2012年12月19日水曜日

生き物だもの


風邪をひけば、体が重くなる
低気圧が近づけば、気分が滅入る
お腹が空いたり痛みがあったりすればイライラする
満腹になれば眠くなる

特に悩みが無くても、体に引っ張られて気分は変化するもの

気分に引っ張られて、頭は勝手に悩みを作り出す
頭が理解できる理由がないと、頭が落ち着かないから
その思考を放置しておこうと頑張ったりすれば、それも頭の思惑どおり
頭は考えるのが仕事だから

だから頭に理由を与えておくと悩みにならない
理由は、体が必要としているから

なぜ体が必要としているかは、知らないし無理に考えない
生きてるからしょうがない って 位で終わり


無気力な日々を送っていたものだと感じていたが、体が必要としていたらしい
無気力はよくない→また病気かも→なんとかしないと…
みたいな事になって、余計に息苦しくなって無気力になったのだろう

やる気が起きないのも、昔に比べて欲求が弱くなったのもあるようだ

アレが欲しいとか、コレがしたいとかがあまりない
あいつムカつくとかも少なくなったかな?まぁ攻撃されればムカッとするがw

そういうのが無気力な状態だからだと考えてしまったのだろう

体は体で勝手に仕事している
頭も頭で勝手に仕事している

そういうものらしい

慧海は今日も生きている

2012年11月24日土曜日

自業自得の世界


急いでいる訳ではないが、余裕がある訳でもない
歩行者信号が点滅しはじめた
走るのも嫌だが待つのも嫌だ
走って少しでも早く行くか、それとも次を待つか…

慧海には対象外の事について朝礼で話がある
関係ないじゃないかと不満がでる
慧海は対象外なんですよと他人に言いたくなる
そんな気分に従って、別のことをするか、
全体にあわせて、同じことをするか・・・


ただ何気ない毎日は、選択にあふれている
何かを決め、何かを選択しつづけて過ごしている

いろんな感情や関わりによって、選択しているつもりが、
実はそれしか選べない状況になっているのかもしれない
それでも本人は決めたつもりで選択している

選択した認識がなかろうとも選択しているものも多い
足を一歩前に出す選択
言葉を発する選択、考える選択・・・

あれこれ一々認識して選択してなんて動いていられないから
脳や体がかってに動いてくれる
そうやって、知ってか知らずか、何かを選んでは
その選択の結果が次の状況を生み、次の選択をする

選択しない選択でも、時は進み何か次の選択が必要になる


選択した結果がどうなるかなんてわからない
でも、それは自分が選択した結果。
そうするしかなかったとしても、
だれかの選択の結果によるところが大きかったとしても…

それを自業自得の世界というのだろうか
無限選択地獄とでもいうのだろうか

そんな世界で、正解を求めたら、苦しくていきていけない
でも正解を求めることをやめられない
決断し選択すると煩悩がみえる
より良い結果をえたい、望む結果を得たい、正解を得たいと

そもそも、正誤なんてないのだろう
自分にとって良い結果か悪い結果かを正解不正解というのだろう

ならば、選択した結果をただ受け取っていくしかないのだ
今の自分とむきあいつつ、その状況をただ頂いていくしかないのだ

慧海の煩悩によって選択されたものだったとしても…
そんな風には思う



西を求めてみたら、火と水の河に阻まれ、
渡る道を見つける事ができず立ち止まっていました。
戻ることもできそうにないので、あきらめて、河に飛び込むことにしました。
最初よりも、火も水も勢いがなくなったような気もするので…

火と水の濁流にのまれつつ、なんとか生きていこうかと思います

運がよければ、濁流が彼岸に渡してくれるかもしれません
やっぱり元の岸に上がって西を眺めるかもしれません
しょせん頭で考えている事ですので、妄想とかわらないのでしょう
そんなもんでも、とりあえず、河に入ったつもりです
渡れないと立ち止まっているより、気分はいいですw


自らを洲とし、法を洲として、流されながら生きていくとしましょう♪


なむあみだぶ

2012年11月20日火曜日

過去を振り返ってみた


先日、「自分でやった方が早い病(リンク)
※リンクがまちがっていたので修正しました。すいません。

という本を図書館で読んでみた。

まさに慧海はこのタイプだ
色々と痛いところをグサグサとさしてくる本だ

先日泥酔した飲み会で、社外の人が「40になってそんな事言ってちゃ…」
なんて事を言われたが、何に対していわれたのかよく理解できなかった
この本を読んで、世間の上司は40の社員にどういう事を望むのかをしった

 まさに、40にもなって だな

慧海の中ではいまだ30の頃と何もかわっていなかった
10年前、30の時に開発のリーダをやって、失敗して、社外に派遣になった
病んで、自社に戻って休職、そして復職
復職したものの、会社が求める人材ではなくなっていたので居場所がない
なのでまた派遣

他所は知らないがうちの会社では派遣に部下が付く事は少ない
だから一人で仕事をしてればよい

気が付いたら40
仕事面では何一つ成長のないまま40になっていたのだ

どこか自社に戻って昔の仕事のやり方で仕事すればいいと思っていた
それが必要ない人材である事に気づかないまま40なのだ

よくよく心をみてみると、今の状況は、他人のセイと思っている慧海がいた

思い出してみたら、プロジェクトが失敗してもいいから
終わらせる決断をしたのは慧海自身だった

今の派遣先に居る事も、今の仕事の仕方も慧海が決めた事だ

失敗の責任をとらさせて当たり前だった
今の派遣先から戻れないのも当たり前だった

30代の頃の考え方のまま、会社に兵隊はいりませんか?と聞いても
病んで無理の利かない頭でっかちな兵隊が必要なわけもなかった

兵隊なら若くて成長ある良く働く兵隊の方がよい
 病気と日々の生活のことだけ考えてきたから、
仕事の事をすっかり考えないままになっていた

思考をみてきた感じでは、心の鎧がすこしずつなくなて
頭の中が10、20代の頃並みにまでシンプルになってきた
その結果、自己愛のみが顕著に感じられる
慧海が子供のころからもつ考え方が顕著に現れる
そういうものは、他人と接するときにわかる

そんな嫌になる慧海自身と、ちゃんと付き合っていかねばならないのだろう
ありのままの自分と向き合いつつ、他人と接していくしかないのだろう


とはいっても、努力してなんとかするのでもなく
ただ、流れに御任せして、起こった事を受け止めていくだけ
なんだけどね

流れに任せていたら、読んだ本をきっかけに昔を思い出して
こんな風に思いました ということでしかない のですよ


中身を見るサイトがあったのでついでに・・・
http://ji-sedai.jp/works/book/publication/jibunde/01/01.html

2012年11月19日月曜日

木彫り再開


寒くなってきました

休日、一人で家にいると外に出る気もしません

丁度かまぼこの板があったので、
久々に彫刻刀で木彫りをし始めました

義父が他界する前に彫っていた仏像は木が小さすぎて、慧海の腕では
これ以上は彫れない状態になってしまい、それっきり彫ってませんでした

今度は簡単なものでいいので、完成できるものをと思いつつ、
板で何を彫ろうかと考え、以前子供と行った資料館にあった
板碑なるものを彫ろうと思い立ちました

板碑は埼玉県に多く、地元の資料館によく展示されています

南無阿弥陀仏と名号がかかれていたり、キリークの梵字が書かれているもの、
阿弥陀佛や阿弥陀三尊が彫られていたりします

釈迦如来のものもありますが、阿弥陀仏ものが多いように見受けられます
供養の為に作ったとされるので、阿弥陀仏が多いのでしょう


で、南無阿弥陀仏と彫ることにしました

下書きして、蓮台も書いてとなるとカマボコ板ではちょっと小さく、
漢字が潰れてしまいます

キリークでは、わが名を称えよ とならないので名号を彫りたい

ちょっと考え、南無阿弥陀仏は全部音の当て字なので、
平仮名で彫ってみる事にしました

佛だけは既に音からはなれているような気がしたので、
なむあみだ佛としてみました

… 

佛が潰れて読めないし、「だ」とくっついてしまいました…

仏の字か、ぶ にしておけばよかったかな と反省・・・

そして蓮台もイマイチうまくできません

板碑の写真をよく見てみると、葉のところだけうまく掘り込んでありました

もう一度資料館に行って、蓮台をよくみてみたいと思います


かまぼこ板ならまだあります

仏像彫りのレベルに近づけるよう、ちょっとずつ木彫り経験を積んでいきたいものです


彫っていると時間があっという間に過ぎます
楽しいのでそれだけでもいいかと思いますが、
見せられるものでもないですが、ブログにのせてみるのもいいかもしれません
載せるためには完成させるというこになりますから…
下手でも完成させたものを、いくつも作る。 クリエイターの基本かとw



2012年11月16日金曜日

信じるのではないらしい


先日のことです

声明的に念仏を口にし、ふと思い出し

慧海を救うと言われても、信じられないなぁ…
如来にはどのようにみえるのだろう …
人の心でわかろうはずもないか…


と考えている頭をみながら歩いていました。

信じられん
信じられん

そういう言葉がうずまく中、
聞こえるかのように、ポンと言葉がでてきました

信じてる


… あ!

その言葉が浮かんで、
ホンワカとした気分になりつつ、
瞬間的に思いました。

慧海が如来を信じてなくても
如来は慧海を信じてるんだ!

そう思ったのもつかの間、
また思考が作り出したものだろうと思い
すぐにホンワカ気分は抜けて、駅へと向かう道だけになりました

でも、どこか安心した感じです。

2007年4月に、慧海の中で何かが壊れ、全てを疑って過ごしてきましたが、
慧海を信じる如来というのは、信じたい気がします


日々みるともなく見ている頭ですが、何があっても不思議じゃありません

ただ、御任せして過ごしていくとしましょう



なむあみだ佛


2012年11月6日火曜日

慧海は何かできるのか


9月末と10月の記事に、しゃり様と名乗られる方からコメントを頂いております。

しゃり様がどのような方なのかはマッタク存じ上げませんが、
とても大事な事を指摘いただいたように感じています。

慧海は本当に救って頂きたいのか…

自分の努力によって自分が楽になる という考えが抜けないまま、
何一つ自分の思い通りになんてならない というようにも感じて
「今」を意識しながら、唯生きればいいか とも考えたりします

考えてどうにかなるなら、よいのですが、
考えにはまって苦しむのがオチです


「解脱の耳」と、しゃり様は書かれていらっしゃる

解脱の耳という言葉を聞いた事がなかったので調べてみたら
蓮如の言葉の中にあるようです

住職がよく言う「身で聞く」という言葉を思い出します

念仏を聞くのが大事だとも言います
浄土教は聞くのが大事なのだとも言います


自分の頭の声、身体の声を聞くという事はある程度意識してやってますが、
解脱の耳をすまして、何をきくのだろうか・・・と考えてしまいます

何をしたら良いか教わり、それを努力してみよう

そういう考えがでてきます
で、努力じゃないのだ、思考じゃないのだと思い、
また、努力もやめて、途方にくれるのです

先月より、途方にくれた挙句、念仏でもするしかないかと
思い立ち、毎日Twitterに念仏をつぶやきつつ、気が向いた時や
苦しさを感じた時に、本願を思い出して念仏をつぶやいてみたりしてます

ドックで、「心筋梗塞の疑い」と診断結果がでて、
明日にも死ぬる命なのだと感じたものの、いまだ胸の痛みもないまま、
左肩こりがひと月続くのは心臓のせいかと気にしつつ、
今日もなんとなく生きています



南無阿弥陀仏


2012年10月21日日曜日

メモリチェック前で起動しない時


10/17の朝、PCが起動しなくなった

電源投入後、CPUを認識してメモリ容量が表示される前で先に進まない
もちろん、再起動しても変化なし…

朝は諦めて、帰宅後ケースを開けてメモリ挿しなおしたら…起動した

翌朝は無事起動したのだが、翌々日は、再度同じ状態に…
今度はメモリ挿しなおしてもダメだった

M/Bダメなら組みなおすのも面倒だし新しいPCでもと思いつつ、
移動時間とかで対処方法を検索…
下記、2つ実施してみるべき作業がわかった

1.CMOSクリア
2.ケース内の掃除特にメモリスロット

まずケース内の埃を掃除機でセッセと吸い取って、メモリを数回抜き差し…

そんで、ボタン電池を一度はずしてみた
起動しないでCMOSクリアはどうするのかわからなかったのでね…


そしたら…起動したw

明日も起動するかはわからないが、掃除が大事だと思い知ったw

今のマシンは、2007年の休職中…の調子のよい周期の時にPIIIのモデルを
Sempronに組みなおし、復職後の2008年に、Athronに石をバージョンアップした

それから今まで、ケース内をちゃんと掃除したことはない

う~ん。PC内の汚れというのはバカにできないw

本当にこれでなおったとするならば、だがね。



昨日、携帯をauからDocomoにMNPして、Xiにした

機種変するより格段にやすく、3GよりXiの方が安くなるからだ

今PCでやってることが、Androidでどこまでできるかがわからない
できる環境がそろったら、PCはストレージメインのマシンでよくなるので、
組みなおすより、安いマシンを買った方がいいかもしれない
M/BとCPUとメモリかったら、安いマシンが最新OS付きで買えてしまうからね

まだスマホにできなくても、Win8のスレートとかがでたらやっぱり今のはストレージに…
そしたら、スマホをルータにして、外でWin8つかうかなぁ


最近はITとは言わず、ICTと言うようになった
Communication が大事なのは人間の世界だけではないらしい

2012/10/24追記:
今日も無事起動している。掃除は大事!w

2012年9月30日日曜日

無気力です


最近は、何もする気がおきません。

毎日晩酌も今のところ再開してないです。
週末に缶ビール2本飲んだら酔って寝てしまう事も多々。
昔のようにおいしいと思わないのと、呑みすぎると翌朝、頭の中が騒がしくなるので、
特に呑む気がしない感じです。

食べる気もしないので、昼食を食べない日が増え、
朝もお茶だけなので晩飯のみの日が増えました。
胃が小さくなったっぽいのに晩飯は今まで通りの量があるので
食べられなくなるまで食べる事に…その為か、体重も増えました。

体重が増えると息苦しくなります。
MyBest体重に比べると5kg以上重いです。
復職直後と同じ体重ですので、慧海的にはかなり重く、息苦しいです。

息苦しいのは、仕事先の机が狭くなってパーソナルスペースの確保ができないとか、
会社で慧海の価値というものが、自分が思っていたよりずいぶんと少ないものだと
感じてしまい、ガッカリしているのも関係していたりします。まぁ色々ありますw

寝込んでいる頃に、苦しいと、「苦しい→嫌だ→逃げたい→死にたい」思考ができ、
「苦しい」を感じるだけで「死にたい」と思うようになっています。
息苦しいだけでも死にたいと頭に浮かびます。

そんな中、全休先生の「仏様の命」という言葉が浮かんできました。
死にたいと思おうが、命は自分のものじゃないのだからどうすることもできない
という事が納得できた感じです。
それからは、死にたいは出てこないようです。(早く死にたいは思いますがw)

 「仏様の命」を納得できた(気にたった)からか、今頃になって、やっと全休先生の言う
「仏様は私をどのようにみられるのか」という事を想うようになりました。

頭で仏様、阿弥陀様、絶対者を想像するのではなく、自分の思考による眼でもない
言葉で考えたらダメな感じなモノ

あえて言葉にすると、本願というか法というか、自然というか… そういう
働き的なものの中にある慧海がどうみえるのか という感じ?

 kirinn さんの言われる、「阿弥陀様とともに」という言葉のように、
阿弥陀佛を想像することなく、弥陀佛と共にという意識みたいな??


よくはわかりません。

無理に言葉にすることも、深く考えてみることもできません。

ただなんとなく、そんな事を思い、思っただけで、どうということもなく
息苦しい毎日を、無気力に送っているだけです。

仕事して、ゲームして、アニメみて、本読んで…たまに酒呑んで…
あれ?ずいぶん遊んでばかりいて楽しそうな日々にみえますねw

2012年9月15日土曜日

6年目の慧海


2007年9月23日が帰敬式を受けた日なので、その日を命日としすれば、今年が6回忌です

慧海は、毎年この時期には苦悩して何かに気づいた風な事を書いています。
今年も気づきました。
この数年間、あれやこれやと努力したつもりだったんですが、実は

何もわかっていませんでした。
何も変わっていませんでした。

それがわかりました。


知識は増えました。
自分の身体と頭の中の見方は知りました。
でもそれだけだったようです。

口先で逃げて
過去に依存して
人の目を気にして
プライドばかり高く
何もできない

そんな帰敬前の慧海と何もかわりゃしません。


それに気づいた時には、もうガッカリです。
でも、ここ最近ずっとあった苦しさとか異常な感じが抜け軽くなりました。



この数ヶ月、仕事関係も体調もよくなく
なんだか苦しい感じを抱えたままの日常でした。
言動もおかしく、家内から「超上から目線が最近の芸風?」と揶揄されるほど
中二病的な感じでした。

会社にいると昼になっても空腹にならず昼食も抜いて1日一食になりました。
家の都合で急遽晩飯を食べて帰る事になった時、一人で酒も呑めない事に気づき、
毎日欠かさなかった晩酌も特に必要としなくなりました。

そんなある日、外部の人もいる仕事呑みで昼抜き久々アルコールで完全に酔って
中二病全開…妄言多発で、外部の人にも失礼な言動・態度を取る始末…


慧海おわた・・・


翌日は二日酔いで、頭の中も大嵐状態
前日の会話の反省状態と現実逃避
嫌だ、逃げたい、苦しい、死にたいとわめく…

そんあ言い訳に言い訳を重ね、自己弁護をしている頭の中をみていると、
段々自分の状態が、中二病状態であった事がわかってきました。
現実と理想の乖離というか、役立たずで必要とされない自分が受け入れられないというか…
知らないうちに余裕もなくなって、どっかで思考が変わっていたようです。

その時まで自分の精神状態を、ホントまったく気づいてなかったんですよ…w

そして、落ち着きだしたて、ポンと気づいたのが冒頭で書いた

何も変わってない、わかってない

ということでした。

そして、ガッカリした後、あれ?っと気づいたのが

元々何も持ってないんだから、持ったフリしようとしなくても良い

ということです。

空っぽなのに、身があるように振舞おうとしてたんですよ。
何も知らないのに、少しでも知ってるというところを見せたかったんですよ。
いつのまにか、慧海というブッディストを演じていたようです。
本当は、何もないままだったんです。
風が吹けば飛ぶだけ。そんな程度の慧海だったんです。


何も無い慧海になってみて、2つわかることがありました。

1つは、慧海はたった3つの感情に流されてるだけだったということ。
3つの感情…好き、嫌い、どうでもいい です。
欲しいのに手に入らないから拗ねたりと、子供のような感情に支配されてます。
自我って、言葉と経験が作るんだろうって思いますが、この感情には言葉も理屈もありません。ただの強烈な感情の波があるだけです。
三毒の知識はありましたが…まぁホントそのまんまのようです。


そして、会社の偉い人とかをみても、ただのおっさん、おばさんとしか感じない
ということです。

ただのおっさん、おばさんの目は上司の目と違いそれほど気になりません。
まだわかりませんが、いい顔をする必要もないので、
人に会うのも苦痛じゃなくなるような気がします。
ただのおっさんと、進んで交流をもとめようとも思はないので、会いませんがw


今のところ、酒は呑み始めるととまらないようなので、外で飲むときは
量を決めることにしました。
家だと、すぐ酔って眠くなるので量は飲めませんから、多分大丈夫w


そんな感じで、5年間の努力は徒労であったと結論づけられました。
病気の方も抗鬱剤を飲んでないだけで、精神病に逃げたい自分がある限り治らないです。


今度こそ何もできないので、何もしません。
救われたいのかどうかすら、もうわかりません。
あとは、念仏が口から出る日を待つことにします。

念仏が口から出る前に、また何か新しい衣をつけてしまうのかもしれないですけどね…


南無阿弥陀仏

2012年8月10日金曜日

明日から夏休み


7月頭に追っかけていた商談が決まり、
そこから、週1~2回ほどお客様先に訪問し、
打合せをし、資料を作り、また打合せをする、
そんな日々をつづけて6週間がたちました

毎日やるべき事が決まっていて、それをこなしていけば
完成に近づいていく、そんな時間の過ごし方は
とても楽です

メインの案件の合間に別の案件や、雑用をやるので、
適度に忙しく感じます

土日も夏遊びで、やっぱり適度に忙しい感じです


適度に忙しいので、ゲームとかブログ書いたりとか
本読んだりとかが手につきません

時間がないわけじゃなく、やる気がしないんです
オンの時間で頭つかうから、オフ時間はだらけてます
暑かったりもしましたし…

やろうと思っていたことはいろいろとあるんですけどね…


明日から会社が休みになります

お客様先の訪問もひと段落し、月末までありません
ToDoの整理だけしたら、 あとは夏休み後の仕事です

さて、夏休みはどうしようかなぁ~


2012年8月4日土曜日

妄想と現実


現実かどうかってどうやって判断するんだろう

最近、どこまでが妄想でどこからが現実なのかわからない感じが強くしている

自分の頭を通って認識したら妄想との違いがわからない


誰かに話しをしたのは、現実か、妄想か
明日の予定は、本当に明日か

全部、騒がしい頭の話ばかりな気がしてならない


騒がしい頭だけが、現実なんじゃなかろうか

2012年7月23日月曜日

つぶやき


あるとか、ないとか
いるとか、いないとか
は問題じゃなかったんです

あるとか、ないとかに
煩わされてる事が問題だったんです

2012年6月30日土曜日

無駄無駄無駄~


防風通聖散を出されてから、ダイエットモードに突入

服用はもちろんだが、冬場に買った、パイル地の腹巻とをして、
腹が減らなければ食事をとらないようにした

結果、3日で4kg減った
ウエストも2cmほど減っている

痩せたというよりも、水分等が排出されたたというのが正しいのだろう
腎臓は石作ったり、怠けたりで慧海と一緒で怠け者なんで、水分は溜まりやすいと思う
どうやら、腹巻と薬で水分等の代謝がよくなったようだ

なぜなら、同じ靴がゆるくなったからだ
小用頻度も増えたというのもある

口がパサつくので、水分をとっても流してしまう感じだ

朝晩、体重を計れということで計ってはいるが、1日1kgの感じで減っている
膨満感とか、お腹が張る感とかもなくなった


もちろん、食事したり、水分をとれば体重自体は戻る
摂取した分は排泄すれば減る

となると、蓄積されていた分だけが残っているのだろう

とりあえず、循環はよくなったようなので、ココから体脂肪を減らして、
コレステロールやら、中性脂肪やらを減らさないと…


家内からは、今年の夏休みまでにデブデブな腹をなんとかしろと言われている
今月は体重も記録する約束になっていることだし、この一ヶ月でどうなるか
遊んでみるとしようw




2012年6月28日木曜日

Twitter


全休先生がTwitter始めたので、持っていただけのTwitterを使い始めました。

@urakeikai

という名前で、慧海の裏バージョンとして用意したものでしたが…使ってませんでした。

全休先生のTwitterリンクから、フォロワーみるとでてきます


慧海に法を説くことはできません
智慧が無いから

社会やら他人やらへの不満を書くなんて事も…今は恥ずかしくてできません
その不満を向けた先の姿は私自身に他ならないですから

最近では、まじめな意見をする事もできなくなってきました
聞かれれば意見しますが、聞かれもしないのに手前勝手な話をしても迷惑ですから

なので、なんのヒネリもなく慧海の心の汚れを吐き出してます
その時その時、流転する心に沸き起こるどうでもいい事をつぶやいてます

あとは、適当に状況だったりをつぶやく位だと思います

気が向いた時だけねw


そういう内容ですんで、たぶん、Twitterで公開する意味はないんでしょうね…
なので、飽きたら辞めますw


愚痴るところを別に作ったので、表のブログは愚痴じゃない事を書きたいですね

ブログも最近、書くことがないんですが…

太った


薬が切れたので通院してきました。

利尿剤入りの降圧剤なので、尿酸値が高くなるとかがあり、
前回、血液検査をしました。今回はその結果も聞きます。

尿酸値は、基準値をチョットオーバしたあたりでマダ問題なしとのこと。

問題は…コレステロール&中性脂肪が基準値をだいぶオーバーしたこと。


慧海は、この半年で5kg以上ふとってしまっているのです。

前回10月に血液検査をした際にはコレステロール値関連は
高目というレベルだったんですが、 今回はオーバー…

運動量はたしかに減りました
ストレスを言い訳に過食もしました
飲み会頻度も増えました
結果、胃の調子がわるくなって…1日1~1.5食しか取らなくなりました

ヤバイとは思っていたんですが、ドクター痩せなさいと指示されると重く受け取りますw

主治医からは、

朝晩体重を量って記録する事 →  現状を認識しなさいと…
運動をこまめにする事
防風通聖散が前回きいたので再度服用する事
仕事もきっちりする事w

という指示でした

血圧は誰もがちゃんと測るのに、体重はちゃんと測らないいんだよね~
血圧は死んじゃうと思うからかねぇ。体重も大事なのに・・・と言ってましたw


と、いうことでスマホに記録アプリいれて、自室にあまっていた体重計置いて測定開始

運動は好きじゃないんで、散歩とロングブレスなんたらの真似事でもしようかな~


2012年6月12日火曜日

一応仕事ですw


月曜が 大阪出張でその前泊の日曜を利用して、京都と兵庫にいってきました。

まず、京都で東本願寺に。
行ったら、納骨の法要中だったので、後ろに坐って阿弥陀経と和讃を頂いてきました。
飛ぶような速さで阿弥陀経が流れていきました…。本山、恐るべし…w

で、お寺から依頼されれていたネクタイを買ったり、ギャラリー見学して、
あっという間に1時間以上…時間がたつのが早い・・・。

次に西本願寺に。
西本願寺に行って、気づきました。
慧海は東本願寺におまいりしたのは初めてのようです。
行った事があるのは、お西だけっぽいです。

駅から近いお東だけど、行った事がないと思われます…

お西をふらふら見学してたら、16時の鐘、そして勤行が始まったので、
正信偈を頂いてきました。
お西の節をちゃんと聞いたのは初なのですが、不思議な感じですw


あとはバスで祇園方面に行って、お土産買って、兵庫に移動です
兵庫?…川西は大阪?? 阪急の川西能勢口からちょっと行ったあたりで
高校の同級生が日本料理屋をやっているので、食べにいってきました

料理は、
・鯛のカルパッチョ
・生湯葉
・はも&すずき&だしまき卵&はもの皮ときゅうりの和え物
・なすの椀物
・河豚の白子&うど&ししとう&アボカドと湯葉と?のてんぷら
・お吸い物
・新ショウガと鮎の釜飯&お新香
・ゴマのアイス
とビール数杯を頂きました。

季節の素材の味に腕が加わって、とてもおいしいものでした♪
ナスの甘さとか、出汁の味とか… うまいなぁ と関心しました

学校でて、京都で修行して、今や地域に愛される、お店の主…

翌日が定休日ということもあって、3時間ちかくかけて
話をしながら、ゆっくり食事をいただけました。

飲み会で3時間とかと違って、すごいゆったりとした時間を頂きました

川西付近でご興味のある方
慧海にご連絡くださいw
同級生とか関係なく、お薦めです

で、翌日は気分良くお仕事して、ぶたまんとか買って帰ってきました
食事とお土産買いにいったような、出張でした~♫

余談ですが…いつも句点つけてないのに、仕事で文書を書きまくってたからか、
今回は句点が付いてるところが多々ありますね…

2012年6月3日日曜日

2回目成人式


今日は誕生日でした。

今年で40です。

40になったからといって、何かが変わったりしません。

でも、この40年間には色々とありました。

これからも色々あるでしょうねぇ。



元気に歳をとって、死ぬ時がきたら、それなりに死ぬ

そういう風にいきていたいものですね

2012年5月25日金曜日

同じ問い


全休先生の5/24の記事、試行錯誤を重ねていますで読者からのお便りを紹介されてました。

これは、慧海のメールか?と思うほど、同じ思いをした経験があります。

2011年1月8日のメールとのことなのと、言葉使いが慧海とちがうので、
他人なのは間違えないですし、慧海が同じようなメールをお送りしたのは
全休先生が、濁川と名乗られている頃の話・・・

やっぱり皆さん同じように悩むのですね
ご同朋なのだなぁと感じました


念仏しろと教わって、念仏してみたが救われたと感じないのは、
念仏の仕方が間違っているのか?
自力だからか??勉強がたりないのか???
でも、「よき人」はそうは言ってないし・・・ うむぅ・・・

ということなんでしょう


先日本で、この悩みこそが、浄土教の大事な点だ という事を読みました。
歎異抄の9章で出てくるのも、同じ問いであり、信巻と化身土巻の話だとか・・・。


この問いの先に、きっと何かがあるのでしょう
考えではなく、この問いの答えを感じ取れ時は、既になにかに気づいているのでしょう


どうやらこの先は、私と佛との問題な気がします

2012年5月3日木曜日

不思議な満たされた感

前の記事に書いた、梅の花を見に行った時の事です

小雨の降る中、一人で車を走らせていました
運転をしながら、あれやこれやと考えていたと思います

ふとした瞬間、運転している自分を感じました
そして、なんだか良くわからない、満たされた感に包まれました
ゆったりした感じで、口がアルカイックスマイルをしているのがわかります
なんだか、視界すら明るくなった気がします
…雲が薄くなって、明るくなったのかもしれませんが…w


な~んだ、そのまんまでいいんじゃん

そんな言葉がふと浮かんできました
あまりにも、ゆったりした感じがしたので
南無阿弥陀仏と口にしてしまうほどでしたw

良くわからない、ゆったり感、満たされた感をもちつつ
いつものように、頭が作り出した感覚だろうと気にしないでいました

そんな事のあった少し前に、苦しいと感じているときには、頭の中に意識が向いていて
自分で肩に力をいれて、息を浅くしているだけだったと気づいたので、
苦しいと感じたら意識して肩の力を抜いて意識を頭からはずすと、
勝手に息が抜けて何に苦しんでいるのかすらわからなくなる事に気づいたんです
なので、その延長だろうと思っていたんです

肩や足の裏に意識する・・・意識がかるく別のところにあると、苦しくないようです
常に念仏っていうのは、どっかに意識のアンカーを挿しておく事なのかもしれないなぁ
なんて慧海は思うんですが…どうですかね?
kirinn さんが、コメントで「丸ごとお念仏」という言葉を使われてましたが、
なんかこれは、全身で念仏ってしてて、丸ごとっぽい なんて思ったりもしてましたw


そんな感じですごしていたんですが、ここ数日になって気づいたんです
怒っているようなんですが、まったく怒りに苦しめられていないんです

どうやら口調は怒っているらしいです
でも、本人は怒っている気がしないんです

腹立たしい事は多々あり、気にいらない事も多々あります
なので、文句もいいますし、拒絶もします
なのに、いままでのような苦しさがなく、いつもどおり
頭が騒がしいだけなんです

仕事はGW前で、バタバタとしてても苦しくならない
苦しく感じても、呼吸が浅いだけ・・・

そして、ふとした瞬間にはそんな頭の騒がしさもうすらいで、
ゆったりと満たされた感につつまれていたりもします

ただ、ボーっとしているだけなのかも知れませんけどね

そんな感じで、ここ最近は日々の生活が楽になりました


余談ですが、先日、ずっと欲しかった桜の鉢植えを入手しました
時期が今なので、八重桜ですけど…やっぱり桜もいいですねぇ~w

2012年4月22日日曜日

花まつり法要


今日は、お寺の花まつり法要ということで、昨日は昼過ぎから、
今日は、昼前からお寺のお手伝いをしてきました。

先週は大阪の仕事して東京にいなかったりしたんですが、
金曜の夜に帰ってきて、土日とお寺です

お寺では、ビデオ係というのが慧海の役割なのです
花まつり法要は、お稚児さんによる献灯顕花をやるので、それをとるんですが…
不公平のないように、よその家の子をとるのは難しいっす

  もちろんビデオの前に法話用のカメラのセットと配線して、隣の部屋でみれるようにもします
今回は人が少なかったので、隣の部屋はなくてもよかったんですけどね
永代経と報恩講は人が結構くるんですが、花まつりは人がきません
前回は、講談と落語だったんでまだ人がきましたが、今回は法話だったんで、
永代経、報恩講でも法話の前に帰っちゃう人がいるので…関心がないようです

今回の法話のお坊さんは、面白い話をしてたんですけどねぇ…


ちなみに、前日には本尊の回りをお祭り仕様に飾り付けたり、
絨毯ひいて、掃除機かけたりと、アレやコレやとやってます

雨がふりそうなので、天幕みたいなのを作ったりもして…
19時位まで準備してました
遅くなったんで、お寺で夕食がでましたけどねw


そうそう。外陣の横に一時納骨場所があるんです
お墓の改修に際して、一時的に移しているんだそうです
白木の位牌と骨壷が入った箱が棚に並んで普通においてあります
その奥に荷物があったりするんで、法要の準備では納骨場所の前を通ります

帰敬とかする前に、「そこにお骨があるんですよ」なんて話を聞いたとき、
なんか怖いような気持ちわるいような気がしたんですが、色々と勉強して、
いかに自分が妄想で生きていたのかを知るようになって、そして、
お寺のお手伝いなんかもすると、そういう感覚がなくなってきたようです

あると思わないところに骨壷がおかれていると、びっくりはしますけどね
掃除でいった際とかで、外陣においてあったりとかしてましたから…

婦人会の大ベテランさんでも、納骨場所には入りたくない という人もいるので、
お寺のお手伝いをしてれば慣れるってもんでもないようですけどね


次の法要は、6月17日の永代経法要です

全休先生の勉強会と同じ日でした
お声をかけても頂いたので、参加するつもりでいたのですが…残念です

永代経と報恩講は2大法要ですんで、今となってはお休みしにくいですからねぇ

2012年4月15日日曜日

さてどうしよう…

全休先生主催の「歎異抄を勉強する会」が開かれるという記事が4/4にありました。
即、参加しょう! と思ったものの、会社だったので送れませんでした。

で、その後歎異抄を勉強する会のブログコメントの数々を思い出すと・・・

真摯に歎異抄を学んでいない慧海にご同朋とお会いする資格はあるのか?

という気になってしまい、今も悩ましい感じです


都内なので、参加できるし、全休先生のお話を聞いてみたい気もあるのですが
サイトをみると…皆さん歎異抄を読み、疑問を持ち、学ばれている
方々のようにお見受けできますので、ちょっと気後れしてしまっているのです

数年前の慧海なら、気後れすることなく、参加させて頂き、
わからん、わからん、教えてください と言っていたかもしれません
今だからこそ、気後れしてしまうんだと思います

「勉強会します。きますか?」

慧海は、この問いに答えられないでいるんです
ただの考えすぎと思うでしょうが、これは私への問いなのですよ

歎異抄というきっかけを通して、慧海自身が自らをみつめる念仏がないならば、
ただ書かれている事の「好きな言葉」を聞きにいくだけになってしまう
もしくは、皆さんにとっての好きな歎異抄を聞く事になってしまう

勉強するのは、歎異抄ではなく、慧海自身についてだろう
ならば、犀の角のように… とも思う

それとは別に、感情として、生全休先生のお話をきいてみたい


・・・学ぶとは何をか


さて、どうしようかなぁ

金剛の信心の無いものは口をつぐむしかない というのだから
黙って拝聴だけしにいくかなぁ…

うむむぅ

2012年3月25日日曜日

梅と桜の慈悲

仏壇の灯明は佛の智恵を、花は慈悲を表現いているといいます

そんな花のなかで、梅と桜から感じる慈悲について主観たっぷりで書いてみます

まず、桜ですが、耐える季節が終わり、始動の季節を喜び、励ますかのような
「がんばったね。またがんばろうね」というような慈しみを、癒しを感じます

暗い道を抜けきったような、明るさがあり、それでいて無常を教えるかのような
散りっぷりは、悲しみを感じます

あざやかに歓喜をあたえ、あっさり執着することなく素にかえる
そんな慈悲を慧海は桜、特に染井吉野から感じます


次に梅です

バラ属サクラ科の植物ですので、まぁ桜の親戚な訳です

梅は桜のような万人を圧倒的に魅了させる癒しではなく、
静かに、暖かく癒しをあたえるような感じをうけます

寒く暗い冬が終わりつげ春が始まることを伝えるような、
暗闇に出口を教えるかのような、そんな慈しみを感じます

咲く季節も2月末頃で、関東地方じゃ雪が降り、寒さが厳しくなるのが2月です
そんな2月の寒いけど真っ青な空の下に満開にさく梅は、
「あと少しだ、大丈夫だ、もうちょっとがんばろうね」と励ますかのようです

また、梅は桜とちがって、あっさりとは散りません
1枚1枚と花びらがおち、しっかり萎れていきます
その枯れても枝に残る様が、生に執着する人のようで悲しみを感じます


慧海は、桜が、特に散り際の花吹雪が舞う桜が大好きです

華やかさと、寂しさを一緒にかんじながら、
盛衰、生死が一緒であり、大きな木としては何一つかけることのない
そのままの自然を感じ、慧海もかくありたいと思うのでした

桜に比べて地味な梅に慧海はそれほど関心をもっていませんでした
とはいっても、ここ数年、地元の梅園に行っては梅と青空の写真をとってました

ところが、今年は、梅がなかなか咲いてくれません
感覚的には春が来ないのです
暗闇の中で迷子です
困ったもんですw


そしてやっと咲いたというので、梅をみてきました
午前中は雨だったのですが、14時過ぎから晴れてきて15時過ぎには真っ青な空です

ああ、これなんだな

青空の下、満開に咲く梅をみて、慧海の中でやっと春が始まりました

桜吹雪のような分かりやすく物悲しい無常の説法ではなく、
暖かさのなかで無常と慈悲を伝える梅の説法をやっと聴くことができました


桜とちがって梅をみにくる人にご年配者が多いのは、静かな慈悲が
しみるからなのでしょうかね?



今日、地元の梅園で遅い梅に癒されたので書いてみましたw

南無阿弥陀仏

2012年3月20日火曜日

仏像の彫り方

地元で仏像の彫り方について説明してくれる
2時間の講座があったので参加してみました

仏像彫りの良いところや、ポイントから始まり、
彫刻刀等の道具について、そしてどう彫っていくか

最後に実際に手を彫っているところを見させて頂きました

だいたいの輪郭がみえてきた後は、
こまめに彫っていくと出来ます ということで、
急に完成品になってしまうんで、そこに壁を感じます

あとは、彫刻刀を研ぐのが壁っぽいですね


地元のお寺で、教室を開いているらしいですので、
本格的にやりたくなったら、参加してみようかな

2012年3月18日日曜日

戻ってきました

大阪から戻ってきました

土曜日は新幹線の間に合う時間を大幅にすぎてから開放され、
宿もチェックアウトしちゃったので、大阪に転勤になった
後輩のM谷さんと朝まで飲んでましたw

彼のいきつけの、タコタコキング というお店で
たこ焼きとか、お好み焼きとかを頂きました

大阪のたこ焼きはおいしいですね~
ソースもおいしかったですが、塩がまたおいしかった~(≧Д≦)


朝じゃ新幹線はあってもお土産が買えないので、結局
6時過ぎに、サウナ&カプセルに泊まって…二日酔いで
遊びに行く気もなくなり、土産を買って帰ってきました

疲れ(仕事&呑みでw)でフワフワした感じがしているんだろうと
思ったのですが、血圧はかってみたら、やっぱり高くなってました

歩きも殆どしなかったし、ノートPCで仕事してたから肩がこるしで
ストレス以外に肉体的に血流がわるくなっていそうなので、
ストレッチとかして、次の診察日までに下げておきたいものです

薬が増えちゃ困るんでw

2012年3月15日木曜日

大阪出張

今、慧海は大阪にいます

もちろん、仕事ですw

火曜の19時頃に上司から電話があり、明日大阪に行け!
とりあえず、土曜までは泊まりの準備しておけ と・・・

そこから大慌てで準備し水曜の14時にお客様先に・・・
で、慧海は何時から何をするんですか?w

一応、30分ほど仕事して、あとは待ち…
そして、翌日、朝から作業があるからと言われてきたのだが、
やらなくてよくなった ということで待ち・・・
とりあえず、なんかしてみたけど、とうとう暇に…
暇でも帰れず、夜遅くまで居ないといけないという面倒な環境…

本来やらなきゃいけない、別のお客様の仕事があるのですが、
それを別のお客様先でやるわけにもいかず…
待ちなら、ホテルで仕事させてほしいなぁ~w


最近は、家でも外でもインターネットにつながりさえすれば、
会社のMyPCに接続できるので、文書を書いたり、プログラム作ったりするには
まったく困らない環境になりました。
会社貸与の携帯は、会社の内線及び携帯どうしの内線が使えもします
なので、ネットにつながる自宅やホテルは、3gよりも快適に仕事ができるのですw


そんな感じで、大阪にいるんですが、東京に居るときとあまりかわらない
環境を操作しています。

とはいっても、物理的に何かをしないといけないとか、
複数人でぐちゃぐちゃしたコミュニケーションが必要な場合は、
その場にいくしかない訳です
それが、1日30分でも…(泣)

せめて、呑みでもあればいいんですが、それもなく、なんともツマラナイ出張です


そういえば、連泊4日の出張は、復職後初です
あっても日帰りとか、一泊位でした

出張中に何かあっても…ということがなくなったから
出張にもいけます

薬は飲まないといけないですけどね
勝手にやめられませんから・・・

2012年3月11日日曜日

一ヶ月過ぎてしまいました…

前回記事を書いてから、一ヶ月過ぎてしまいました

kirinnさん、ありがとうございます。一応慧海は元気ですw


インフルの後から、読書スイッチが入り、一ヶ月で20冊ほど
よみあさってました

友人のG猫氏から読めと進められた、竜馬が行く8冊、
五木親鸞の中年期2冊、そして健康系の本をあれやこれやと…

高血圧を下げて薬を飲まない生活にしたいなぁと思い、
あれやこれやと読んでました
ヒートショックプロテイン入浴やら、頭皮マッサージ、
ふくらはぎマッサージに、血管マッサージ、
そして、神経のつまりをとるピンポイント療法等
お金のかからない健康法っぽいものを片っ端から…
ついでに、断捨離なんかもよんでみたり…

全部図書館から借りてますんで、金かかりませんw


義父の法事もやったし、得信寺の勉強会にもでました
すすめられてた、得度は今年はうけない ということできまり
来年にはうけられるように、声明の練習は継続で…

ついでに、しばらくやってなかったモンハンも再開して…
飲み仲間のM氏と数ヶ月ぶりにお酒飲んだり…

と、一見元気そうにかいてますが…

無気力です!

降圧剤で下げすぎているらしく、薬の量が減ったんですが、
やっぱり無気力です
鬱病だと、考え方も狂うらしいので、鬱ではないだろうと
いうことでしたが…ずっと狂ったままな気もしなくもないが…w

土日は読書して眠くなって寝る…そんな感じで一日すごしてます

仕事もあまりすすみません

そういえば、ちょうど一年前の地震の後から
不調になりましたね

時期の問題でもあるのかもしれませんが…

あったかくなって、陽にあたればうごけるかなぁ

2012年2月11日土曜日

弥陀の願船の上で迷子?

頭が騒がしいのと、運動不足なので、散歩をしていた
何分かたったあたりから、足の裏で大地を踏む感覚を取り戻し始め
そして、体全体で歩いている感覚が戻りだしてきた

最近忘れたたナァこの感覚…と思いならも歩いていると、
キン と音のようなものがして、騒がしかった頭が急におとなしくなった
頭に溜まってた血が体に落ちたような、そんな感覚もあった
急に頭と肩が軽くなった

頭はなにやら動きつつも、そのまま歩き続けていると、ふと思った

この身体が感じている今だけが真実で、この騒がしい頭は妄想なんだ

ああ、なるほどねぇ
なんて思いつつも、そのまま歩き続けていると、
頭と身体か別々に勝手に動いている感覚がでてきた
今までは、頭と身体の反応を主体的に観察している感覚でいたのだが、
今回は、主体的ではない感じで、頭と身体でまったく別のことをしている
慧海の中に慧海が二人いるみたいな感じであった

で、身体の方でいうと、冬の寒い風を頬と耳にあて、冷えを感じつつも
この天地自然の中で、慧海はもう、どうにもならない
自然のままで、イツ果てようと問題ない
だから、もう何をしても大丈夫 みたいな感覚でいる
生かされているというか、今は生きているというか…そんな感じだ
その感覚の上で、頭は別物として、感じている感覚に言葉を与えて
ああでもないこうでもないと考えている

そんな頭が面白い事に気づいた

少し前にこのブログのサブタイトルにこんな事を書いた
「弥陀の願船はどこに行けば乗れるのでしょうか?
 そこに行き着く為に、陸路を迷いながら旅してるんですw」

どうだかはわからないが、慧海は既に願船に乗っているのかもしれない

慧海は既に仏を忘れられないし、この自然の一部的な感覚は賜りものだろう
そうすると、誰かに導かれて知らぬうちに願船に乗せてもらっていたのか?
それに気づかず、弥陀の願船の上で迷子になっているんじゃないのか?

いまだ、浄土・彼岸には到着していない弥陀の願船の上で
どうしたらよいのかと、迷っている
頭の中に引きこもり、船の上に陸路を探してさまよっている

そんな妄想が沸き起こってきた
そんな妄想も楽しみつつ、足の裏の現実を踏みしめながら散歩をしていた

未だ歓喜地を知らぬ(と思っている)が、この足裏を感じている限り、
慧海はそのままで何があっても大丈夫なんだろうなぁ

そんな感じがしている

南無阿弥陀仏

2012年2月7日火曜日

南無阿弥陀仏とは:追記

インフルエンザが治ったら、こんどは蕁麻疹が…全身痒い…

数日前に南無阿弥陀仏について記事をかいたら、
全休先生が、「お念仏がでない」で何故念仏ができないかを書いてくれていました
全休先生の言葉がグサグサと刺さってきますw


このままじゃ、念仏する人が減って、阿弥陀様が暇になっちゃいますねぇ
今の日本仏教で救われる人ってどの位いるんですかね?
「助けて」と言う先を知っているだけ、慧海ら無信心門徒は幸せかと

2012年2月6日月曜日

食べるを観察

慧海は、隔離ということで、この数日食事も寝室でとっています

ベットの上にしかいないのにお腹はちゃんとへるんです

酒もないですし、誰かと話をするわけでもないですから
ささっと食べ終わっちゃうんですが、一人な分頭の中が見えてきます

食事をしているのに、食事と関係の無い事ばかり考えて、
なぜか、イソイソとたべているんです
まるで、空腹に耐えられなかった所にやっと食事にありつけたような
そんな感じで胃に流し込むんです
それでいて、頭の中はまったく別の、たとえばさっきまで読んでた
本の内容について考えているんです

で、満腹になった気がしない

そりゃそうですよw
頭の中じゃ食事してないんですし、ささっと食べたら
体だって食事した事にならないんですからね

一応、何を口にしているのか、どんな感じの味と歯ごたえかは認識していますし、
ろくに噛まないで飲み込んでいる事も気が付いてはいるんです
なので、頭の中がまったく別のところに行っている認識は殆どなかったんです

たしかに社食で一人でたべていると、仕事の事を考えながら
食べていることは気づいてましたが…びっくりです


で、いそいそと食べる必要もないので、食べる事に意識を向けて食事してみました

自然と噛む量がふえますし、どんな味、歯ごたえかがより詳しくわかります
そして、舌がよく動くことに気づきます
噛むためには噛んで歯から出てきたものを頬と舌がもう一度歯の間に戻してました

両方の歯で噛む場合、慧海の場合、舌は右の歯に食べ物を押し込んでから、
左に移動して押し込み、噛むときは舌先がちょっと浮いているみたいです

食べ物の味が変わることはないですが、それぞれの食べ物の
味と香りがすることに改めて気づきます

頭が何か考えることに違いはないですが、目の前の食べ物の事
を考え、舌の動きを感じたりする方が食べた気になります

1回だけじゃなく、毎日の食事をもっとゆっくりと味わいつつ
よく噛んで頂きたいものです

最近、胃腸もよくないので、良く噛まないといかんなぁと思っていたので…w

あ、そういえば東京駅の寺カフェ6日までだ… インフルで行けなかった~(TxT)

2012年2月5日日曜日

南無阿弥陀仏とは

インフルは熱がさがっても数日隔離が基本
急にできたこの入院患者のような暇な生活で佛書を読みつつ考えてみた


今更ではあるが、慧海は「南無阿弥陀仏」という言葉がわからない

住職は「なんまんだぶつ がわかれば勉強なんていらんよ」というのだから、
普通の衆徒門徒にはわからんのだろう

慧海がわからんのは、そういった難しそうなことではない

なんで「我が名を称えよ」といわれて「南無阿弥陀仏」なのか
「我が名」は「阿弥陀」じゃないか と

南無とは帰命である
帰命は全てをお任せすることだ という

それ、名前じゃないじゃん


南無阿弥陀仏とは阿弥陀の本願を名号とした とか言うのもある
このままじゃ、さっぱりわからん
本願の心を名詞化して、それも南無阿弥陀仏だということか?

逆向きの表現だと
一切を救うという本願を信じ、救いたまえと弥陀仏にお任せする、
その心を言葉にしたのが南無阿弥陀仏だとか
既に救われた、報恩の心を言葉にしたのが南無阿弥陀仏だという

これだと、名前ではなく誓いの言葉みたいな感じがする

やっぱり南無があるから、名詞にならない感じがするのだ


で、現実ではどうかとかんがえてみた

慧海が誰かに「困った事があったら僕を呼んで」という
実際に困った事があったら「慧海さんちょっと助けて~」とか呼ぶだろう

ああ、そうか

呼ばれる側は、呼べとしかいわないが、呼ぶ側は名前だけ呼び捨てしない
上司からなら課長とか部長とかつけて呼ぶだろう

慧海=名前=阿弥陀
さん:部長=敬称?=仏
助けて=気持ち=南無

ということになるんじゃないのかな?
そうみると、南無が入っていることが普通だな


南無阿弥陀仏は本願の心の名詞化という事の法は...
本願の心となると、弥陀仏側になるんだろう
そうすると南無という心は、お任せします ではなく、任せてくれになる

ああ、なるほど。 昨年の法語カレンダーにあった
「帰命とは本願招喚の勅命なり」 とはこの事なんだな

佛の擬人化は誤解を招くので、あえて慧海で表現すると
「慧海がなんとかすっから、全部任せろ!」
ということになる

たぶん、そういうことなんだろう


で、言葉を頭でわかってみても、問題となる全部お任せします
の心がわからなきゃ、南無阿弥陀仏がわからないw

頭で理解できなきゃ、なんまんだぶつ が口にできない時点で慧海は
お任せできてないって事だろうね
しょせん、自力から出てないってわかってる。でも、なんかすっきりしたw


では、次は本願を頂きたいものだなぇ
17、18、19、20 あたりと、必到滅度の願とかかな?
言葉通りにみると余計にわからなくなる真宗
大谷派の先賢の言葉があって、やっと日本語として聞ける
これが染み込むようになるには、何年かかるやら...

南無阿弥陀仏の懸念がなくなるのに4年以上かかったんだからねぇ
それも頭で理解しただけで、それでいいとすら思っているんだから…

慧海の信心獲得は、まだまだ先ってこった

心の底から、南無阿弥陀仏と言いたいものだねぇ...

2012年2月3日金曜日

インフルエンザ

インフルエンザにかかって会社を休んでいます

熱が下がると暇なんですが、頭を働かせる気にはなれず、
スマフォでブログかいてます

慧海は今回、初インフルです
子供の頃から幾度か高熱をだしたことはありますが、検査技術の問題か
インフルエンザ感染症と診断されたことはありませんでした
子供や家内が感染してても、うつった事はなかったんです


リレンザを処方され、昨晩吸入しただけで朝には熱が下がってました
解熱沈痛剤使っちゃったもんだから平熱以下になっちゃってます
扁桃腺で高熱出すよりあっさりしたものです
今の技術はすごいですね

こういった敵を倒す技術はさすが西洋文化といったところでしょうか

東洋医学的な見方をすると、
慧海の体はインフルエンザウィルスを利用して高熱を出す必要があった
ただの風邪では力がたりないのでインフルエンザ風邪になった
ということになります

ここしばらく滅入っていた気分が、高熱のお陰か晴れやかで、
お腹もすきますw
癌すらも消すインフルエンザですからね
すごいもんです

でも、あっさり殺菌しちゃいましたw

逆に低体温状態で、喉がとても痛いので
また熱がでるかもしれません
今度は扁桃腺風邪として...

人の体は不思議なものですね

2012年1月16日月曜日

全休先生とオフ会してきました

今日、全休先生にお会いしました

眼光鋭く、体つきの大きい怖い感じの方を想像したのですが、
体つきは大きかったですが、温和な空気をまとった方でした。

でも、佛教のお話をしてる時の眼鏡の奥は厳しさをもった眼でした

19時から23時過ぎまで長々とお付き合いいただいて、
色々とお話をお聞かせいただきました

早急に頭の中を整理して、ブログにメモっておきたいと思います

全休先生、大変ありがとうございました

2012年1月7日土曜日

全休先生とオフ会

15日に全休先生とお会いできる事になりました

年末のご挨拶時に慧海もお会いしたいとお願いした所
ご都合をつけていただける事になりました

2007年に全休先生のサイトに出会い、
記事を通して色々と教えて頂いてきましたし、
年数回のメールでも大事な事を教えて頂いてきました

お会いして何かを教えて頂きたいという事ではなく、
ただお会いし、感謝をお伝えし、そして、
全休先生という佛を感じられたらいいな と思ってます

慧海が佛を感じ取れるようになっていなければ無理なんですけどねw


場所は、慧海が毎年旧友達と新年会をする土地で、
高校時代に3年間乗り換えを続けた、なじみ深い駅です
まさかそこで全休先生とお酒を酌み交わせるとは思ってもいませんでした

さて、どんなお店がいいかちょっと下調べしておこうかな~♪

2012年1月3日火曜日

本年もよろしくお願いいたします

正月休みも終わりです
正月過ぎると関東地方は寒さが増します
寒いですけど、空がきれいです
カメラ持って、空と花の写真とかとりたいですね
寒い時には寒い時なりに楽しみがあるものですよ

次の大型連休はGWです
その頃はあったかいことでしょう
次のリフレッシュポイントまで、なんとかやっていきましょうかね~

そんな感じの慧海ですが、本年もよろしくお願いいたします