2013年8月13日火曜日
みんな頑張れ
4月からの異動で、色々と余裕のない生活を送っていました。
盆休みで暇ができたので、全休先生のとこのコメントやリンク先をチェックしてみました。
おや、メインページのリンクに西求記の名前が戻ってるw
誰か後の方のリンクが消えたのかな??
あ!アル中の方がいない・・・。どれどれ・・・。ああ、ブログ中止かぁ・・・。
お世話になりましたw
・・・
フラフラっと読みまわって思ったのは、皆さん、苦しそうだなぁ という感じです。
そこには、皆さんのそれぞれの思いが、苦悩が綴られていらっしゃいます。
なんとかして、楽になろうとする方々の思いが痛いほど感じます。
慧海もそんなうちの一人にすぎないので、ホント痛いほど感じます。
慧海が感じた思い、衝動、苦しみ、そういうものが多々記されています。
慧海が苦悩真っ盛りの時はブログで色々と聞くということがなかなかできない環境でした。
でも、全休先生や亭主師からは年に2回のメールでご助言頂けましたし、
基本的には、慧海がブログに苦悩を書くと答えるかのように、お二方が記事を
書いていただけたので、 そこで学ぶ事ができました。
そんな中に、
「信心がないなら語るな(超意訳w)」
「犀の角のように独り歩め」
とかかれていましたので、自分に問う事を第一として過ごしていました。
自力無効と思い知らされるまで、一人で努力すればいい。
不思議体験も、奇行も、大疑団も、偏った思考も、執着もあることだろう。
その時、その時に常に気づいていれば、それでいい。
そう教わりました。
色々とあって、お蔭様で今では、
鬱に苦しめられない生活ができるようになりました。
おまけとして、人の欲望、苦悩を感じるようになりましたw
呑みの席で、相手が語らぬその人の苦悩を軽く指摘して驚かれたりもします。
でも、皆さんの苦しみが痛いほど感じられるので強い思いの人といるのは辛いですw
・・・
最近では、10倍返しなる言葉を街のあちこちでみかけます。
人気?ドラマの話だそうですね。
興味もないので、中身の話しはできませんが、
10倍返ししようと考えている時点で、その人の苦しみがうかがえます。
仮に良い方向で考えたとしても、10倍にしようとすればその事で頭は一杯でしょうね。
恨みや怒りだとしたら、10本の矢に刺されつづけるように苦しみ続けてるでしょうねぇ。
最初の怒りの苦しみを手放せば、その後が楽になるのにねぇ…。
2013年7月18日木曜日
自然を信じて仏を信じず
日本というか、東洋思想というか、まぁそういう感じのものに
陽極まれば陰に転ず
と言う考えがあるかと思います。
陰陽が循環するという考え方で、陰が極まっても陽に転ずると考えです。
1が全てで、全ては1 みたいなものとセットにして、大極の考え方になってるかと思います。
慧海にとっては、これも自然という事に感じます。
僕ら真宗門徒は自分がいかにダメダメかという事を常に観察しながら生きます。
学んで、内観の念仏して、それでわかる事は、どこまでもダメダメな自分です。
自ら望む訳でもないのに、どん底にまで落ちていく。
途中で引き返そうと思うものの、それもできず、自分を見続け、どん底まで突き進む。
どん底で気づくのは、こんな私は救われる訳がないという事じゃないかと思います。
そんなダメダメな自分が受け入れられなくて、法とやらが救ってくれると信じて、
あれやこれやと考え、教えを探します。
でも、答えなんて見つかりません。
結果、どん底でダメダメな自分を受け入れた時、陰が陽に転ずるのでしょう。
ダメダメなままで落ち着けるようになるんです。
底辺にいるのに、心は縛られず、慈愛の心すら湧いてくるんです。
これが救いかとおもったりしますが、これも自然なる錯覚でしょう。
勘違いして、どん底から少しでも這い上がっちゃうと、途端に縛られ、
欲と怒りの中に戻ってしまいます。
仏様にお救い頂いたなんて考えてる時は、どん底にいないんです。
結果的にダメダメな自分と向き合うだけの生活に戻ります。
逆に、どん底しか落ち着けなくなっているように思います。
慧海は結果的に仏様を信じていない状態に戻りました。
何かを外に求める事は必要なかったんですよ。
ああ、なるほど、「あるがまま、そのまま」 ってこういう事かって感じるんです。
何も信じてませんよ と言いながらも、どこか信仰めいた感覚があるので、
それは何かと自問したら、自然という事に行き着きました。
人間は自然なんだなと気づきます。
Natureの「しぜん」じゃないです。なるようになってる的な「じねん」です。
自然と一体になるっていう事じゃないんです。
華厳みたいに、宇宙と一体なんて妄想めいた話じゃないんです。
無我です。Noアートマンです。何かと一体にって話しじゃないんです。
私たちが「なるようになっていた」っていう事です。
色んなモノや人が、慧海を慧海たらしめているんです。
慧海個人が認識するモノや人は妄想と代わりませんが、
慧海の認識しないところにある、モノや人の働きが慧海を慧海たらしめるんです。
そんなあたりが、諸仏というものなんじゃないかと感じてます。
当たり前ですが、お寺の仏像が佛じゃないんですよ。
それを彷彿させてしまう、「南無阿弥陀仏」という称名じゃなく
慧海の周りの諸仏を感じる「帰命尽十方無碍光如来」
という称名を使ってみようかと思う今日この頃です。
陽極まれば陰に転ず
と言う考えがあるかと思います。
陰陽が循環するという考え方で、陰が極まっても陽に転ずると考えです。
1が全てで、全ては1 みたいなものとセットにして、大極の考え方になってるかと思います。
慧海にとっては、これも自然という事に感じます。
僕ら真宗門徒は自分がいかにダメダメかという事を常に観察しながら生きます。
学んで、内観の念仏して、それでわかる事は、どこまでもダメダメな自分です。
自ら望む訳でもないのに、どん底にまで落ちていく。
途中で引き返そうと思うものの、それもできず、自分を見続け、どん底まで突き進む。
どん底で気づくのは、こんな私は救われる訳がないという事じゃないかと思います。
そんなダメダメな自分が受け入れられなくて、法とやらが救ってくれると信じて、
あれやこれやと考え、教えを探します。
でも、答えなんて見つかりません。
結果、どん底でダメダメな自分を受け入れた時、陰が陽に転ずるのでしょう。
ダメダメなままで落ち着けるようになるんです。
底辺にいるのに、心は縛られず、慈愛の心すら湧いてくるんです。
これが救いかとおもったりしますが、これも自然なる錯覚でしょう。
勘違いして、どん底から少しでも這い上がっちゃうと、途端に縛られ、
欲と怒りの中に戻ってしまいます。
仏様にお救い頂いたなんて考えてる時は、どん底にいないんです。
結果的にダメダメな自分と向き合うだけの生活に戻ります。
逆に、どん底しか落ち着けなくなっているように思います。
慧海は結果的に仏様を信じていない状態に戻りました。
何かを外に求める事は必要なかったんですよ。
ああ、なるほど、「あるがまま、そのまま」 ってこういう事かって感じるんです。
何も信じてませんよ と言いながらも、どこか信仰めいた感覚があるので、
それは何かと自問したら、自然という事に行き着きました。
人間は自然なんだなと気づきます。
Natureの「しぜん」じゃないです。なるようになってる的な「じねん」です。
自然と一体になるっていう事じゃないんです。
華厳みたいに、宇宙と一体なんて妄想めいた話じゃないんです。
無我です。Noアートマンです。何かと一体にって話しじゃないんです。
私たちが「なるようになっていた」っていう事です。
色んなモノや人が、慧海を慧海たらしめているんです。
慧海個人が認識するモノや人は妄想と代わりませんが、
慧海の認識しないところにある、モノや人の働きが慧海を慧海たらしめるんです。
そんなあたりが、諸仏というものなんじゃないかと感じてます。
当たり前ですが、お寺の仏像が佛じゃないんですよ。
それを彷彿させてしまう、「南無阿弥陀仏」という称名じゃなく
慧海の周りの諸仏を感じる「帰命尽十方無碍光如来」
という称名を使ってみようかと思う今日この頃です。
2013年7月14日日曜日
亭主師と慧海
7/6に、鬱陶しい亭主様のサイトが休止に入ると書かれていました。
慧海のブログでは亭主師と書かせて頂いている、その亭主師のサイトです。
早速ご挨拶メールを送らせて頂いたのですが、その際にあることがわかりました。
亭主師の今回記事をかかれていた期間と、慧海の苦悩(修行?)期間が同じだったんです。
慧海からみれば、慧海という弟子の為に法を説いて頂けていたかのようではないですか!w
亭主師は2007年4月に休止されて、10月に再開されてます。
慧海がブログを始めて、亭主師の事を教えていただいたのが、2007年9月です。
そして、慧海の中でどうなっても生きていけそうという感じになったのが、2003年1月
回心体験の夢心地から抜け出して、唯日々の生活を送るようになったのが、今です。
亭主師が、感想文を中心に方向転換したのが1月、そして今回で休止です。
最後の仏教記事?第678話 久々に仏教のことと、第697話 言葉・ロゴス・法は、
亭主師感を感じるとてもありがたい記事で、反省しつつ、感心しつつ頂きました。
亭主師のサイトは、全休先生にメールして教えていただきました。
悟りの智慧を得た人を知っていると全休先生のサイトにあったので、
その方はどういう方かとお伺いしたら、亭主師のサイトを教えていただきました。
その時は、まだ休止中でしたので、過去記事を読み漁っていました。
休職中の慧海には時間ありましたし…w
その後、慧海のブログを毎朝みていただける方がいたので、どんな人だろうと
いう記事を書いたら、それが亭主師でした。
その後から、定期的にご挨拶メールをお送りさせていただいておりました。
今回、休止されるとのことですが、再開しても仏教関係のお話は殆ど
書かれないんじゃないかと想像しています。
カメラから仏教に、そして今は感想文をかかれてました。
再開したときはどんな事をかかれるのか楽しみです。
ありがとうございました。
またお会いできる日を楽しみにお待ちしてまぁ~すw
2013年6月26日水曜日
欲求に忠実なんだな
年明けに、慧海を押さえつけているものがなくなって、楽になった
その結果…堕落したw
二乗地に落ちるとかいうんでしたっけ?
まぁ難しい言葉はわかりませんが、欲求を押さえつけなくなったので、
欲求のままにすごしてしまうようになりました。
とはいっても、人様に迷惑をかけるような欲求があるわけではないので、
誰かに迷惑をかけたりはしていません。
ただ、食べたいものを食べ過ぎたり、呑みすぎたり、直行直帰を多用して
ちまちまとサボりまくったり…
怠惰で、過食… 結果、デブをこじらせてしまった。
そんな行動に、少々気になったりはしますが、概ねOKな感じで、
心を入れ替えてなんとかしようとか思わない。
どこか、その時がきたらツケを払えばいいや
って感じの開き直りが ある
今やれることをやるだけ
酒については、今は呑む気がなくなったので呑んでない
食事は…炭水化物がやたらに欲しくなって、米やら麺やらを…
どうせ食べたくなくなると、また食事をしなくなるんだろうなぁ なんて思って
今は食べている。
出社時間も最大2時間近く差がある
そういう不規則な生活が良くないと言うけどねぇ…
さて、どうしたものかなぁ
2013年6月22日土曜日
根暗が酒無しで仕事仲間との交流を深める方法教えてください。
この7日間で6日が飲み会だった。
結果、6日が二日酔いだった。
復職前まではすぐ酔ってたので、新人の頃を除いて二日酔いになることは少なかった。
ここ最近はなかなか酔いがまわらない。
結果何時間モノ間、酒を呑んでしまい
翌朝になって激しく酔う
昔は煙草をすっていたから、酒をほとんど呑んでなかったのもある。
今はずっと酒をのんでいる
そして何かたべている
そんな6日間で胃がおかしくなってきた
胃がいたくて、低周波治療器で内臓マッサージするくらいに…
アホだな慧海は・・・
飲み会が断れないなら、ノンアルコールをにするとかあるだろうが
ソフトドリンクは割高感があるので、なんか嫌。
問題な事に酒を呑まないと慧海はテンションが低くて一緒に呑む人が引くらしい
家族にも、飲み仲間にも言わるんだから、相当つまらなく、痛いヤツなんだろう
引きこもっていられるならそれでもいいが、そういう訳にもいかないでしょw
なんて、いいわけをもってアルコールをとっていた。
とは言っても、もうこれ以上二日酔いになる呑み方をやめないと体を壊す
たとえ1日でも、翌日が二日酔いになる飲み方はもう一度卒業しよう
まずは、ビール中瓶3本をMAXとしよう
それを先に宣言してしまう事としよう
で、生中3杯までであとはソフトドリンク。
中ビン3本換算なら、生中1杯程度の余裕を残して…
まぁ頭で考えたって、呑んだらどうなるかわからないのが酒
でも、翌日も楽しくすごしたいからね。
酔って本音や暴言吐いて苦しむのも、
すっぱいもの吐いて苦しむのも嫌ですからw
皆さん、酒を呑みたいのではなく、話をしたいだけなんだから
途中から酒じゃなくても問題ないでしょ
酒を呑むという事でしか、仕事以外の話をする場も方法も知らないのですよ…
結果、6日が二日酔いだった。
復職前まではすぐ酔ってたので、新人の頃を除いて二日酔いになることは少なかった。
ここ最近はなかなか酔いがまわらない。
結果何時間モノ間、酒を呑んでしまい
翌朝になって激しく酔う
昔は煙草をすっていたから、酒をほとんど呑んでなかったのもある。
今はずっと酒をのんでいる
そして何かたべている
そんな6日間で胃がおかしくなってきた
胃がいたくて、低周波治療器で内臓マッサージするくらいに…
アホだな慧海は・・・
飲み会が断れないなら、ノンアルコールをにするとかあるだろうが
ソフトドリンクは割高感があるので、なんか嫌。
問題な事に酒を呑まないと慧海はテンションが低くて一緒に呑む人が引くらしい
家族にも、飲み仲間にも言わるんだから、相当つまらなく、痛いヤツなんだろう
引きこもっていられるならそれでもいいが、そういう訳にもいかないでしょw
なんて、いいわけをもってアルコールをとっていた。
とは言っても、もうこれ以上二日酔いになる呑み方をやめないと体を壊す
たとえ1日でも、翌日が二日酔いになる飲み方はもう一度卒業しよう
まずは、ビール中瓶3本をMAXとしよう
それを先に宣言してしまう事としよう
で、生中3杯までであとはソフトドリンク。
中ビン3本換算なら、生中1杯程度の余裕を残して…
まぁ頭で考えたって、呑んだらどうなるかわからないのが酒
でも、翌日も楽しくすごしたいからね。
酔って本音や暴言吐いて苦しむのも、
すっぱいもの吐いて苦しむのも嫌ですからw
皆さん、酒を呑みたいのではなく、話をしたいだけなんだから
途中から酒じゃなくても問題ないでしょ
酒を呑むという事でしか、仕事以外の話をする場も方法も知らないのですよ…
2013年6月2日日曜日
明日で41歳
慧海は明日で41になります。
もう41かとも思うし、まだ41かとも思います。
自分より10も20も30も上の方々とばかりお話をしているのと、
人生の終わる日を待つような感じが、41はまだまだこれから
という気にさせないのかもしれないです。
先日、後輩に復職したてより今の方が元気がない、暗いと言われました。
予想外な一言でした。
慧海としては、その頃の方が色んな事に苦しく、必死であり、
まだまだ死にたい思いがつよくて、そっちの方が暗かったと思っていたんです。
今はというと、肩の力も抜け、残業しないと終わらない状況でも、
仕事は忙しくセッセと頭つかって作業をこなしますが、どこかノンビリしていられるんです。
気負って頑張って、なんとか思い通りにしなくちゃいかんっていう所がないし、
テンションを高くして自分の価値を知らしめる必要もない、
ただやるべき事を自分にできるやりかたでやればいいって思って仕事にむかうと、
落ち着いていられるので、やる気がないようにも見えるかもしれない。
自己主張しないでも居られるから、人の話をきいていられるようにもなるのですよ。
発言がすくないと、積極性に欠けると見られるようですね。
外は元気に見えて内は空回り
外は暗くみえて内は穏やか
外見の評価など実にあてにならないものです。
やるべき事は増えているし、事務処理の手間も増えているし、色々あって
ストレスは増えているようで、体は辛いです。
それに引きづられて元気もイマイチでません。
それでも、どうにでもなるというか、どうにか勝手になっていくっていう感覚があって
変なあせりがでてこないのが不思議でたまりません。
今年のお正月に全休先生から、自縄自縛することなく、
「仏縁の中、仏の光をいっぱいにあびて、のびのびとなまけ生活を楽しみたいものです」
「軽く軽く、生き生き、のびのび、怠け者生活を楽しみましょう」
と いうようなお言葉をもらいました。
自らを縛ることを怠けることはこんなにもノンビリした感覚なんだと実感しています。
いまはマダ生き生きという感じがわきません。
人生の課題がみえてきたら、生き生きとするんじゃないかな?
41のこの年には生き生きとノンビリすごしていけるといいなぁ
なんて思います。
いくつになっても取りとめもない駄文を連ねる慧海でした
2013年5月19日日曜日
2ヶ月を振り返って
もう5月も半ば過ぎです。
3月初旬に書いてから、2ヶ月がすぎてしまいました。
毎日つぶやきは書いてましたが、記事にするような事もなく毎日忙しくすごしてました。
Twitterのつぶやきみながら、近況を書いておきます。
3月中旬に、出向が終わり、SE部門に戻ると、裏話の定番、飲み屋で言われましたw
復職リハビリのように営業系に引き取ってもらったので、
営業支援の仕事が終わるということが、本当に復職するのだと感じて
なんか憂鬱な気分でしたね。
8年ぶりにSE職なんで、いい顔して出来もしないのに「やります!」とか言って、
自分勝手に苦悩に潰れるんじゃないかと不安な感じでした。
知らない人たちの中に入るのも苦手ですしね。
まぁ3月末に向けて、残務を全部かたづけられるように、サボれるときは今のうちと
言わんばかりに、手を抜きつつ、忙しく仕事してたら4月も1週目が過ぎてました。
4月に入ると研修を受ける事になってました。
コンサルティング的な仕事ができるようにということで、8年分のズレを感じさせられ、
まぁ色々と考えさせられる日々が続いて、5月半ばというところです。
案件提案にも入り、研修と案件対応と別会社の事務処理、そして新しい人たちとの付き合い…
その間、子供が小学校を卒業し、中学に入学したり
花見に行ったり、部活が始まると親とでかけなくなるので今のうちと遊びにでかけたり、
お寺の花まつり法要に行ったり、お寺のI師、S参と呑みにいったり…
平日は忙しく、休日もあれやこれやとして、また来週。
日々やることをするだけで、無駄にずるずる苦悩している暇もありませんでしたw
ずっと地に足がついているしかない感じなので、いい顔なんか作ってられません。
酔ったりして、ちょっと自分話でもしようものなら、翌日には、舞い上がっていた分
地面に叩きつけられたような嫌な気分が襲ってきます。
なので、どんだけ頭の中で自分話をしていようとも、口にはしません。
人を評価したりする事も昔に比べるとマッタク無いと言っていいほどです。
みんな頑張ってるなぁって感じがして、好き嫌いの感覚が感じ取れない程です。
親兄弟に対しては、イラっとしちゃいますけどねw
親兄弟には何かを期待しちゃうからでしようかね。
まぁしょうがないですね。
意識はしてなくても体には負担がかかっていたようで、
体調は微妙にすぐれないですね
まぁいたし方ないことです。慣れたら普通にもどるでしょうから。
今でも念仏が常に口から出るということはありません。
最近は、仕事の帰りとかに、人事を尽くそうと考えれば、「天命は何だ」と、
課題を見つけなきゃと考えれば「私にとっての大切な課題は何だ」と、
言葉の意味をおさえなきゃと考えれば、「生まれてきた意味は何だ」と
いう言葉が頭に浮かびます。
日々をどのように過ごすのかを問われているような気がしてなりません。
仏事は不可思議
わかるときがくれば、向こうからおしえてくれるものですので、
今はただ日々をしっかり過ごすとしましょう。
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