2011年10月29日土曜日

しばらく酒が呑めない

血圧が高くて、薬が強くなった
その薬が効き始めてきた事は前回書いた

結果…酒を呑むと血圧が急に下がって、フラフラするようになる
酒で効果が強くでちゃう薬なんで、そのせいなんだろう

生中2杯で、帰宅途中にはフワフワした酔っ払い感覚で目が回った
家について血圧をはかると、下が70とかになっていた。上もそれなりに低い
翌日病院に行く予定でAM休したのだが、気絶したかのように眠っていたらしい
首の痛みやら頭の痛みやらを感じはしたが、外界の音もよくわからず、
12時間ほど落ちるように眠ってしまった

病院に行ったが、血圧が下がりすぎている訳じゃないので
服用を続けるように言われた
まだまだ、薬と血圧が下がった状態に慣れるまでフワフワした
感じが続くのだろう

今日も、酒を呑まなくても、酔っ払っている感じがする
だるく、眠く、集中力がでない
まるで、鬱状態だ

そんな状態なんで、酒を呑んだら倒れるか、気絶しそうな感じだ


金曜は、予定があって、慧海だけ酒抜きで呑みにいってみた
サイゼリアでワイン1.5ℓとソフトドリンクバーw
酒抜きだともたないかと思ったが、全然問題なかった

酒飲みからすると、下戸をさそっちゃ悪いと思うし、
割り勘にするのも悪いとも思うんで、呑みにさそわない
でも、実際に飲まない呑みをしてみたが、
呑めなくて気になるのは最初だけw
あとは、普通にジュース等で楽しく時間をすごした

酒よりも飲む量がおおかったかもしれない
刺激がないから、酒よりもペースが速いのだろう
そう考えるとしばらくは、ドリンクバーのある店で飲み会だなw


こんな体調じゃ、呑みだけじゃなく、仕事もできやしない


ちなみに、主治医からは「運動をしなさい」といわれた
運動して血圧が下がれば…下がりすぎる状態になれば薬がやめられる
散歩も最近はしてなかったし、ちょっと歩くとするかな~
とりあえず、今日は2kmほど走ってみた・・・なぜか昔より苦しくなく走れた…

慧海の体は慧海でなんとかするしかないよねぇ~

2011年10月23日日曜日

まるでガソリンのようだ

9月に面倒な仕事をやることになって一ヶ月がたった
頂上は越えたので、あとはちゃんと下山すればいいんだが、
イライラとして仕事してたから、血圧がヤバく、薬が強くなった

3桁数字の3段を毎日何回もみてたら、今日、通り過ぎたガソリンスタンド
の値段までもが血圧にみえてくる

最近はガソリンが高いので、あそこまではひどくないが…
ハイオク並みの上と、軽油並みの下と脈…

こんな数字をみたら、今は笑いたくなるだろうw
148
109
98

こんな数字に近いものは、たまに見る
165
120
105

もちろん血圧の話で値段の話じゃないよw

で、今日はゆっくりしつつ、低周波治療器でマッサージしたり
植木きって汗だくになったりしたら、126-68 といままで見たことないような
数字までおちてしまった
急に落ちると、フラフラになるものだ
ちょっとゆっくりしたら、138ー86位までもどったので、
水分多めにとって、活動を再開した

降圧剤で利尿剤が出るんだから、水分過多と高血圧の関係はあるのだろうなぁ

どこで、どう落ちてくのかよくわからんので、明日から血圧計もちあるこう

ひどい落ち方したら、病院いかなきゃ・・・

2011年10月16日日曜日

報恩講

今日はお寺の報恩講

世話方として11時にお寺に入りお手伝い

絨毯は引き終わってたし、本尊まわりも終わってた

畳をどかしたり、襖をどかしたり、イス&座布団をひいたりでおしまい

ビデオとテレビを接続して、本堂に入れない人用の映像&記録が慧海のお仕事
と言っても、声明と、法話と、ご挨拶時にちょっと向きをかえるだえけ

慧海以外の世話人さん&総代さんは、正装で真宗のネクタイをしているし、
準備が終わると坊さんたちは和服に気がえるし、婦人会の皆さんは
白いブラウスに黒いスラックスという服で共通している
慧海は私服なので、スタッフジャンパーと世話方帯袈裟をつけて
お手伝いさんというのがわかるようにしていた

先日帰敬式をあげられた方がきていて、帰敬式の時は写真係をしていたので
ご挨拶と、御礼をいわれた
こっちは全然覚えていないけど、向こうは覚えているのだナァ…

今日来た人達(副住職を除く)全員が、どうみても慧海よりも年上だ
そういう中に若造がいれば、目立つんだろうなぁ



報恩講の後は、後片付けして、元にもどして、
お供えしたお餅をつかった雑煮を頂いて解散

報恩講で年内行事も終わりってことで、
来年のカレンダーもらって帰ってきた

とはいっても、門徒講座はあと2回あるんだけどね・・・

2011年10月10日月曜日

お磨き会

来週はお寺の報恩講

と、いうことで本堂の掃除にいってきた

婦人会の人が5名ほどと、得度してる定例メンバーTさんとIさん
という勉強会より少ないメンバーだった

で、花瓶やら、鶴亀やら、燭台やらをピカール等で磨くのだ
慧海は磨き仕事しかしなかったが、他の人が掃除機かけてたたりもした

今回本尊を磨いたりしなかったし、埃をとることもしてなかったっぽいが、
本尊の掃除ってどうするのかちょっと気になる


お寺に行く

というと、いかにも宗教にはまってる人っぽく聞こえるが、
実際は町内会の集まりと、草むしりの日というのと変わらない感じだ

掃除が一通り終わったら、お勤めして、お茶飲んで解散
お勤めがあるあたりが、お寺な感じなだけ

信仰とか、ご利益とか、お布施とかがどうこうというのではない
ボランティア活動みたいな、そんな感じだ
学生時代に、なんたら委員会に入って活動するのとかわらない

わが家では慧海がお寺のお手伝いやら勉強会やら法要に行く事を
お寺に遊びに行くと言われている

そうなのかもしれないなぁ

子供もサッカー行ってて日曜の午後はいないし、
年長者に混じって、昔から続くそういう活動に参加するのも悪くない


この調子だと、自分が死ぬまでお寺に顔を出すことになるだろう
親父やお袋の葬式も、きっと得信寺にお願いするのだろうしねぇ

その間に、きっと誰々さんが亡くなったとかを見続けるんだろう
副住職が後をついで住職になって頃、報恩講前の掃除なんかで
みんないなくなっちゃったねぇ~ なんて言ってたりするのだろう

もし得度しちゃったら…毎週日曜のお勤めにも行ったりして…
そう考えると、やっぱり宗教にはまってる人

って事になるんだろうねぇ~

先日、真宗大谷派の教師試験用教科書をIさんから借りて読んでみたら
これが意外と面白くて、読み進んでしまう
試験に受かるような覚え方はできないが、単に読むのにはよい
華厳経を読んでみたいと思った
阿含経は…眺めた事はあるが、これはちゃんとよまんとイカンだろう
ちなみに、もっともすぐれたお経とかいわれる法華経には関心がない

なんて事をおもっていても、外では口にはできないよね~w
う~ん。宗教にはまった人にしかみえないだろうなぁ~



かかわりが無いから知らんが、新興宗教の信者は盲信してると思ってた
でも、教団の為に勧誘やらなんやらする人も信仰関係なくて、
町内会や赤い羽根の募金と同じくらいの感覚だったりして…w

・・・いや、そんなことないだろう・・・

2011年10月9日日曜日

ブログ越して1年

昨年の10月3日にこのブログサイトに引っ越してきた
1年立ったので、アクセス統計をまとめてみよう

全ページビューは7,068と本日時点ではでている
ほぼ同じ時期にブログを引っ越した全休先生のところは109,457とある
慧海のブログに来られる方はほぼ全休先生の所からのリンクだと思うので
7%弱がいらっしゃったという事だろう
消費税率より高いw
実際に飛んでこられた方のカウント数をみると2000弱の数字がある
ありがたいことだ

全期間でのアクセス経過をみると、立ち上げ直後の10月が一番多く900
そこから3ヶ月ほどは650付近を上下して、1月から3ヶ月は380付近を上下
5月から4ヶ月は少しもどって、500あたりをさまよい
なぜか9月には850というカウンターになった
だれかがまとめてみた人がいるっぽいのと、
ヘッドホン話が検索でヒットした為の数値のようだ


コメントを頂けたり、リアクション頂けたりと
見ていただける事がうれしくありつつ、こんな愚痴記事で申し訳ないと思う

で、今日もただ駄文を連ねている

そういえば、最近は、ただの日記比率が高いなぁ
心の観察も日常の事 というのもあるんだけどね

2011年10月2日日曜日

門徒講座9

今日の得信寺門徒講座は、空海の2回目をすっ飛ばして親鸞の1回目
で、正信偈についてということで七高僧についてのお話

まぁこれといった事はない

あとは、帰敬式の写真を頂いて、さらにデータも頂いて
得度されたIさんと雑談しつつ、得度試験の話になって、
浄土三部教の経典をお借りして…声明の勉強会しましょう
ということになったりした

急ぐ事必要もまったくないので、月に一回位程度で
声明のご指導してもらうのもいいかな
日曜なら子供がサッカー行ってる間が暇になるし…

来週はお磨きで、再来週は報恩講
その翌週は子供の小学校の音楽会参観
どっかの休みで実家のトイレの水道管掃除と、
叔母のPCを購入してセッティング
10月の休みもあっという間だよw
仕事も10月は面倒な案件のスケジュールが組み込まれたし…

なんか、10月はあっという間に終わりそう

酒呑む予定もひと段落だし、家で酒のまないでも平気…
というより飲みたくない感じになってきたし…

あれだけ酒に執着してたのに…

タバコを止めたらコミュニケーション量が減ったように
酒をまったく呑まなく(呑めなく)なってもコミュニケーション量が
へるような気がする
今は呑みだすと呑み続けて終電までなので、呑まずに終電近くまでにしたいな
少量を楽しく呑んで、その後、飲まないでもいられる間の取り方が
なにかあるかな~

2011年10月1日土曜日

「信」って信じる事と違うと思う

新聞にどっかの仏教系新興宗教が娘に修行をさせて殺してしまった記事があった
修行だから虐待じゃない という親のコメントと、
千日回峰行は修行であって虐待と言わないじゃないか とその宗教の人の
コメントが書いてあった

釈尊は苦行は必要ない と言ったとかいう
であれば、苦行は釈尊の佛教ではないか とか思う

こうすれば私は幸せになれると、信じ込んでいるんだろう
宗教というと、こういった盲信してしまう人の話がおおく、
宗教はあぶない なんて事をいわれるようになる
残念だが、しょうがないことなんだろうなぁ


慧海は、なにかを信じてる宗教者は何かが違うんじゃないかって思う
信仰といい、信心といい、信 と言うが、何かを信じなさい
という意味での言葉ではない
むしろ、何かを信じ、何かに依存するような事を禁じている

こういう言葉は、曽我量深先生の本にも、
全休先生(濁川先生の頃の?)記事にも、
亭主師の記事にもそういう事が書かれている
だから正しいというのも、正しくはないと思うが、
慧海の頭の中をみてきて、感じたの事の一つとしてそう思うのだ

極論すれば、お経に書いてあるから正しい と信じることも
違うんじゃないか って思っている

とは言っても、慧海の思いを信じる事が正しい とも思わない


誰かの本に、信 という言葉の説明として
悟った事を信という みたいな意味の言葉があったように思う
その言葉を見たとき、何でそれを「信」なんて言葉にしたのかと思った
違う言葉なら、誤解はしにくかったかもしれない…
まぁ信って言葉が何を指そうとも、人は月をさす指をみて月をみないと
いうのだから、しょうがないんだろうね

その辺に売ってる佛教とかの本では、月をさす指についての話を
している位だものね


慧海の側からは、何一つ信じるものなど無いのだよ