうけるから、また嘘をつく
もちろん本人達は嘘を言っている認識がないのだ
できないとダメだからその日までにやるんだ なんて理屈らしい
まるで子供のようなやり取りが1年以上続いているらしい

出来るといっちゃったから、なんとかしてできる方法を探す必要もある
負い目があるから、無理も断れない
そんな感じで、仕事を増やしては忙しい状態になっている

この一週間、頭の中が大騒ぎしているのがよく見える

自分で出来る事をして、少しでも早く終わらせよう なんて思って
やりだすと、自分の考えが正しいという思いが強く出てくる
そうすると、自分の考えとの差異に腹が立つ
無駄な仕事だったり、目的がずれていたり…

で、結局、僕の考えをすてて作業をするのだ
作業目的を理解できていないから、アウトプットには手直しが入る

助っ人に入れといわれたが、邪魔してるんだけなんじゃないだろうか?

なんて疑問もでてくる

まぁこういう話はよくある
病気になる前の派遣になっていた時もそんな雰囲気だった
今は、その時と違って感情に押しつぶされる事はないが、
やっぱり思いが湧き出てくるし、ストレス0とはいかない

実に勉強になる状況だ

これで思いに潰れなければ、本当に何があっても大丈夫なんじゃないか
って気がする


そんな風にかんじつつ、薬がなくなったので、病院に行ってきた

潰れた時の予防線で、主治医には話しをしておいた

そんな主治医からのアドバイスが…

必ず誰かがちゃんと見てるから
人ではなく、神とか天とかいうものかもしれないけど、
そういうものが見ているということを意識して、堂々としっかりやりなさい

という事だった

実に以外な言葉だ
心理学も西洋のだから根底に宗教があるものだと理解はしていたが、
医者が宗教的なことをいうとは思っていなかったのだ

その後に、拗ねたり、いじけたりしていれば、それが顔にでる
天に顔向けできない顔になってはよくないよ とも言っていた
まるで、宮城谷昌光の小説のような表現じゃないかw

心が逃げると、身体も逃げだしてくる
心と体が逃げているのに、その場に縛られると狂う という事は
慧海も体験的に理解している
そして、天やら佛やらが慧海をみている という事も…

主治医の言葉は思ってもいなかった言葉だったが、
鬱病に潰れない生き方として慧海の学んできた事、やってきたことは、
メンタルヘルスの考え方として間違っていなかった

そういう安堵があった

面倒な仕事はまだまだ続くが、心が騒がしいこの機会に、
もう少し佛様がみてる…佛様にどうみられている
を感じる事ができるかもしれない と思う慧海だった

2011年9月14日水曜日

宮城谷昌光氏の本2

文芸春秋社発刊の宮城谷昌光著「他者が他者であること」を読んだ

気になった言葉をちょっとだけ引用してみたい

---自分の写真は、へただ。
と、認めざるをえなくなった。あとから考えれば、そうした意識まで自分を突き落としたことが、よかったようだ。自分は写真がへただと思えば、写真のうまい人の話を素直にきけるし、月例の選評も神の声のごとくに心にしみる。心のどこかで、自分の写真はいいのに、他人は見る目がない、と恨みが残っていると、たぶん上達ということはできない。
P86-87

宮城谷氏が写真の投稿をしていた30代前半頃の事をかいているエッセイで
自信満々だった氏の投稿がかすりもしなかったという事から来る話だ
人は頭が下がらねば耳がそだたない と全休先生の記事を通して学んだが、
佛や天に問うような人は、なにかしらで頭が下がる思いを経験するのだろう
どこまで下がったのか、何に頭がさがったのか にもよるとは思うが…
佛や天や自然に頭がさがったら、この世で頭をあげようがない

この後、写真の話を書きつつ哲学的な言葉がでてきて面白い
亭主師の写真の記事もあり、慧海の気分もあり、何か写真に関する
流れがでてきているような気がする…

新しいコンデジを買いたい言い訳にすぎないかなw

次に、表題作 他者が他者であること というエッセイから

自分の存在がそれほどあやうく、無いにひとしいのに、他者はどうなのであろう・ここで少々わかりにくいことをいうが、それ以前の他者はいかなる者でも自分の内なる他者であった。自分の感性と理性とで包含しうる他者であった。ところがそれ以降の他者は自分の外なる他者で自分の安危にかかわりなく存在する者であり、理性ではなく悟性をそなえはじめて理解の糸口をみつけうる存在であり、そうでなければ感情によって多少の出入りはあるがまったく無関係な存在である。そういう他者がこの世に、この世界に、盈ちていて、おおかたは社会構造などによって無自覚に助けあって生きている。
P155
小林秀雄氏のいうような悟性という事がわかってきた事から書いた言葉のようだが、こういった言葉がでてくるとは思っていなかったので驚いた
慧海は、他者が自分の内なる他者であると気づくまでで、
外の他者には最近気づいたばかりだったので驚いたのだ
外の他者、外の世界を知識と妄想以外で認識する事は難しいと思うのだ

その後に、織田信長の焼き討ちと近所の家事は同じようなものだとか、
「他者がみえることと歴史がみえることとは、たぶんおなじことであり、
 それによって自己がみえる…」と書かれている。
歴史作家ならではの表現かと思うが、実に仏教的に感じてしまった

他者がみえることと縁起がみえることとは、たぶん同じ事では???

なんて思いながら読んでみた

2011年9月11日日曜日

IS02 で LBT-HP03 を使う 2

前回の記事で、shiomichu さんからコメントで、下記質問を頂きました

1.穴埋めすべき場所と木工ボンドの流し込み方法
2.イヤーバッド裏返し刺し込み!?

1番目は写真の赤い部分に木工用ボンドを塗ります
塗り方は・・・ボンドを普通にぺたっとのっけて、楊枝とかで塗ります
あとは乾けば、透明状態になります。
表面のざらつきがきになるようであればヤスリとかをかけます



2番目は…ボンドを2回ぬったら音の篭りなくなったので、今は使ってません

う~ん。あまり参考にならないような気がします…


先日、耳栓を改造してイヤーパッドを作るというネット記事をみたので、
今度はそれに挑戦してみたいと思います
完成したら、音の感想と、写真をUPしたいと思います



ちなみに、今回は、ケータイで小さな画像サイズでとった写真です
コンデジでとった写真をきれいに圧縮するのは難しいです
次回はコンデジ写真でのせてみたいと思いますw

2011年9月10日土曜日

これが 御任せ ってことか

先日、会社の元同僚O氏とチャットしていた
その時に、慧海は流れに任せる事しかできないのだ
という事を書いていた
ああ、そうか 流れに任せていたのだな と改めて気づいた

流れとは、自然、縁起、時間 そういう流れだ
動いているようで動いていない
流れに任せているだけなので、慧海は止まっている
流れの外から眺めていれば動いているようにみえるが、慧海は止まっている
そういう流れだ

ブログを書き始めて勉強をしていた頃、宿業感というものをなんとなく
理解というか感じて、とても楽になった事があるが、
その頃、自分を客観視するという事について妄想していた事がある。

激流を小船でながされていく自分を上からみている妄想だった
小船の上でじたばたする慧海のイメージがあった
苦悩が減れば、小船にのってゆったり という感じにでもなると思っていた
そういう妄想だった

同じイメージで表現すると、
今は小船もなく、水の中にそのまま入って流れている感じだ
流れに逆らうことなく、あっちこっちに漂っている
流れが変化なって一喜一憂してみたり、石にあたって痛いと思ってみたり
障害物に不安になってみたりしつつも、ただ流れにまかせている
もがけば沈む という意識がある だからもがけない
だいじょうぶかよ~ とか、痛いナァ とか 言えるときに言うだけだ

いや、それも、また流れ次第かと思えば、慧海がただの流れであり、
小船の中にたまった水のようなものなのかもしれない
川の流れに影響され、中の水が波立っていく
川の水が入り込み、中の水が外にこぼれる
どこが慧海であるのかも定かでなくなりつつも、
小船の中の水が慧海なのだろうと妄想する

そんな慧海をみている慧海がいる
そんな感覚を感じている という認識をしている慧海がいる


彼岸に渡った感じは、わからない
浄土を見た感じは、わからない
佛に遇う感じは、わからない
光をみつけた感じは、わからない
信じるものにであった感じは、わからない
智慧を得た感じは、わからない
救われた感じは、わからない
それらの歓喜の感じもわからない

慧海は、いまでも蒙昧のままだ


ただ、もう、どうしようもないのだ と感じる
何もできないのだ と感じる

でも、この先何かあっても、どうにかなるんじゃないか とも感じる

だって、何もできないのだもの

何もわからぬ、何もできぬ それが慧海だったと思うのだから
ただ、なるように任せるしかないではないか

この世は、なるようになっている
この世は、なるようにしかなっていない

慧海も自然の一部として、なるようになっていればいい


あえて言えば、これを「御任せ」といい、
もしかすると、これが「他力」というのではないだろうか


しかしながら、御任せしてみたところで、煩悩は消えない
人だからしょうがない
煩悩は愚痴として口から出たり、ブログに出たりする
愚痴が出るからといって、苦悩しているかというとそうでもない

女性は「ただしゃべりたい」のであって相談しているのではない
というが、それと一緒で、口にするだけ 状態になっている気がする

何もかもが流れに任せているのだから、何だかんだと動いてるようでも、
本気で悩んでいないのだ

口にするしかないような流れだったのだ

口にする事で何かがかわるような、自分の意思のようなものを感じはする
じゃ、本当に慧海が何かしたから変わったのかはわからない
口にしない選択肢が本当に慧海に与えられていたのか?
選択肢があるように思えて、実は一つしか選べないようになっている
過去から続く色々な因縁があって、
それを選ぶ事が良いと思うようになっている
確かに選んだのは慧海かもしれない、口にしたのは慧海かもしれない
でも、そこまでに到達する思考が慧海だけのものではないと思うのだ

だから、苦悩したりしなくなった
残念に思ったり、悔しい思いをしたり、うれしい思いをしたりする
欲もあり、怒りもあるし、満足も不満もある
でも、ただそう感じている事に気づくだけなのだ

だから、足るを知る とかいう言葉すら必要ない
足る足らない、それすらも任せるしかないのだから


やる事があって、やれるなら、ただやればいい
考えなきゃいけないときには、ただ考えればいい
遊んでいい時なら、ただ遊んでいればいい

ただ、それだけ なんじゃないかな


感覚を記録しようと、余計な言葉をたくさんかいているが、
帰敬して丸4年がたとうとしている、慧海の現在の心境である

自然のままにすごしていきたいものだ
櫻のように…
空のように…

2011年9月9日金曜日

暇でいいのに…

夏休み気分を引きずりつつ、のんびり、細々と仕事をしていたら
急遽、大きな案件の大きくない障害対応メンバーにあてがわれた

大きな案件の仕事というのは、そのお客さんの仕事以外はやらない 
ってメンバーが多い

でも慧海は他の案件があるままだ
誰もやらないような案件なので、ささっと別の人と代われない
別の人がいるなら最初から慧海なんかに頼まない

そういう仕事はどんな仕事か…

システム連携等が絡むけど、お金の匂いがしないとかで
SEが支援してくれない ってものだ
お客さんの話きいて、仕事の内容を区切って、SE部門と交渉して…
で、負け商談だったり、ペンディングで立ち消えなんてのばっかりw

今回投入された障害もシステム関係で、SEとの間があまりよろしくない
さらにお客さんも、感じが悪い・・・らしい
そんなんだから、社内メンバーも無駄に忙しい

そんな忙しい案件なんで、その案件に入った途端、
他の案件をやる暇すらなく、過去資料やらなんやらを読んどけと…
で、資料作りやら議事録作りやら事情もわからず、まぁ忙しい

忙しいといいながらも、慧海の防衛ラインであるノー残業宣言はした
卑怯にもキチガイを楯にして逃げ道を確保
ついでに、他の案件もあるので、そのユーザのみはできない事も宣言


そんな感じで、作為だらけな動きをしているようにみえるが、
実際は、作為はほとんどない
自由意志なんて実は無いのだから、作為しようにもどうしようもない
ただただ、自然になるようにしかならない
自然の流れに反して行動しようなんて… ねぇw

ふと思うのだが、
毒を食らわば…というが、皿まで食う事はない と思うのだよ
毒を食らってしまったのは、逃れがたいものがあったのだろう
でも皿を食う流れは毒を食らう流れとは違うところからの流れじゃないか?
皿を食う事は認識ができているはずなのだ
あえて言えば、自分の意思で食べた と認識するものなのだ

昔は慧海も皿まで食う動きをしていた 食わなきゃいけないって思ってた
今は皿は食べないようにしないといけない って思ってる
そういう流れに慧海の中でかわってきた という事なんだろう
だから、ノー残業宣言とかをするのだ


とか言いながら…

嫌だナァ やりたくないナァ って思いが沸いている
気にいられないようにしつつ、仕事を終わらせよう と考えている

アニメもみたい
本も読みたい
ゲームもやりたい
ネット/ブログ更新もしたい
散歩もしたい
お酒とうまいものと会話も楽しみたい
眠れるだけ寝ていたい


仕事の時間なんて増やせないよね~w
残業している時間なんてないのだよwww

2011年9月4日日曜日

法事と門徒講座8


9/3は祖母の7回忌の法事
親戚が20人ほどあつまった

いつも住職法話が残念な感じだったのだが、
今回は親父が帰敬式をするとかもあってか、
いい感じに話をしていただけた

親父は10年間法事をしてきたが、一番いい話だったと喜んでいた


で、今日は門徒講座の8回目
空海の話を30分ほどした後、9月のカレンダー法語についての話
その後、法事の後に聞いたのと同じような話があった

どうやら、少し前に勉強会に参加されたらしく、その際の言葉が
とても得心がいったようで話をされたらしい

とはいっても、今まで住職が話していた内容と違う事は言っていない
目から鱗というような言葉も表現もなかったように思う
が、いつもあいまいにしていた事をズバリと口にしていた

雑念の念仏じゃダメ

という事を今回は口にしていたし、人は必ず死ぬということを
自分の思い通りにいかない事を口にしていた

婦人会の一人の方が、そういった言葉が痛いと言っていたが、
いままでは痛くないようにしかいってなかった住職が今回は
痛いように話していた

痛いからこそ気づくんじゃないかと思う慧海は何でもっとグサっと
話さないのか…と思っていたんだが
とうとう住職がグサっと話し始めた と感じた

住職が皆さんに話しをする
慧海はそれをきいて、どういうふうに考えるか…それが慧海の聞法

素直にきけず、それは違うと自論を当ててみたくなったりもする
でも、わかっていない人にどう説明するのか…なんて慧海に
それが出来るわけでもなく、わかっていても語れない事に気づき、
「どんなから話でも学べるようになった」という住職の言葉を
慧海もただ真似るのみか と思い耳と心できいている



あと3回で門徒講座が終わる予定だ
来年もやるのかはわからないが、この感じだと来年まで続きそうだ
なんたって、予定していた親鸞の話がいまだ始まらないのだから…w


9/25 は親父が帰敬式を受けるんで、写真をとりにいく
10月の第三日曜は、報恩講。 初お手伝いの日だw
お寺がどんどん身近になっている気がする…

2011年9月3日土曜日

カメラと私

亭主師の昔のカメラコレクションに驚いて、
慧海のカメラ話でもと思い書いてみた

慧海の祖父はアマチュアカメラマンだった
10年ほど前に他界したのだが、その時に祖父の写真というのを初めて見た
ほんの一瞬をとらえた写真や、光と影の微妙というか絶妙というか
スナップショットとは違う芸術的な写真に、祖父が愛した写真というものを
ほんの少し垣間見た気がした

もちろんカメラもそれなりにもっていた

愛用はニコンのF,F2, F3だったようだ
F2は2台あって、晩年1台もらった
高校の頃、祖父からもらったニコマートをもって修学旅行等に行った
レンズは35-80、70?-135 と 20cm とかいてあった200mmや24mmレンズを
適当にもっていった

ピントを合わせるのに時間がかかり、思うように使いこなせてはいなかったが
被写体深度、露出、シャッタースピード、ASA?(ISO感度)といった
基本用語は祖父に教わった

写真部員でもないのに部室で焼かせてもらったりもした(白黒だけどね)

でも、写真をとった時の情報を覚えてないので何をどうしたらどうなる
ということはよく理解できてなかった

デジカメを初めて買った時には、ビデオカメラがなかったので動画
撮影機能を優先したが、2台目はズームと起動時間を考えた
レンズを換える手間の記憶があったからだ
光学ズームは35-135 それが2cm位の厚みに入るなんて…

そして3台目は28-200 広角から20cmまで… すっげ~~~
慧海の取れる写真はこれで十分とか思った

で、最近は、シャッタースピード優先とか露出優先とかで写真ってみたい
とか思うようになった

使いこなせるかはわからない
昔の一眼レフのように色々いじってて、シャッターチャンスを逃すかもしれない
家族のスナップショットはオートでいいけど、趣味で取る空や花は
色々といじってみたい
目に見えた色と写真の色を近づけてみたい
写真にすることでみえてくる世界をみてみたい

祖父(母方)が愛した写真の世界

家族はだれもかえりみないが、慧海位は受け継いでもいいかと思う


ちなみに明日…というか今日は父方祖母の命日にして7回忌の法事
祖母の趣味はひ孫にも受け継がれているのになぁ~

亭主師のカメラ記事を楽しくよませて頂きながら、
4台目のカメラの検討と、どう写真をとるかを勉強させて頂きたいものです