2014年5月31日土曜日

スルスルかけるペン


亭主師の、太字ポールペンでスルスル書くという記事をみて思い出しました。

力を入れないでスルスル書く道具である万年筆を、ダイブ前から会社の人に薦められてました。


慧海には「私のこの一本」みたいなコダワリをもった万年筆好きな人たちが
飲み仲間の同僚にいます。
彼らは「一本会」と自分たちを名乗り、お気に入りの一本を持ち歩き万年筆のよさを伝えます。

そのよさを教わり、使ってみようかと思うのですが、つかってみたこともないので、
どういうものをチョイスすればよいのか悩みます。
ボールペンでいえば、極細が好きで、太いのが嫌いなのですが、
一本会は太字派ばかりでなかなか参考になりません。

ベテランのアドバイスもきいてみたいのですが、一本会 会長は、震災の関係で
仙台に異動してしまって、気軽に万年筆探索にはいけない状況でした。

その一本会 会長が6月から東京勤務に戻ることになりました。

異動して、ご両親の生活安定に向けては良かったんですが、
仕事の関係で、適応障害を起こし、休職してしまいました。

今回復職にあたって、東京の部署に復職ということになったようです。

壊れて、休んで、自分の頭の声が聞こえるようになって・・・復職。
慧海と同じ方法ですが、メンタルヘルスには有効な手段のようです。

戻ってきた彼から万年筆のうんちくをききながら、酒を呑むのもよさそうです。

もしかすると、壊れる前よりコダワリがなくなってしまっているかもしれませんが・・・





2014年5月30日金曜日

正しいという間違い


記事がつい長くかいちゃうので、短く分かりやすくかきたいものです。


自分が正しいって信じている人との会話は疲れます。

正義の人はそのルールに合わない人を受け入れません。
受け入れないだけか、攻撃します。

なぜなら、相手が間違えているからです。

正しい事をするという欲望にかられて、間違った事に嫌悪します。
そして、自分を振り返る事がありません

こういうのを、貪欲・瞋恚・愚痴 の三毒というんでしょう。


誰かがルールを破ったとかで、注意しようと思ったら、自分自身に要注意です。

それは、正義という名の煩悩に支配されただけかもしれませんよ?w

2014年5月27日火曜日

奴隷でいいんじゃない?


「お客様は神様です」

日本の商業文化を代表する言葉ですよね。

CSといって顧客満足度を高めようという事を多くの企業がやってますが、
そのCSの大家は日本の商業文化をヒントにCSを考えたらしいです。

そんな日本の商業文化は、どんどん消えていってしまうように感じます。

日本の労働というか、多くの行為は、神事と密接な関係にあるらしいです。
農耕系でも狩猟系でも、神様からの頂き物という考えがあり、神様に仕える行為だと。
だから、根本的に仕事をする事が好きな民族なんだそうですよ。

それに対しキリスト教系の文化では、労働は原罪にたいする罰だと考えるようです。
また、羊飼いな文化においては、労働者は羊と同じだそうです。
犬に追わせて、狙ったとおりの道を歩ませて、育てて、食う。
そういう文化だそうです。 偏っった意見でしょうけどねw

そういう文化の違いをグローバル化という事で統一しようとする動きもあります。
ユーロのように統一しちゃうと、各地の差が吸収できなくなって困る事になるそうですが、
なぜか統一という理想を追い続けるようです。

そういう思想に侵略されると、企業の中でも統一を始めて、結果、君主が現れます。


「あなたのお客様は誰ですか?」

こういう質問は企業内では良くきくことばです。
特に間接部門で問われると、悩む質問です。

統一化君主がいるところでは、お客様は君主様になるようです。

彼が満足するものをもっていかなければ、自分の評価が下がる…。
社畜という言葉もありますが、まさに奴隷の根性です。

ご主人様のご機嫌とって、期待に答えていれば、食事の心配はない。
安定した暮らしが奴隷にはあります。元々働くのが大好きな民族ですから、神様のためじゃなく、君主のために働く
それだけの違いなんですよ。
 セッセとはたらいて、お給料を少しでも多く、周りの人より早く偉くなって…



慧海はそういう生き方が苦しくて出来なくなってしまいました。
ホント苦しい。
もういや・・・。
おなじ仕事なら、目の前で苦しむお客様に仕える仕事がしたい・・・。
でも、ローンや、家計を考えると、奴隷以外の道を選ぶ勇気はありません。

何が正解とかはわかりません。慧海にわかろうはずもない事でしょう。
その現実から、逃げ出さず、受けていくしかないのだろうと思います。
慧海の思いが、慧海を苦しめても、唯、今を頂きながら生きるしかないのでしょう。
違う道に行くときは、そういう風になっていくものなんだと思います。

2014年5月23日金曜日

ありがたい と思う


昔の慧海は「ありがとう」という事を滅多に言わない人だったんです。

無駄に高いプライドを持っていたので、感謝という気持ちが薄かったんでしょうね。
感謝を感じたとしても、照れくささと負けた感でやっぱり口にはしてなかったです。

慧海に限った話じゃなく、今は世の中が、だいたいそんな感じですよね?


仕事上の言葉やメールでも同様で、儀礼的な感謝の言葉を使っても、
ありがたいなぁ と思って使う事なんて滅多にないんじゃないですかね?

人は自分の事しか考えない生き物ですから、他人と利益が合うときだけ
他人にとって利になる事をしてもらえるものだと思うのですよ。


そんな人が、どん底に落ちて、地に足がつくと、天の高い事を知ります。

元居た場所まで這い上がるうちに、いろんなものが剥がれ落ち、
頭が下がる思いを多々してみれば、世の中こんなにありがたかったのかと思い知らされます。

そうすると、自然に「ありがたいな」って思うんです。

慧海に何かするのに、利があったのかもしれない。
慧海に何かしたら、その人が利を得ると期待された訳ですよ。
慧海をそのように評価し、認めたわけですよ。
それ自体、ありがたい事ですよね。

慧海は、他人の目を意識して行動すると辛くなりますので、
他人に心地よくなる事を意識して行動はしていません。
むしろ腹をたててもいいだろう行動をしています。

そんな慧海にですよ!

そんな慧海に何をみたんだ?と思うものもありますが、実にありがたい事だと思います。

皆様、本当に、ありがとうございます。

2014年5月21日水曜日

希望が厄災


ギリシャ神話のパンドラの箱って話で、以前は、

厄災の詰まった箱をあけてしまって、世の中に様々な災いがばらまかれたけど、
最後に希望が残った。よかったよかった

というように理解してました。

今思うのは、希望という厄災にしてやられた って思います。

そもそも、プロメテウスはなぜ希望を封印したんでしょうね。
彼は希望の危険さを知っていたんじゃないかと考えたくなります。

なぜ希望だけが残ったのか・・・希望はうまく人の元に入り込んだんですよ!w
人に巣食う希望・・・これが人を苦しめていくんです。

人生から希望が失われたと感じた時、希望が絶望に変わるんです。
絶望は希望の裏の顔ですので、絶望だけでは存在しません。

妄想による未来の希望に逃げ込むから、現実に絶望するのでしょう。
希望も欲望も、みんな妄想。

ちゃんと地に足つけて、今に意識をむけてれば、先々の事はお任せして
すごしていれば、厄災に悩まされる事はない無碍の道が待ってます。

病気にならなかったり、泥棒に入られなかったり、もちろんお金持ちになったりは
しませんけど、それに悩まされなくはなります。

それが喜ばしいと思えないから、誰もが希望を持ちたがるんでしょうけどね。

あ、そういえば、「天国は行きやすいのに、だれも行きたがらない。
人は好んで地獄にばかり行きたがる」みたいなことを街頭の聖書宣伝で言ってました。

みんな大好き希望の世界!

2014年5月20日火曜日

前向きは辛そう


慧海がお仕事でお世話になっている人で、よく怒り嘆いている人がいます。

自分の努力と正しさが伝わらない虚しさ、
そして自分が評価されない怒りというように感じてました。

それでも、自分の正しいと思う事をやり続けています。
伝われば大きな成果をだしますが、伝わらない事が多々あります。


その方は、相手の幸せの為と信じて、一所懸命考え、伝わるように文書を書き
正しいと信じた事を堂々と正攻法で熱く語るんです。

伝わると信じているんです。
相手はわかってくれると信じているんです。
それをやらなきゃ、自分は責任を全うせず、逃げていると考えているようです。
全体最適で、多くの人がどうやったら楽に仕事ができるかと真剣に考えています。

本当に、前向きでいい人なんです。ですけど・・・辛そうです。

本人は気づいていらっしゃらないので、辛いとは思っていないようですが、
相手に届かなかったとわかったときの姿は慧海にはとても辛く見えます。
わかってくれると信じ、期待しているのでしょうね。
わかってもらえないのは自分の努力が足りないのだと・・・


今や慧海は、後ろ向きで無責任ですので、伝わらない事を前提に考えますし、
うまくいかなくても、そのなかでよかった点を報告します。

怒らず愚痴らず、冷静に対応すると、前向きだというイメージをもたれます。

前向きに頑張っている人が愚痴って後ろ向きにみえて、
後ろ向きにサボっている人が、前向きに見える。

そういう世の中みたいです。

皆様、くれぐれも自分の立ち居地はどん底に置かれるのがよろしいかと存じます。
全てがありがたい事になりますからw

2014年5月19日月曜日

もっと軽くいこう


今年に入って、1件/月しか記事を書いていません。

ずっと、愚痴を書き続けて、最近はちょっと深く考えたつもりの愚痴を書いて、
そんな文書と共に、自分をみつめてきました。

このブログは今まで「慧海は救われるのか」といったような事に対する、
色々な気づいた事をぼやいてきたブログでしたが、今となっては
救われるのかとか、既にすくわれているのか などという事に悩みません。
難しい事を学ぼうという気もなくなってきました。

このままだと、何も書く事がなく、慧海の旅の記録が終わってしまいます。
ちょっと気分を変えて、 慧海の日々に入り込んだ仏教的な、
メンタル的な、そういう何かを書いていこうかと思います。

ツイッターよりは長く、という程度に気軽な心の話を書きたいものです。

ご縁がありましたら、お付き合いください。

2014年5月4日日曜日

5月になっちゃいました


色々と思いつくものがありつつも、文書化しないでいたら5月になっちゃいました。
とりあえず、4月を振り返ってみます。

3月31日が社長答申で、それにむけての資料作りが大変でした。

で、4月1日は、有給をとって桜をみに地元をフラフラと数時間・・・
青空と桜に癒されて、ノンビリ期初をすごそうとおもっていたら、
4月2日の会議で、慧海が2年ほどでまなんだ知識を文書化することが決定。
期初はノルマがきまるまで楽できるはずが、まったく楽にならなくなりました。

4月2日は、仕事の後お客さんでもあるG猫氏他と花見。
酔った拍子になぜかタバコを1本吸ってしまいました。
クリスマスで問題ないっておもっちゃったんでしょうね。
薄いナァとか口にしながら、普通に一本吸い終わる頃から目が回り始めました。
そういえば、酔った時のタバコは目が回るということをすっかり忘れてました。
目が回り、酔いがまわり、その場で嘔吐。
土の上でまだよかったとか思いながらも、まったく動けず寝ゲロ状態・・・。
クリスマスに執着がなくなったので、拒絶もしなくなってしまってました。
心身共に、タバコはもういらない そう刻み込まれた出来事でした。

一度気の抜けた体を騙し騙し、知識の文書化を実施・・・。
ストレスやら、水分と塩分過多やらで、案の定、報告日には風邪をひき、
報告が終わったあとは風邪でお休み。
胃腸がもうダメダメで、急性胃炎か何かで12時間ほど転げまわる始末。
尿管結石の痛さは長くても1時間ですが、軽い尿管結石の痛さが12時間続くと
精神的にも相当ダメージを受けました。
おかげで、今までどれだけ意識しようとも良く噛むということができなかったのに、
今では、よく噛まずに飲み込むのが怖くて、今までの3倍は噛むようになりました。
つい飲み込もうとするのを2回はやめて、噛み直すので多分3倍ですw
定食を食べ終わる時間が女性と同じ位の時間がかかったのは驚きです。

仕事関連の読書もしました。以下の3つの本はとてもよかったです。
・日本軍の敗戦を分析した失敗の本質・正しい選択をしているはずが会社をダメにするというイノベーションのジレンマ、
 それを個人に応用した最新刊イノベーションオブライフ
・産業革命の本質をとらえた第3の波
復職後、仕事に関する本をあまり読まなかったんですが、4月は7冊ほど読んでしまいました。
なぜか1980年あたりの本が多かったですが、勉強になりました。
やっと、そういうことが理解できる下地ができたということでしょうかね。


その間に、お寺の勉強会やら、お花祭りやらもありました。
住職や副住職のお話に不安を感じました。私たちのお寺は大丈夫かな?ww
慧海自身は仕事に疲れた結果、念仏やら、読経やら、仏書やらに戻っていくあたりが、
どれだけリアルに振り回されても佛から離れていかないところまできているのだなぁと感じました。

ホント、慧海が望もうとも、望まなくとも、なるようになっていくものだと、改めて感じます。

もう念仏するしかないですねw

南無阿弥陀仏