2013年12月30日月曜日

1年の振り返り


明日は大晦日です。
なので、1年をふりかえってみようかと。

今年は色々と変化がありました。

・本願に帰すという気分をあじわいました。
・営業支援の出向先から本籍のSEの会社に戻りました。
・SEとして、商談支援の研修を半年間受け、商談支援が主業務っぽくなりました。
・主治医から「鬱は完治」と言われました。
・やるべきことをやるだけといった感じで、腹がすわりました。
・酒をのまないでいられるようになりました。

こんな感じですが、全てが自分が意図して努力した結果ではないのが
不思議なところです。
仕事関係はおおきく変化をして、色々と悩ましい日々を送ってたんですが、
色んな人が色んな思いをもって慧海と接していただけたおかげで、
仕事をしていないのに、仕事をしている風になっています。

この1年と昨年の違いは、仕事において未来を考えることですね。

拗ねて、いじけて、やるべき最小限の作業だけをする仕事をし、
佛教の勉強ということで心の反応だけに関心を向けてました。
営業支援の仕事はそれでも仕事になっていたんですが、
売るものがきまっていないSEの仕事では、最小限の大きさが違っていました。

しょうがない、やるか!

と思い、仕事をし始めてみたら…知識が足りません。
あれやこれやと、わからないことだらけです。
誰かに教わろうにも、元同僚ではわからないとのことで、
自分の会社だけど、合併とかあって会社の人脈がもう残っていない状態でした。
わからなくても、なんかしないと終わらないので、ベンダーに聞いたり、
セミナーに行ったりしながら、やれる事をやってみました。

そうこうしていると、「未来の為に何をしておくか」と考えるようになりました。
病む前は腹黒くそういう事を考えておく事が自分の価値のように感じてました。
それが、空回り思考になって苦しみだしてからは、思考を止めるようにしました。
今年になって、 「今やる事として、先の準備」の感じで先を考えるようになりました。
欲求を元にしないから、空回りしません。

でも、読みがあたるかどうかは楽しんでます。
というか、仕事自体遊びというか、楽しむ感じでやれるようになりました。
苦手な仕事は他人にふれるなら振ってしまいます。
実際は、フリ先がなくて自分でやる事が多いんですが、手間がかかるだけで
それ自体はどうとなくやります。めんどうですけどねw
直行直帰は多用して、週に1日しか自社内にいない事もショッチュウです。
その位、気楽にというか、手抜きで仕事してます。

でも、昔の部署の上司達に対する逆恨みは消えてないですねw
話でもすれば消えるんでしょうけど、こっちからは話しになんか行くもんかという
気分も含めて、逆恨みってことなんですよw


いままで毎日欠かさなかった酒も飲まない日が週に半分位になり、
飲み会でも泥酔するほどはのまなくなりました。
ソフトドリンクを飲んでいることも増えてます。
今は飲み好きの人たちと仕事していますが、その人たちと仕事しなくなると、
きっと飲んで帰る事もなくなり、殆ど酒をのまない日々になるのかも知れません。


来年は、どんな風になっていくんでしょうかね?
弥陀佛のお育てのままに・・・と、いうことでw

皆様、今年もお世話になりました。
来年も宜しくお願いいたします。


2013年12月28日土曜日

慧海とタバコと救い


以前、坊守さんから
「苦しんでない人は救われないと思うか」
と聞かれたことがあります。

苦しんでいる人ばっかりが救われるって話が多くて、
苦しんでない人は救われないみたいじゃないか と
苦しんでない人だって全部救うんじゃないのか と

慧海の頭には、

救いってなんだと思いますか?
苦しんでないのに、助けて欲しいっておもうんですか?

そういう質問がでてきたんですが、
その時は口にすることができないまま、頭に残っていました。

この問いは、喫煙と禁煙ににてるのかな?なんて思いました。

喫煙してない人には禁煙の苦しみがわからない
喫煙してても、やめようと思わなければ禁煙の苦しみはわからない
タバコの衝動にふりまわされ、最後のひと箱、最後の一本と思いながら吸い続ける
無理やりやめても記憶に残って恋焦がれる

そういう人にとってタバコの衝動に呑まれないことは救いなんだと思います。

喫煙を努力とか願望とかに置き換えてみてもらえば佛教の話しでしょw

私はこの考えでいいんだと、自分にいいきかせている人は
そう思わせているいるものが何かとを見つめることはないでしょう。
そういう人が思う救いとは、私の考えを肯定してくれるものなのでしょう。

タバコを止めたくない人にとってはタバコをやめる必要がないと言ってくれて、
金額を下げてくれる事が喫煙者にとっての救いなのだと思います。

亭主師の言う、感情とお勘定の話しを思い出します…。


そんな事を考えた結果、慧海自身がタバコに恋焦がれながら
8年間禁煙を続けていることを再認識しました。

重度高血圧症で、禁煙を医師から強く指示され、いつかやめようと思っていた
事もあり、禁煙本のメソッドに従ってなんとか断煙できました。
生活リズムの中に喫煙がふくまれていたので、タバコを吸わないことは
生活リズムを変えることにほかなりません。
結局、現実ですわないだけで夢でなんどもタバコを吸い続けていました。
息苦しさを感じると、タバコを吸う夢をみると気づいたのは、半年ほど前です。

やっと慧海は過去を否定せずにいられるようになりました。
いろんな衝動と向き合うことができました。

そんな時に救いとタバコの喩えがでてきたので、
タバコを1本だけ吸えるかと自問してみました。
答えはNGです。
苦労してやめたのに、タバコがおいしかったらまた吸いたくなる と。
じゃ、酒はどうか…
酒はもう衝動で飲んではいないので、大丈夫だと感じました。

タバコへの執着が現実離れをしている事がわかりました。

クリスマスの日、忘年会のさなか、昔話をしている間にタバコが1本回ってきました。
ふと吸ってみようという気になり火をつけました。

8年ぶりのタバコはうまいなぁと口にしながらも、
こんなもんだったのか…と思いました。

最後に吸ったタバコよりも強いタバコでしたが、咳き込むこともなく肺に入り
ため息とおなじように吐き出されました。

高血圧でドクターストップかかってから8年ぶりだよ と話したら
まわりから急に吸うなと止められて、3口吸っただけで消してしまいました。

その後にも想像してたような衝動は、まったくありませんでした。

やっとコレで愛しかったタバコと別れられます。
もう、ただのタバコです。

本当の最後の一煙は、2014年のクリスマスに美人のサンタさんから頂いたモノでした。

新しい思い出と共に、ひとつ執着がなくなりましたw


世の中、なるようになっているものだと、畏れ入るばかりです。

2013年12月27日金曜日

久々にヲタな話


娘Typeの付録のマウスパッドを入手した。
ストライクウィッチーズ零のアレである。

これは、あのマウスパッドに空気の変わりに保冷剤をいれた報告である!w

※あえて何かは書きませんw わからないひとはスルーしてください。
  この記事が検索ででてきた人はわかってるはずですので…



手順書に従って注射器で空気をいれてみたんだが、どうもうまくいかない
スカスカな感じだし、すぐ抜けてしまう感じだ
そこで考えてみた・・・

保冷剤の中身入れたらいいんじゃないか?

本来空気いれるんだから、水が入っても大丈夫だろう
穴が開いてても、水みたいにもれてしまうわけでもない
空気よりもホールド感(つまり感触)がいいはずだ!

と、いうことで、保冷剤をいれてみた。

保冷剤の端をきって、注射器で吸ってみようとおもったが無理
よく考えたら、棒をはずして中に保冷剤を流し込めばいいだけだったw

それで数回流し込むと、徐々にふくらんできた
空気とちがって抜ける感じも無い
押してみた感じもわるくない

これはいける!

小さな保冷剤の2/3ほど入れたあたりで、流し込みにくくなった感じがした
でも、どの程度いれればいいのかわからず、そのまま流し続け
2つめの保冷剤もあけて流し込んでみた

結果、注入口の反対側から保冷剤がはみでてきた…

どっかが破れてもれているようだ
とりあえず、 軽くおしだしてもれたらしい部分をはみ出て所から排出結構な量があふれていた…

う~ん。失敗したなぁww

どこがやぶれて、どうなっているかはみていない
中身がもれつづけているのかもしれないが、とりあえず使えている

このまま使って、やばくなったら浮き袋部分をとりだして修復するとしよう


破裂しない程度なら空気より良いとおもうので、保冷剤はお薦め!



雑誌付録のマウスパッドじゃなく、製品だったらどんな感じなんだろうと気になりつつも
その一線はまだこえられない…

実際問題、付録だろうとこんな既にそれなりのヲタ
思春期の息子に冷ややかに見られる日は遠くないと思うw


追記:
穴から保冷剤があふれつづけるので、木工用ボンドなどで修復した。
どんなボンドが適切なのかがよくわからなかったので、とりあえず木工用
実際、入れすぎたら漏れ出してきたので、追加補修。
保冷剤の水分でボンドが乾かないから、合ってないんだろう。


2013年12月20日金曜日

今月のお育て報告


前回書いてから、ひと月が過ぎてしまいました。

慧海はこのひと月、実にノンビリと過ごしています。

欲望のままに過ごしているのにノンビリです。
上司のむちゃぶりやバカな話にイラついているのにノンビリです。
風邪やら尿管結石やらに苦しんでいるのにノンビリです。

なんか、腹がすわったというか、
どこにも行きようがない感じというか…
なんかそんな感じで、自分と自分の回りの事に振り回されなくなりました。

救いを求め、あえぐように仏書を読む事もしなくなりました。
誰かに認めてもらおうとする気持ちも空虚になりました。

なんといえばいいのか…

心の問題、佛の問題を頭で考える事すらしなくなりました。

直感的にいろんな思いやら思考やらがでてはきます。
それは昔とかわりませんし、思いに思いをかぶせてみたりもしてます。
悪い心を隠し、良い人間を演じようともします。
ただ気づいているだけで、そのままやってます。
その場は気づいていても、一つ一つをどんどん忘れていきます。
思い出す必要があれば、思い出すときもありますが、それもその時だけです。

これが、 実に楽でいいんです。

全休先生のTwiiterで
「今起きているすべてのことに文句がない、このことを安心というのでしょう。」
という言葉がありましたが、そんな感じです。

心の問題を考えなくなったかわりに3つ変化を感じてます。

1.努力はすばらしいと思える
2.小説、漫画、アニメに感動できる
3.過去の心に振り回されていた自分を宿せる

この3つは実は1つのことで、自力を喜んでいるんです。

心の病になって、真宗を勉強して、自分をみつめて…
結果、世の中を悲観的にみて、努力とか感情とかを無駄なものと感じていました。
欲望を原動とした感情にふりまわされ努力する姿は自分のようで、嫌悪を感じていました。
そんな自分の姿を見せつけられて気づいたのは、佛教という思想に逃げていたということです。
佛教を頭でとらえて、そこに理想を描いて逃げていたんです。
わからない事に理屈をつける事をやめました。
心の問題、頭の問題を言葉で考える事をやめました。
わからない事が、わからないままになりました。
気がついたら、腹がすわってましたw。


慧海のリアルでは、慧海が仕事をしやすいようにいろんな人が動いてくれています。
拗ねて、後ろ向きな発言ばかりしているのに、なぜか、慧海の働き場所を用意してくれます。
逆恨みが消えた訳ではありません。
逃げ根性がなくなった訳でもありません。
格好つけて、できないことを無理してやろうとかいう気もありません。
働き場所を用意してくれた人に答えたいというような気もありません。

でも、拗ねて部屋にこもるのをやめて、「あそぼ」と誘ってくれている人と遊ぼうと思います。

佛教哲学は引きこもるには心地良いです。
でも、ちゃんと地面に足をつけて、人生を遊ばないと本当の佛教じゃないんじゃないかな?

今見れば、誰もが欲望に駆られ、飢えながら、あえぎながら、苦しみながら
「俺はここにいる」という事を知らしめんと、戦ってます。

組織職も、若手も、中堅も、少年も、老人も、それぞれが、とても苦しそうです。
現実だけでなく、そういう事を書くストーリもとても痛々しいです。
でも、それが悲しく、いとおしいと感じます。
自業自得だこのバカめと、イラつきながらも、泣けてきます。

そんな人たちが、慧海を遊びに誘ってくれてます。
そんな彼らと一緒に遊ぶためには、昔の慧海であり、
自分で勝手に否定し、捨てようとした自分が苦労無くできる
仕事のスキルを使うのが良いようです。

努力してできないことは無いと思っていた頃の慧海。
その頃に戻りたいと思って、戻れないなら忘れようと思った頃の慧海。
なんてことはない。
戻るとか戻らないとかじゃなかった。

ただやれる事をやれるやり方でやるしかない。
それが昔学んだスキルだろうが、最近まなんだスキルだろうが、
これから学ぶスキルだろうが関係ない。
しっかり大地をふみしめて、やれる事をやるだけ。
目の前でもがいている人と一緒にすごすだけ。

彼らの苦しみは全て慧海と同じ苦しみ。
慧海には誰かを救うことはできませんが、同じ苦しみを感じることはできます。
むしろ、慧海の苦しみを呼び覚ますために、彼らは苦しんでいるとさえ感じます。
諸仏の皆様には、本当にかたじけない事です。

苦しみの末に、その中の一人でも念仏を称える人になるのなら、
それは喜ばしいことだと思います。

「思いがそのつど成仏する南無阿弥陀仏」(By全休先生)

思いから抜け出すために思う事をやめる。
思いを弥陀に捧げる念仏。
頭でわかってから、5年がすぎました。

11月からは色々苦しみながらも、本当にノンビリですw

帰命尽十方無碍光如来