2011年1月10日月曜日

今年の法語カレンダRetry

先日、法語カレンダーの言葉がわからない
という記事を書いた

その後、親会社の飲み仲間M氏に
英語訳をいれるだけで終わりにするんじゃなく、
ちゃんと慧海の見解をいれてくれなきゃ と言われた

全休先生や亭主師の先に進みすぎていて、今苦悩している世代には
慧海の苦悩の記事がちょうど等身大なのだ というご評価を頂いた
なので、いい事書こうとかしないでいいよ ともw
実にありがたいことだ

つ~こって、
「聞思して遅慮することなかれ」
に再度挑戦

この言葉をわからなくするのは
聞思
遅慮
の言葉がよくわからないからだろう

とはいいながら、聞思は意外と簡単だったりする
聞くとは、しっかり聞く という意味と、
聞法の聞くであり、身をもって聞くということだろう
で、「思」だが、これが「思い」なのか「思考」なのかに戸惑った
英語をみると、reflect on とあるので、熟考する、反省するという
意味での「思」である事がわかる
そうすると、しっかり聞いて考えなさい という意味と
自分の声を聞き反省しなさい という意味がみえてくる
どちらかが正解ではなく、たぶんこれらは1つのこと

数学の公式を聞いて問題の答えを考えるのとはちがう
仏法=真理を聞いて、わが身に問い、考え、反省(懺悔)するのだろう

次に遅慮だが… 遅れる おもんばかる こと
英語の部分をみると、let there no wavering or apprehension とあるので
ためらい や 不安 をなくそう というところだろうか

じゃ、ためらいや不安に思い悩んでもたもたすんな

ってところだろうか

となると、慧海的解釈で「聞思して遅慮することなかれ」
を訳すと、「自己観察をして、妄想にのまれるな」ってことだ


「遠く宿縁を慶べ」
はカレンダーの説明に書いてあった
今あるのは、過去からの様々な因縁のおかげである
ということだ
慧海的解釈で訳すと「皆さんのおかげだ、ありがとう」ってことだ


つ~こって、慧海の理解の仕方でかいてみた

風情もありがたみもない言葉になってしまった

2011年1月9日日曜日

門徒講座序

今日は、今年1年お寺で行う月1回講座の説明があった
日曜の14時~16時なんで、出てみる事にした

見事にお爺さんお婆さんしかいなかった
今回は婦人会の会合の日だったらしく
そのまま講座にも出席とのことで、お婆さん率が高い
10人ほどで、男性が3人…もちろん2名はお爺さん
90過ぎのお婆さんもいらっしゃるので、お爺さんが若く見えるw

次回からは婦人会を講座の日にあわせるとのことらしいので
だれもいない講座にはならないだろう

今回は序として、来月から何をするか という話を中心に
約2時間ほど住職の話をきいてきた

また、質問はないか ということで振られたので
カレンダーにある「聞思して遅慮することなかれ」が難しくてわからん
ときいたんだが… 住職の宿題となってしまったw

とうぜん皆さんの家にもこのカレンダーがあるのだが、
ここにある言葉が何をいっているのか ということを考えた事もない
という事をおっしゃっていた
法語にちなんだ法話本があるのだが、それをみておしまい だそうだ

そのような方々なので、カレンダーの質問に対する答えを住職が
本当にわからないのか、わからない人にも説明できるような
言葉がわからなかったのかはわからない
でも、あまり深い質問はしちゃいけないのかもしれない
質問するなら、講座終了後にした方がよいのかな??

信心が大事って勤行集にあるけど、どうすりゃいいの? っていう
質問とかもしてみたかったんだけど…

慧海の質問の答えをもらう事よりも、そういった話をききながら
慧海自身の煩悩の様がよくみえるのでそれを観察しながら
その場にいることが面白く感じた

質問の中に、西と東の違い というのがあった
一番大きいのは、西は往生成仏?中心、東は現生不退中心 と言ってました
東は、清沢満之、曽我量深、安田理深等といった大先生方の影響もあってか
理屈っぽいと西に言われるらしいが、慧海にとっては、東でよかったと思う

アプローチの違いでしかないんだとは思うんだけどね…

2011年1月8日土曜日

遭いがたくして…遭えません

全休先生のブログ 2011/01/05 「仏さまがわたしを発見する」に
しかし、私は、任せることに異常な不安を感じ、それは、ほとんど不可能に思えた。
いや、なにより、その眼は私の心の中の“つくりもの”にすぎないのではないか、という疑心が離れなかった。
という言葉があった

全休先生にもこういう時代があったのだなぁ なんて思えるありがたい一文だ
「会員からのお便り」は全休先生が僕の歳の頃に書かれたものであり、宗教体験まもない頃の先生なので、とても勉強になる。ありがたいことだ


実際、慧海においては、疑心どころじゃなく つくりものだ、錯覚だ 
と思い込んでいるところがある
まさに、「任せるなんて不可能だ」というところに留まっている感じだ


残念な事に、自分の愚かさばかり見えてはくるものの
慈悲をむけられている存在だと感じることはないし、
彼岸に渡りきる事もできない

来月の法語カレンダーには
「遭いがたくして、いま遭うことを得たり」とあるが、
慧海はあの方にお会いすることができないし、あちらに逝くこともできない

慧海に出来る事は、愚者を極めていくしかないだろうと思う

2011年1月4日火曜日

一人称慧海

最近はブログでの一人称に「慧海」を使っている

自我の叫びを表現するときだけ「俺」だったり、一般的な自己を表現するのに
「自分」をつかったりはしているが、私や僕の意味では「慧海」だ

仕事でも、この文体で経験や主観に基づく文章を書いていると
つい「慧海」という一人称を使いそうになってしまうときがあるw

一人称を慧海にしたのは、ただの思いつきではあるのだが、
そもそもこの名前は、リアルで生活する僕ではなく、
佛弟子として帰依した仏教徒としての、ある意味誓いのような名前だ

飛躍した表現でいえば、将来佛になるとすれば、それは僕ではなく慧海である
とすると慧海は修行中の菩薩の名前ということになる… 言いすぎだなw

とにかく、僕と慧海は同じであって同じではない

実際に慧海として文書をかいていると、意外と客観に立ちやすい
三人称の文書を書いているかのような感じだ

俺はどうしたいのか ではなく 慧海はどうしたいのか

なのだ
これだと、自分の煩悩を自分のものではないように見ることができるのだ

慧海は慧海であって慧海ではないのだよ なんて思うw


こんな風に、ブログで慧海は、慧海は と書いていた為か、
ふとした瞬間に、頭に

慧海…それでいいのか?

と問われてみたり、もっとシンプルに

慧海!!

と呼ぶような言葉が湧き上がる事がある
だれに問われているんだ?誰に呼ばれているんだ?
とちょっと不思議におもったりする

ふとした瞬間 ということだと、
とつぜん 「な~んま~んだ~ぶぅ~~」
と鼻歌のように念仏が口からでることがある

ちなみに、この念仏の節は勤行の時の節ではない
法事か葬式の時にきいた住職が称える念仏の節な気がするが…わからない

住職の念仏というと、法要の最後に住職が小声で称える
「なまんだぶなまんだぶなまんだぶなまんだぶ
 なまんだぶなまんだぶなまんだぶなまんだぶ」
というのもなぜか耳に残っている
多分10回いってるんじゃないかと思うが8回程度のリズムで耳に残っている
その8回のリズムでふとした瞬間に慧海は念仏を口にする事もある
祖母が称えていた念仏が8回+2回だったからかもしれない

慧海の名を呼んだり、問われたり、念仏を口ずさんだりするのは
どれも自力ではないなぁ なんて思うこともある

他力がわからんから、よくわからんけどねw

2011年1月3日月曜日

今年の法語カレンダー

法語カレンダー2011をお寺から頂いて、新年ということでかけてみた
今年の法語は教行信証からの言葉らしいが、難しい言葉ばかりだ
カレンダーと一緒にもらった法語にあわせた法話本をみても、
どうもしっくりこない

ということで、法語の下にかいてあった英語をみたら何かわかるかも
と思って、翻訳サイトで訳してみた


表紙の言葉
「遠く宿縁を慶べ」

英語文:
You should come to realize this Nembutsu practice and the true entrusting to Amida, and rejoice the conditions from the distant past that have brought it about.

翻訳:
あなたはこのNembutsu習慣と本当のゆだねることが阿弥陀にわかって、大昔からのそれを引き起こした状態を歓喜するようになるべきです。(エキサイト)

このNembutsu実行およびAmidaへの真実に託することを実現し、かつそれを引き起こした大昔からの条件を喜ばせるようになるべきです。(livedoor)

あなたは、阿弥陀するには、この念仏の練習、真の委託を実現するために来てください、約それを持ってきた遠い過去から条件を喜んでいます。(Google)

あなたはこの念仏実行とアミダに本当に委託することを理解するためにならなければなりません、そして、それをもたらした遠い過去から状況を喜ばせます。(Yahoo)

イマイチわかりませんw

で、1月
「聞思して遅慮することなかれ」

英語文:
Hear and reflect on the truth that you are grasped, never to be abandoned by Amida; let there be no wavering or apprehension.

翻訳文:
握られても、阿弥陀によって決して捨てられないという真実を聞いて、よく考えてください。 揺れ動きも憂慮もするのをやめよう、そうしましょう。(エキサイト)

聞いて、理解されるがAmidaによって遺棄されない、と真実上で考えてください;揺れることあるいは理解がそこにさせられません。(livedoor)

聞いて、あなたは決して阿弥陀から見捨てられることに把握されていること真実を反映している。そこには揺れるか懸念されることができます。(Google)

アミダによって決して捨てられないために、聞いて、あなたがつかまれるという事実を考えてください;揺れることまたは不安でないことをそこで放してください。。(Yahoo)

やっぱりわかりにくい

英語文は日本語よりも、補足が含んでいる感じではあるが、それをわかりやすく訳す機能はないようだ… 別の翻訳システムなら良いものがあるのかもしれないが…

言葉の意味だけをみてもしょうがないのだから、ま、いいか
なんとなくみて、なんとなく考えて、聞法しよう


今年は真宗ではイベント年
うちのお寺でも、毎月勉強会だかをやるとのこと
説明会が来週の9日だそうで、お寺にお参りに行ったときに参加を勧められた
とりあえず聞法ってことで、参加してみようかね~

2011年1月2日日曜日

正月太り・・・

年末から毎晩飲んで、正月開ければ昼間から飲み食い…

慧海の家では、1日は慧海の両親と慧海の妻の母が慧海宅にきて
おせちを食べて宴会である
2日は慧海の兄弟親戚があつまって実家で宴会である

飲んで食べて、酔って寝る…
当然だが・・・太る…

ドックの結果と比較して、4~5kgほど増えている…


そんな、正月休みももう終わる
年末は大掃除と買い物、正月は宴会
それで正月休みは終わるのだ

いつもの事だが、あわただしい休みだ

で、数日仕事をすれば、成人の日の連休だ
連休は、ゆっくりとしつつ、食べ過ぎないようにしたいものだ


あ…生活リズムがくずれてしまったので、
まずは、今日、夜更かしすることをやめて、
明日は普通に・・・おきれるかなぁw

2011年1月1日土曜日

本年も宜しくお願い致します

あけましておめでとうございます

ちなみにこのブログは予約機能で自動うpです

アップ時間には友人と地元の神社&寺(真言宗)に初詣

紅白で水樹奈々を見れば、今年のイベントもおしまいwww
後はいつもどおりネットにつなげるだけってことで、仕込んでおきましたw


初詣っていっても今となっては、どこの何様だろうが 南無阿弥陀仏
 と手を合わせてしまう慧海なんですけどね~~~

昔のように初詣に特別な思いはなくなったのは仏教徒、真宗門徒としての
考えに染まったからでしょうね…

神も仏も幽霊も、慧海には関係ないのですよ…


そんな感じで

本年もよろしくお願いいたします

南無阿弥陀仏