2013年9月20日金曜日

過去への執着


昨日、頭の整理をする為にも、頭の中を記してみました。

やっぱり苦悩があったら、心の中身を書いてみるのは効果抜群ですね。

なんてことはない、昔の自分に対する執着じゃないですか。
立派なものなら、過去の栄光にすがるってヤツですよ。

・自分勝手にやれて、評価もあった時期があった。
・商品開発で自分勝手にやったら、うまくいかなかった。
・新しい部署では自分勝手はできなかった。
・自分勝手に出来た頃に執着して、恨み悔やみ壊れた。
・仕事にもどったら、自分勝手にはもうさせないといわれた。
・自分勝手はもうやめようと自分勝手に決めた。
・自分勝手してる人の目にとまって慧海も自分勝手にやれと言われた。
・また自分勝手やれるかもしれないけど、その後、自分勝手やれなくなったら辛いなぁと
 また昔に執着している と。

今も昔も自分勝手にやっていたんですよ。

ただ、昔の自分勝手の頃がたのしくて、執着してただけだったんです。


全部、ただの思い出でした。

楽しく仕事してた頃も、
楽しく仕事してなかった頃も、
どちらも、今は過去の思い出。

その言葉がでてきたら、仕事の事では変な衝動がでてこなくなりました。

今やれる事をやるだけに戻りました。

ありがたいことです。


あと残る衝動は、損得感情だけですね。
ローンの借り換えとか、小金を稼ぐ話とか、物欲を刺激する話といった事と、
お客さんに、むりやり購買意欲をつくりだす方法への嫌悪と・・・

セールストークを聞くのも、見るのも、自分が使うのもウンザリです。

でも、そういう世俗の苦しみに悩む知人をみると、いとおしくて、応援したくなります。
慧海と同じように、苦しみの世を生きる仲間ですからね。

そんな俗世でいきるのが門徒の生き方だといいますが、
出家するより辛いんじゃないですかね?

今はお寺も俗世だから、真宗じゃかわらないかもしれないですけどね。
人助けでいきていけるなら、そういう仕事がしたいものです。
ローンの返済と子供が成人したら仕事やめよかな・・・

帰命尽十方無碍光如来

2013年9月19日木曜日

トラウマ?逆恨み??


4月に本籍の会社に戻り、一応SE系のお仕事をするようになりました。

新しい技術調査の仕事とか、新規サービスに関する仕事とかしていると、
営業支援ではない仕事に戻ったんだなと感じるようになりました。

ところが、一人で作業したり、営業と仕事しているには問題なかったんですが、
具体的にSEと技術的な話をしだしたら、苛立ちと悲しみが入り混じったような、
よくわからない衝動に襲われるようになりだしました。

ゆっくりと、衝動が起こる時の頭をみていると、どうやらその仕事を拒絶しようと
している感情がみえてきました。
それも2つの感情によって、引き起こされる衝動のようでした。


1つは、その仕事を慧海はやってはいけないのだと、頭のどこかで思っているようで、
体が拒絶するんです。

これは、復職直後位に上司(会社)から慧海のSEとしての働き場所は今の会社にないと、
リストラ的勧告をされて、営業支援の仕事に移った経緯とか、
慧海の仕事の悪さで多々迷惑をかけた事から、昔の仕事に戻らないと決めた事といった、
ものが引っかかっている事まではみえてきました。
その頃の思考が再生され、頭の中で再評価が起こっても、同じ結論がでてしまうので、
どうしようもなさそうです。

努力しても、利益の為に、また捨てられるんだろうな と。

もう1つは、今更SEとして昔のように仕事しろと言われても、10年近くSEではなかった
事に対する逆恨みがでてきて、現状を受け入れていないことで拒絶するんです。

今やっている仕事を、もう一歩深く掘り下げて仕事をしようと思うと、やれていない
やるべき事がわかってくるのですが、その作業についての情報が足りないと感じるんです。
その情報は数年前からある情報で使っている人も多い技術なので、
今更慌てて調べるようなものではないだろうと思っちゃう訳です。

後輩にきいても、詳しくは調べていないということで、わからない。
なんで、社内じゃ誰もしらんのだ?とイラ付くと共に、慧海は何故その仕事をしていない
のかと、あれやこれや、情報が足らんのに、どうやって考えればいいんだよと。

会社の判断でSEからはずして、今更昔のようにヤレといわれても、できるわけないだろと。


昔のようにやっていいよと言われても、戻る努力が怖いし、今更なんだよ という
2つの感情によって、戻る事を無意識に拒絶していたということです。

昔の仕事にもどらなくても仕事あるので、ヤレといわれても、僕には無理という回答で
すんでしまう話しでもあるんです。

でも、意識としては、おもしろそうだな やってみたいな と思うんですよね。

頭の中で勝手に色々と考えて、悩んでくれるおかげで、肉体的には気分がわるいです。
ホントうんざりです。

損得、苦楽、どちらも感情の問題なので、どっちも一緒だと思うんですが・・・
人の頭はよくできたものです。
うるさくてたまりませんわw

こういう時に念仏させてもらえる身になったことが、とてもありがたく感じます。

苦しむのが人であれば、念仏という薬なしには生きていけない

ふと、そう思う慧海でした。

2013年9月18日水曜日

Galaxy GT-N7000 アップグレード


今更ですが、グローバル版のGalaxy GT-N7000 のOSを4.1だかにUPしました。

samsung が提供を始めたって記事ばかりで、具体的な方法がわからなかったので、
とりあえず、慧海のアップグレード顛末を、ここに書いておくことにします。

まずデバイスから直接作業しようとしました。
そうしたら残念なことに、「No update available」と出てしまって、
うまくいきません。原因はわかりませんが、しょうがないので、KIESを使う事にしました。


1.KIESダウンロード

KIESを、SAMSUNGサイトからダウンロードます。
KIESを使うと、ファームウェアアップグレードができるんだそうです。
慧海はそれすらしらなかったんで、KIESに行き着くまで時間がかかりました。

慧海が落としたのとは違うURLですが、ここの左上の「WINDOWS用」をクリックすると落ちます。

http://www.samsung.com/jp/support/usefulsoftware/KIES/JSP

また残念なことに、慧海がおとしたのは、古いバージョンだったみたいで、
インストール後、最新バージョンをダウンロードするかと聞かれました。


2. デバイスをUSBケーブルで接続して認識させます。

慧海は、インストールに時間がかかったので、めんどくさがって
最新にしないで作業をしてしまいました。
そのため、N7000がSAMSUNGのデバイスとして
認識されず、ファームが落ちてこないという状態になりました。
また、そこらにあったUSBケーブルをつかったら、充電用にケーブルで
デバイスと通信ができないという基本からしておかしな状態でした。
色々と、楽しようとして悩ましい状態になってました。

ちゃんと最新にして、ケーブルもデバイスをちゃんと認識するものに変えることで、
無事作業が開始できるようになりました。

KIES Wi-Fi接続だとファームを上げられないらしいのでケーブルで接続する
必要があるようです。


3.ファームアップグレード

デバイスをちゃんと認識したら、最新ファームがあるってメッセージがでるので、
それでアップグレードしました。

時間がかかるので、つい他の作業をちょっとしてしまったら、アップグレード中にとまってしまい、
緊急ファームウェアリカバリーをすることになりました。

ファームアップグレード中にPCに負荷をかけるなんて、
システム会社の社員とは思えないおバカな行為ですね…
CD焼くのとファーム操作は、別の作業をしないというのは鉄則だったんですけどねぇw


ファームウェアリカバリーは、エラー時に番号がでてくるので、
それを使ってリカバリーをします。

そのままでは、リカバリー作業もエラーになるので、
一度ケーブルを抜いて、接続エラーの解消をすることと、デバイスも再起動して、
KIESでなんとかしろと書いてある画面にした状態でリカバリーをすることで無事完了

リカバリー後、OSは前の状態にもどるのかと思ったら、
最新になっていたので、とりあえずそのまま使ってます。



段々とこういう作業が面倒になってきてますね。
昔、SEの師匠がPCをWi-Fiに接続するのに手間取っていて、
なんで理論的に色々と思考できるのに、こんな作業に手惑うのかが不思議でしたが、
いまになると、こういう事ほど面倒で手惑うものなんだと思いますねw

ついでに、メインマシンのN-08Dも別ビルドがあったので、アップしました。
こっちは、電池不足で作業できず、充電しなおしてからの作業という、
やっぱり面倒なひと手間をかけましたw


2013年9月14日土曜日

最近の記録


前回も書きましたが、最近は他人の思いのようなものが聞こえるような気がします。
もちろん、妄想です。

慧海が勝手に、相手の声のトーンから怒りやら自慢やらの感情的なものを当てはめ、
話している内容とあわせて、慧海の経験にある苦悩とてらして、聞く言葉です。

これは、意識してやってるわけじゃなく、頭が勝手にやります。
だから止める事もできません。
妄想だからしょうがないですねw

他人の思い以上に自分の思いも流れてきますので、毎日の生活が鬱陶しいです。

たとえば、お客様に良い提案をしようということで熱く語っている人の言葉が、
自分の価値を、自分の正しさを認めてもらいたくて必死になっている言葉に聞こえるんです。
愚痴っているのに、自慢しているように聞こえたり。
テレビや本をみてても、そういうのばっかりですね。うんざりです。

逆に、自慢話しをしているのに、応援しているように聞こえたりするのもあります。

それを見て、自分の感情が動いて、ああでもない、こうでもないと頭が騒ぐ…
ホント、鬱陶しいです。


最近は、さらに勝手に過去の嫌だった思い出を脳内再生されることがあります。

中高生の頃の友人とのいざこざ話とか
昔の彼女の別れ話とか、
黒歴史といわれるようなものとか、
会社での事とか・・・。

大体忘れようとしていた事、思い出したくない事で、
片鱗を思い出すだけで気分が悪くなることばかりです。

それが勝手に思い出されてきます。

不思議と、再生され嫌な気分になった後は、
同じ記憶に嫌な感情がなくなっています。
嫌な感情になった部分も含めて、ただの記憶になってる感じです。

なんだか、もう、このままいけば、いつでも死ねそうですw


なにもわからないままで、落ち着いていられるので、
あえて、何かをしたりはしません。

これも、弥陀佛のお育てなんでしょうね。


帰命尽十方無碍光如来

2013年8月13日火曜日

みんな頑張れ


4月からの異動で、色々と余裕のない生活を送っていました。
盆休みで暇ができたので、全休先生のとこのコメントやリンク先をチェックしてみました。

おや、メインページのリンクに西求記の名前が戻ってるw
誰か後の方のリンクが消えたのかな??
あ!アル中の方がいない・・・。どれどれ・・・。ああ、ブログ中止かぁ・・・。
お世話になりましたw

・・・

フラフラっと読みまわって思ったのは、皆さん、苦しそうだなぁ という感じです。
そこには、皆さんのそれぞれの思いが、苦悩が綴られていらっしゃいます。
なんとかして、楽になろうとする方々の思いが痛いほど感じます。

慧海もそんなうちの一人にすぎないので、ホント痛いほど感じます。
慧海が感じた思い、衝動、苦しみ、そういうものが多々記されています。

慧海が苦悩真っ盛りの時はブログで色々と聞くということがなかなかできない環境でした。

でも、全休先生や亭主師からは年に2回のメールでご助言頂けましたし、
基本的には、慧海がブログに苦悩を書くと答えるかのように、お二方が記事を
書いていただけたので、 そこで学ぶ事ができました。

そんな中に、

「信心がないなら語るな(超意訳w)」
「犀の角のように独り歩め」

とかかれていましたので、自分に問う事を第一として過ごしていました。

自力無効と思い知らされるまで、一人で努力すればいい。
不思議体験も、奇行も、大疑団も、偏った思考も、執着もあることだろう。
その時、その時に常に気づいていれば、それでいい。
そう教わりました。

色々とあって、お蔭様で今では、
鬱に苦しめられない生活ができるようになりました。

おまけとして、人の欲望、苦悩を感じるようになりましたw
呑みの席で、相手が語らぬその人の苦悩を軽く指摘して驚かれたりもします。
でも、皆さんの苦しみが痛いほど感じられるので強い思いの人といるのは辛いですw

・・・

最近では、10倍返しなる言葉を街のあちこちでみかけます。
人気?ドラマの話だそうですね。
興味もないので、中身の話しはできませんが、
10倍返ししようと考えている時点で、その人の苦しみがうかがえます。

仮に良い方向で考えたとしても、10倍にしようとすればその事で頭は一杯でしょうね。
恨みや怒りだとしたら、10本の矢に刺されつづけるように苦しみ続けてるでしょうねぇ。

最初の怒りの苦しみを手放せば、その後が楽になるのにねぇ…。

2013年7月18日木曜日

自然を信じて仏を信じず

日本というか、東洋思想というか、まぁそういう感じのものに

陽極まれば陰に転ず

と言う考えがあるかと思います。

陰陽が循環するという考え方で、陰が極まっても陽に転ずると考えです。
1が全てで、全ては1 みたいなものとセットにして、大極の考え方になってるかと思います。

慧海にとっては、これも自然という事に感じます。


僕ら真宗門徒は自分がいかにダメダメかという事を常に観察しながら生きます。
学んで、内観の念仏して、それでわかる事は、どこまでもダメダメな自分です。

自ら望む訳でもないのに、どん底にまで落ちていく。
途中で引き返そうと思うものの、それもできず、自分を見続け、どん底まで突き進む。

どん底で気づくのは、こんな私は救われる訳がないという事じゃないかと思います。

そんなダメダメな自分が受け入れられなくて、法とやらが救ってくれると信じて、
あれやこれやと考え、教えを探します。

でも、答えなんて見つかりません。
結果、どん底でダメダメな自分を受け入れた時、陰が陽に転ずるのでしょう。
ダメダメなままで落ち着けるようになるんです。
底辺にいるのに、心は縛られず、慈愛の心すら湧いてくるんです。
これが救いかとおもったりしますが、これも自然なる錯覚でしょう。

勘違いして、どん底から少しでも這い上がっちゃうと、途端に縛られ、
欲と怒りの中に戻ってしまいます。
仏様にお救い頂いたなんて考えてる時は、どん底にいないんです。

結果的にダメダメな自分と向き合うだけの生活に戻ります。
逆に、どん底しか落ち着けなくなっているように思います。

慧海は結果的に仏様を信じていない状態に戻りました。
何かを外に求める事は必要なかったんですよ。
ああ、なるほど、「あるがまま、そのまま」 ってこういう事かって感じるんです。

何も信じてませんよ と言いながらも、どこか信仰めいた感覚があるので、
それは何かと自問したら、自然という事に行き着きました。

人間は自然なんだなと気づきます。
Natureの「しぜん」じゃないです。なるようになってる的な「じねん」です。

自然と一体になるっていう事じゃないんです。
華厳みたいに、宇宙と一体なんて妄想めいた話じゃないんです。
無我です。Noアートマンです。何かと一体にって話しじゃないんです。

私たちが「なるようになっていた」っていう事です。

色んなモノや人が、慧海を慧海たらしめているんです。
慧海個人が認識するモノや人は妄想と代わりませんが、
慧海の認識しないところにある、モノや人の働きが慧海を慧海たらしめるんです。
そんなあたりが、諸仏というものなんじゃないかと感じてます。

当たり前ですが、お寺の仏像が佛じゃないんですよ。
それを彷彿させてしまう、「南無阿弥陀仏」という称名じゃなく
慧海の周りの諸仏を感じる「帰命尽十方無碍光如来」
という称名を使ってみようかと思う今日この頃です。

2013年7月14日日曜日

亭主師と慧海


7/6に、鬱陶しい亭主様のサイトが休止に入ると書かれていました。
慧海のブログでは亭主師と書かせて頂いている、その亭主師のサイトです。

早速ご挨拶メールを送らせて頂いたのですが、その際にあることがわかりました。

亭主師の今回記事をかかれていた期間と、慧海の苦悩(修行?)期間が同じだったんです。
慧海からみれば、慧海という弟子の為に法を説いて頂けていたかのようではないですか!w

亭主師は2007年4月に休止されて、10月に再開されてます。
慧海がブログを始めて、亭主師の事を教えていただいたのが、2007年9月です。
そして、慧海の中でどうなっても生きていけそうという感じになったのが、2003年1月
回心体験の夢心地から抜け出して、唯日々の生活を送るようになったのが、今です。
亭主師が、感想文を中心に方向転換したのが1月、そして今回で休止です。

最後の仏教記事?第678話 久々に仏教のことと、第697話 言葉・ロゴス・法は、
亭主師感を感じるとてもありがたい記事で、反省しつつ、感心しつつ頂きました。


亭主師のサイトは、全休先生にメールして教えていただきました。
悟りの智慧を得た人を知っていると全休先生のサイトにあったので、
その方はどういう方かとお伺いしたら、亭主師のサイトを教えていただきました。
その時は、まだ休止中でしたので、過去記事を読み漁っていました。
休職中の慧海には時間ありましたし…w

その後、慧海のブログを毎朝みていただける方がいたので、どんな人だろうと
いう記事を書いたら、それが亭主師でした。

その後から、定期的にご挨拶メールをお送りさせていただいておりました。

今回、休止されるとのことですが、再開しても仏教関係のお話は殆ど
書かれないんじゃないかと想像しています。

カメラから仏教に、そして今は感想文をかかれてました。
再開したときはどんな事をかかれるのか楽しみです。


ありがとうございました。

またお会いできる日を楽しみにお待ちしてまぁ~すw