2014年12月12日金曜日

一人称に見る自分の心


わかったと思えば、何かを自分の中に作り上げたということ。

佛を頭の中に取り込んじゃダメだということも、わかっていること。

とはいっても、世間の法にそまれば、頭の中になんでも取り込みたくなるものです。

そうやって、頭の中の自分がつよくなると、慧海の一人称が「俺」になります。
相手が親しくないと使いませんが、俺と言っている時は感情的です。

通常は「僕」を使います。
遠慮するときは「私」を使います。
ブログの時だけ「慧海」を使います。
慧海という一人称は、客観的になっているような気がします。

日々心の声はききますが、ブログを書くときは声を言葉にかえます。
頭にでてくる言葉を書いているので、何を書くかは殆どきまってません。
なので、慧海にも気づかない事が言葉として目の前に綴られます。

しばらくリアルに呑まれて無気力でブログもかけてませんでした。

ブログに頭の中を書き出すと、自分の頭の世界に穴があきます。
どれだけ慢心し、殻を作っていたかがわかります。

ブログ書いていたら、やっぱりブラウザ落ちちゃいました。
リアルにもどったので、今日はもうかけませんね。

PCなんとかしようっと・・・