2013年6月22日土曜日

根暗が酒無しで仕事仲間との交流を深める方法教えてください。

この7日間で6日が飲み会だった。
結果、6日が二日酔いだった。

復職前まではすぐ酔ってたので、新人の頃を除いて二日酔いになることは少なかった。

ここ最近はなかなか酔いがまわらない。
結果何時間モノ間、酒を呑んでしまい
翌朝になって激しく酔う

昔は煙草をすっていたから、酒をほとんど呑んでなかったのもある。
今はずっと酒をのんでいる
そして何かたべている

そんな6日間で胃がおかしくなってきた
胃がいたくて、低周波治療器で内臓マッサージするくらいに…

アホだな慧海は・・・


飲み会が断れないなら、ノンアルコールをにするとかあるだろうが
ソフトドリンクは割高感があるので、なんか嫌。
問題な事に酒を呑まないと慧海はテンションが低くて一緒に呑む人が引くらしい
家族にも、飲み仲間にも言わるんだから、相当つまらなく、痛いヤツなんだろう
引きこもっていられるならそれでもいいが、そういう訳にもいかないでしょw
なんて、いいわけをもってアルコールをとっていた。

とは言っても、もうこれ以上二日酔いになる呑み方をやめないと体を壊す
たとえ1日でも、翌日が二日酔いになる飲み方はもう一度卒業しよう


まずは、ビール中瓶3本をMAXとしよう
それを先に宣言してしまう事としよう
で、生中3杯までであとはソフトドリンク。
中ビン3本換算なら、生中1杯程度の余裕を残して…

まぁ頭で考えたって、呑んだらどうなるかわからないのが酒
でも、翌日も楽しくすごしたいからね。
酔って本音や暴言吐いて苦しむのも、
すっぱいもの吐いて苦しむのも嫌ですからw

皆さん、酒を呑みたいのではなく、話をしたいだけなんだから
途中から酒じゃなくても問題ないでしょ


酒を呑むという事でしか、仕事以外の話をする場も方法も知らないのですよ…

2013年6月2日日曜日

明日で41歳


慧海は明日で41になります。

もう41かとも思うし、まだ41かとも思います。
自分より10も20も30も上の方々とばかりお話をしているのと、
人生の終わる日を待つような感じが、41はまだまだこれから
という気にさせないのかもしれないです。


先日、後輩に復職したてより今の方が元気がない、暗いと言われました。

予想外な一言でした。
慧海としては、その頃の方が色んな事に苦しく、必死であり、
まだまだ死にたい思いがつよくて、そっちの方が暗かったと思っていたんです。

今はというと、肩の力も抜け、残業しないと終わらない状況でも、
仕事は忙しくセッセと頭つかって作業をこなしますが、どこかノンビリしていられるんです。

気負って頑張って、なんとか思い通りにしなくちゃいかんっていう所がないし、
テンションを高くして自分の価値を知らしめる必要もない、
ただやるべき事を自分にできるやりかたでやればいいって思って仕事にむかうと、
落ち着いていられるので、やる気がないようにも見えるかもしれない。
自己主張しないでも居られるから、人の話をきいていられるようにもなるのですよ。
発言がすくないと、積極性に欠けると見られるようですね。

外は元気に見えて内は空回り
外は暗くみえて内は穏やか

外見の評価など実にあてにならないものです。


やるべき事は増えているし、事務処理の手間も増えているし、色々あって
ストレスは増えているようで、体は辛いです。
それに引きづられて元気もイマイチでません。
それでも、どうにでもなるというか、どうにか勝手になっていくっていう感覚があって
変なあせりがでてこないのが不思議でたまりません。


今年のお正月に全休先生から、自縄自縛することなく、
「仏縁の中、仏の光をいっぱいにあびて、のびのびとなまけ生活を楽しみたいものです」
「軽く軽く、生き生き、のびのび、怠け者生活を楽しみましょう」
と いうようなお言葉をもらいました。

自らを縛ることを怠けることはこんなにもノンビリした感覚なんだと実感しています。

いまはマダ生き生きという感じがわきません。
人生の課題がみえてきたら、生き生きとするんじゃないかな?

41のこの年には生き生きとノンビリすごしていけるといいなぁ
なんて思います。

いくつになっても取りとめもない駄文を連ねる慧海でした

2013年5月19日日曜日

2ヶ月を振り返って


もう5月も半ば過ぎです。

3月初旬に書いてから、2ヶ月がすぎてしまいました。

毎日つぶやきは書いてましたが、記事にするような事もなく毎日忙しくすごしてました。

Twitterのつぶやきみながら、近況を書いておきます。


3月中旬に、出向が終わり、SE部門に戻ると、裏話の定番、飲み屋で言われましたw

復職リハビリのように営業系に引き取ってもらったので、
営業支援の仕事が終わるということが、本当に復職するのだと感じて
なんか憂鬱な気分でしたね。

8年ぶりにSE職なんで、いい顔して出来もしないのに「やります!」とか言って、
自分勝手に苦悩に潰れるんじゃないかと不安な感じでした。
知らない人たちの中に入るのも苦手ですしね。

まぁ3月末に向けて、残務を全部かたづけられるように、サボれるときは今のうちと
言わんばかりに、手を抜きつつ、忙しく仕事してたら4月も1週目が過ぎてました。

4月に入ると研修を受ける事になってました。
コンサルティング的な仕事ができるようにということで、8年分のズレを感じさせられ、
まぁ色々と考えさせられる日々が続いて、5月半ばというところです。
案件提案にも入り、研修と案件対応と別会社の事務処理、そして新しい人たちとの付き合い…

その間、子供が小学校を卒業し、中学に入学したり
花見に行ったり、部活が始まると親とでかけなくなるので今のうちと遊びにでかけたり、
お寺の花まつり法要に行ったり、お寺のI師、S参と呑みにいったり…

平日は忙しく、休日もあれやこれやとして、また来週。

日々やることをするだけで、無駄にずるずる苦悩している暇もありませんでしたw

ずっと地に足がついているしかない感じなので、いい顔なんか作ってられません。
酔ったりして、ちょっと自分話でもしようものなら、翌日には、舞い上がっていた分
地面に叩きつけられたような嫌な気分が襲ってきます。
なので、どんだけ頭の中で自分話をしていようとも、口にはしません。

人を評価したりする事も昔に比べるとマッタク無いと言っていいほどです。
みんな頑張ってるなぁって感じがして、好き嫌いの感覚が感じ取れない程です。

親兄弟に対しては、イラっとしちゃいますけどねw
親兄弟には何かを期待しちゃうからでしようかね。
まぁしょうがないですね。


意識はしてなくても体には負担がかかっていたようで、
体調は微妙にすぐれないですね

まぁいたし方ないことです。慣れたら普通にもどるでしょうから。


今でも念仏が常に口から出るということはありません。

最近は、仕事の帰りとかに、人事を尽くそうと考えれば、「天命は何だ」と、
課題を見つけなきゃと考えれば「私にとっての大切な課題は何だ」と、
言葉の意味をおさえなきゃと考えれば、「生まれてきた意味は何だ」と
いう言葉が頭に浮かびます。

日々をどのように過ごすのかを問われているような気がしてなりません。

仏事は不可思議
わかるときがくれば、向こうからおしえてくれるものですので、
今はただ日々をしっかり過ごすとしましょう。

2013年3月10日日曜日

今年の梅


今年も地元の梅園に梅を見に行ってきました。

今年は温かくて、梅をみているのか、桜をみているのかわからなくなるような感じでした。

昨日は、天気も良かったのですが、今日は黄砂やら、大風やらで空の色も悪く
写真もまともにとれず、ちょっと残念です。

来週位から、寒桜が咲くようなので、それを撮りにでもいきますかねぇ~。


ついでに、植木やら盆栽やらを見てきました。

先日、盆栽用の梅を買ったのですが、なかなかに良かったので、
どんなもんがあるか、色々と見て回りました。

松とかはやっぱりいいですね。
ワビサビというイメージはこれですかね。

でも、立派なのはやっぱり高いですw

ド素人の慧海が松に手を出すなんてのはもちろんしませんw
どちらかというと、花がさくようなものを見てました。
今だと、梅とか、ボケとか、河津桜、雅桜あたりです。

僕の友人で、あと1世紀もしたら、日本人の文化表現に「モエ」が入ってるだろう
と言った人がいました。

日本文化は、ワビ、サビ、モエだとw

歴史の教科書とかで、有名なアニメ監督とかアイドルの名前とかがでて、
モエ文化は、21世紀初め頃秋葉原を中心に栄えたとか書かれるのだとw

それは、呑みながらの笑い話でしたが、今日、盆栽をみていて
梅や河津桜が咲き誇る盆栽はワビサビよりもモエの感覚なんですよね。
秋葉で手が出せないフィギュアを眺めている感覚にとてもよく似ているのですよwww

咲き誇る朝顔の花を全て切り捨て、一輪だけを茶室に飾るようなワビサビと違い、
その咲き誇る姿の愛しさをそのままにするとモエという表現になると思いますよ。

「モエ」を僕らヲタが2次元だけを愛でる表現にしておく事もないのだと慧海は思うのですよ
まぁヲタは一般化するのを嫌いますけどねw

昨年は、梅と桜に説法をききましたが、今年はただモエを感じ、
収集欲望が刺激された梅でしたw

実家を二世帯化とかしたら、庭に梅と桜植えてやるぅ~w


あ、そういえば、毎年梅の時期は、鬱っぽいのに、今年は鬱々しないなぁ
有り難い事です。

2013年3月7日木曜日

とりあえず近況


最近、また記事が書けないのですよ。

以前は、迷いからでられなくなってかけなくなった感じですが、
今回は、何も言える事などないのだなぁって感じてしまって、書けないのですよ。

あるがままなのに、何を言葉にする事があろうか…

なんて書けばそれっぽいんですかね?
そんな立派なもんじゃないんですよ。

もう、全休先生や亭主師が書いているじゃないか!

っという状態なので、別に書くこともないなぁと…w

書いてある事を同じように感じるようになったというのはありますが、
それを一々拾い上げて書くこともないなぁと思うのですよ。


まぁ散々主観で愚痴を書き連ねておいてと今更思うので、今の頭の中だけ記録しておきます。

1月頭に、回心熱のようなもので、感じた事を書き連ねましたが、
その熱から抜け始めれば、何も変わっていない事に気付きます。

仏教で何かに気付く事を、自転車に乗れる事にたとえられます。
その喩えをつかって、かいてみます。

自転車を初めて乗れた時ってれしいですよね。
乗れた時は、ただ、「見て! ボク、乗れてるでしょ!!」ってなります。
これが、先日の慧海の心境ですw
十九願から二十願に回入した瞬間と表現されるものだと思われます。

でも、補助輪無しですから、その直後に、曲がれず、止まれず、転ぶんですw
乗れたけど、まだ先があるのだと気付きます。
じゃ、どうすれば転ばずに自転車にのれるようになるのか?
今の頭で考えれば、自転車に乗り続けるということしかないのだろうと思います。
これが、今の慧海の心境という感じです。

きっと、乗り続けているうちに、自転車に乗れることは特別な事じゃなくなるんでしょう。
普通に自転車に乗る姿をみて、子供達も自転車には乗れるんだと思うようになるんでしょう。
たぶん、そうなった時が十八願往生であり、十七願の諸仏の仲間入りという事なんでしょうかね?
まだ慧海には、その感覚はわかりません。

念仏の違いで言えば、「助けてください」から「ありがとうございます」になりました。
でもどちらもまだ念仏を私物化しています。
たぶん、「ただ念仏する」という事になっていくのでしょう。
そうなろうとするのではなく、勝手にそうなっていくのだろうと思います。
こちらも、まだ慧海にはわからない感覚です。わからないままでいいのでしょうね。


まぁ、つまり、やる事と言う意味では何も変わらないんですよ。
毎日、自分と向き合って生きていくだけなんでしょう。
地に足をつけて、何かを信じたりせずに生きていくんです。


慧海にとっては、どこまでも病んだ心の自分との向合いだけだったようにも思います。
向合って、少しずつ、少しずつ自分の抱えていた思いを壊していく日々です。
今の慧海があるから、病んだ慧海に意味が生まれたのでしょう。
やっと、死にたいと思わず、普通に俗世で生きられるようになったんです。

慧海にとっては、どうしようもなくなった時、仏門があったんです。
そして、それしか生きていける気がしなかったから、進んだんです。
嫌な自分を見続け、否定し続け、息苦しい毎日を送りつつ、少しでも楽になると
もう智慧を得たのだと喜んでみて… でもやっぱり苦しい日々を送るんです。
何年も、何年も・・・。

仏門なんて、通らなくてもいいなら通らない方がいいと思いますよ。
入り口あたりで引き返せば、処世術ですし、なんかちょっとかっこいいですしねぇw
俗世でいきていけるなら、宗教なんて関わっちゃいけないと、慧海は思います。


と、いうところで、しばらく、仏教話はないと思います。慧海が育つまで何も書けません。
ブログには、どうでもいい出来事しか書けないと思います。

慧海が日々感じたちょっとした事は、ツイッターにあります。
なのでブログにツイッター画面だしましたw

なんとなく、気ままに書きますのでご縁がありましたら宜しくお願いいたします。

南無阿弥陀仏

2013年2月17日日曜日

色々と


実家が、空き巣に入られた。

「穢れ」みたいなものがありそうで、気持ち悪かった。
浄土三部経あげたらいいか?念仏したらいいか? なんて考えたりする。

ああ、念仏の効能を信じているにすぎないのだなと思い知らされる。
なんかを知ったような気になれば、そこで終わりだと思い知らされる。

十九願の自力さからは、宗教体験を経て移行はしたのだろう。
他力感がとてもあるが、念仏に対する執着と期待感が自力になっている感じがする

やっぱり、二十願なんだろうなぁ…って感じた。

だからと言って、バタバタしようもないし、そんな気も起こらない。
十八願に向けて、お育て頂きつづけるだけ。


義理の父の法事があった。
慧海は住職達と一緒に、阿弥陀経から声明することになった。
得度はしてないけど、自分のとこの法事ならいいか と…。

法話の際に、大谷派は間違ってると、勉強会だかで言われたと住職が言っていた。
清沢先生、曽我先生も否定され、正しいのはお西だと言われたと…
どんな話を聞いたかは存じませんが・・・、住職…がんばってください…



慧海は、今年は得度をしないことにしました。
いつか得度はするかもしれないし、しないかもしれない。

すくなくとも今ではないと感じました。
声明の練習はするし、仏書も読むし、念仏もする。でも今じゃない。
得度は、勤続25年目の休みが出た頃にでも考えるかな~
教師試験受けて、住職とかになるわけでもないから、ただの趣味の世界

でもね…職場での我執、我欲との付き合いには嫌気がでてきたのはある。
困っている人の助けになる商品、サービスの提供ならいいですが、
欲望を刺激して販売しないと数字が足りないなんて事にもなるわけで…。
相手の代わりに自分の欲望を刺激し、欲しくないものを欲しくならないと案がでないし・・・
まぁ、疲れますわねぇ…。
無理に欲望を刺激しないでいいなら住職とかなれないかなぁなんて考えてみたり…。

 
4月には、出向が終わって、自社に戻る可能性が高い。
その結論が2月末にでるらしい。

異動となれば、また環境が変わる。
慧海はどういう風に新環境を受け入れられるようになっているか

慧海はどこまで、お任せしていられるかなぁw



南無阿弥陀仏

2013年1月26日土曜日

渡ったのだな


亭主師の記事に
「彼岸に渡ったら、渡ったのだとわかる」
ということが書かれていました。

でも慧海は、楽になったけど、どうもその感覚がわからないので、
やっぱり違うのだろうかと…誰かに判じてもらおうと思っていました。

昨日、会社に向かうべく銀座を歩いてポンと感じました。
渡ったのだと。

なにかストンと落ちたというか、落ち着いたというか…そんな感じです。

全部が、如来の思し召しなんですよ。
何一つ慧海の意図するものではないんです。
慧海自身は何も変わってません。何もわかっちゃいません。
なにもわかってないまま、本願以外、何も信じていないまま、ダメなままなんです。
なので、全部、真如の方からの働きとしか言いようがないですね。
本願だって、念仏だって、信じるしかない状態にさせらたのですから。
信じられ思われている身なんです。こっちはただ御任せするだけなんです。
もう感謝しつつ、念仏するしかないんです。


慧海は、ずっと何かを抑え続け、押し殺して、毎日を息をしているだけで苦しく、
それが普通だと思って過ごしていたのに、まったくそういう感じがないのですから
これを救われたと言わずしてなんというんでしょう。

復職してすぐの頃、何もかもを否定することしかできず、自分が生きている事も
この身体がある事も否定していた時、やたらと苦しかった事を覚えています。
その時は、自分の反応をみることだけに意識を向けていて、自分が存在する事は
否定できないんだって気づいて、少し楽になりました。

その後、何度もグルグルと迷って、自分の思い、欲求、感情を抑えてないと
ダメなんだって思って、ずっと押し殺していました。
その間、頭の中だけはみたまんま。
全休先生の記事じゃないですが、自分はろくな者じゃないですね。

自分は決して救われないと深く信じることを、機の深信というのだそうですが、
この5年でわかったのは、慧海は救われるようなヤツではないということ。
そのくせに、無自覚になって苦しみに気づかない日々を送ると、信を得たかのように慢心する
そんな日々を送って、色々と壊れて、やっと頭が下がった。
やっと佛の言葉に耳を傾けられるようになった。
傾け始めたら、運良く救われた。そういうことだったのでしょう。


もう、誰かに保証して頂く必要もなくなりました。
仮に慧海のは妄想だと誰かに言われようとも、
慧海は救っていただいた身であると言えます。

慧海にとっては、どうしようもない事実なんです。

生きている事を否定せずにはいられない慧海は、
如来によって生きる事を認められています。

それを感謝し、佛を憶念し、念仏するしかないんです。
ただそれだけです。


抑え込んで生活しなくなったもんだから、気力もでてきちゃいましたよ。
仕事もちこっと、がんばってみっかなぁとか
仕事向けの勉強でもすっかなぁとか
2月になったら、何箇所か梅みにいくかなぁとか
大分ふとったんで、すこし痩せるよう、運動してみっかなぁとか…
まだ死にたくないって気にもなったんで、身体のケアもしないとねw



のんべんだらりんと気負わずに、社会と闘ってみっかなぁ~

どうなるかは、弥陀におまかせでねw


あ、そうそう
全休先生のリンクにある、小太り爺さん様のブログひまわりに
慧海の記事の事を書いていただきました。
http://bloghimawari.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-d8ad.html
ありがたいですねぇ
こんな小僧の愚痴記事に目を通していただけるだけじゃなく、
慧海の出来事を喜ばしく思っていただけるんですからね。
ブログはじめた頃からは想像もできない事です。

改めて、ご同朋の皆様に感謝です


南無阿弥陀仏