2012年4月22日日曜日

花まつり法要


今日は、お寺の花まつり法要ということで、昨日は昼過ぎから、
今日は、昼前からお寺のお手伝いをしてきました。

先週は大阪の仕事して東京にいなかったりしたんですが、
金曜の夜に帰ってきて、土日とお寺です

お寺では、ビデオ係というのが慧海の役割なのです
花まつり法要は、お稚児さんによる献灯顕花をやるので、それをとるんですが…
不公平のないように、よその家の子をとるのは難しいっす

  もちろんビデオの前に法話用のカメラのセットと配線して、隣の部屋でみれるようにもします
今回は人が少なかったので、隣の部屋はなくてもよかったんですけどね
永代経と報恩講は人が結構くるんですが、花まつりは人がきません
前回は、講談と落語だったんでまだ人がきましたが、今回は法話だったんで、
永代経、報恩講でも法話の前に帰っちゃう人がいるので…関心がないようです

今回の法話のお坊さんは、面白い話をしてたんですけどねぇ…


ちなみに、前日には本尊の回りをお祭り仕様に飾り付けたり、
絨毯ひいて、掃除機かけたりと、アレやコレやとやってます

雨がふりそうなので、天幕みたいなのを作ったりもして…
19時位まで準備してました
遅くなったんで、お寺で夕食がでましたけどねw


そうそう。外陣の横に一時納骨場所があるんです
お墓の改修に際して、一時的に移しているんだそうです
白木の位牌と骨壷が入った箱が棚に並んで普通においてあります
その奥に荷物があったりするんで、法要の準備では納骨場所の前を通ります

帰敬とかする前に、「そこにお骨があるんですよ」なんて話を聞いたとき、
なんか怖いような気持ちわるいような気がしたんですが、色々と勉強して、
いかに自分が妄想で生きていたのかを知るようになって、そして、
お寺のお手伝いなんかもすると、そういう感覚がなくなってきたようです

あると思わないところに骨壷がおかれていると、びっくりはしますけどね
掃除でいった際とかで、外陣においてあったりとかしてましたから…

婦人会の大ベテランさんでも、納骨場所には入りたくない という人もいるので、
お寺のお手伝いをしてれば慣れるってもんでもないようですけどね


次の法要は、6月17日の永代経法要です

全休先生の勉強会と同じ日でした
お声をかけても頂いたので、参加するつもりでいたのですが…残念です

永代経と報恩講は2大法要ですんで、今となってはお休みしにくいですからねぇ

2012年4月15日日曜日

さてどうしよう…

全休先生主催の「歎異抄を勉強する会」が開かれるという記事が4/4にありました。
即、参加しょう! と思ったものの、会社だったので送れませんでした。

で、その後歎異抄を勉強する会のブログコメントの数々を思い出すと・・・

真摯に歎異抄を学んでいない慧海にご同朋とお会いする資格はあるのか?

という気になってしまい、今も悩ましい感じです


都内なので、参加できるし、全休先生のお話を聞いてみたい気もあるのですが
サイトをみると…皆さん歎異抄を読み、疑問を持ち、学ばれている
方々のようにお見受けできますので、ちょっと気後れしてしまっているのです

数年前の慧海なら、気後れすることなく、参加させて頂き、
わからん、わからん、教えてください と言っていたかもしれません
今だからこそ、気後れしてしまうんだと思います

「勉強会します。きますか?」

慧海は、この問いに答えられないでいるんです
ただの考えすぎと思うでしょうが、これは私への問いなのですよ

歎異抄というきっかけを通して、慧海自身が自らをみつめる念仏がないならば、
ただ書かれている事の「好きな言葉」を聞きにいくだけになってしまう
もしくは、皆さんにとっての好きな歎異抄を聞く事になってしまう

勉強するのは、歎異抄ではなく、慧海自身についてだろう
ならば、犀の角のように… とも思う

それとは別に、感情として、生全休先生のお話をきいてみたい


・・・学ぶとは何をか


さて、どうしようかなぁ

金剛の信心の無いものは口をつぐむしかない というのだから
黙って拝聴だけしにいくかなぁ…

うむむぅ