2018年1月3日水曜日
秩父の札所巡礼 0日目
昨年、秩父の札所巡礼を始めました。
慧海の父が、定年に暇つぶしか、東海道を歩いてお伊勢までとか、
百観音巡礼とか、不動尊巡りだとかをしていたんです。
そんな中、遊び気きていた友人Tが、自慢話をしたい父に
巡礼ってどんなもんかと聞いてしまったのが、
やがて、秩父の札所巡礼につながろうとは…w
ということで、真言宗智山派の檀家である友人Tが、
秩父なら行けそうということで、慧海を道ずれに、札所巡りを始めました。
地図や本は、父がもっていたものを借りて、
どんな事をするかを一通り父にきいて、
あとは、1番札所に行って必要なものをそろえりゃスタート
というところまできたのが、3月ごろの事でした。
でもね…花粉が飛ぶので友人Tが、まだ巡礼にはいけないのですよw
巡礼本を図書館で大量に借りて、なんとなく勉強。
いくつもあったけど、お寺の説明ばかりであまり役にはたちませんでした。
雰囲気がわかる一番参考になったのはこの本でした。
元気になれる秩父おへんろさんぽ (散歩の達人POCKET) さとう みゆき 著
と、いうところで、次回 1日目 1番~3番札所のお話をかきます。
今年もよろしくお願いします
あけましておめでとうございます
昨年は、ほとんどアップができず、休眠ブログとなってしまいました。
昨年もいろんなことから逃げて、
引きこもって、
心の快楽に浸っていました。
仏書読んだり
親鸞講座行ったり
秩父の札所巡礼行ったり
アニメみたり
漫画読んだり
慧海は、自分にとって心地よい事に浸りつつ、社会生活してます。
とはいっても、変わったところを探してみると、
昨年は佛をさがすような事がなくなり、
苦悩を排除するような努力はしなくなりました。
排除とは別に、苦悩が増えないよう、
一歩引くような生活になってきているように思います。
腹立たしく感じることがあっても、こちらの主張はできるかぎりせず
できるだけ相手の要望に合わせるような生活です。
何をしてても、自分の思考がみれちゃうので、
自堕落で、
無責任で、
嘘つきで、
ケチで、
泥棒な
慧海でも生活できてます。
今年は、そんな見えちゃっている思考を少しでも記録しておきたいものです。
秩父の札所巡礼や、親鸞講座の思いでを記録しておきたいとも思ってます。
巡礼は昨年でほぼおわっているので、正月休み中に一気に書き上げておきたいですねw
そんな慧海ですが、
本年もよろしくお願いします。
2017年9月24日日曜日
11年目の慧海
現実逃避にあけくれて、自らをみつめるブログ書きの時間を取らずに過ごしてしまいました
前のPCから、キーボードの無いタブレットPCにしたことで文字打つのが面倒で…
キーボード見ないと文字打てないのって、不便ですね
でも、キーを使わないならタブレットとかスマホはとても便利です。
検索なんかは音声入力が結構つかえるし、将来はキーボードなんて要らないのでしょう
とはいっても、慧海にはまだまだキーボードが必要なんです
以前愛用のPCひとつでこんな思いがでるんですから、会社員生活なんて
騒がしい日々になるわけですよ
あれは嫌、これは嫌、昔はそうじゃなかった、あのころだったら…
なんて思いに縛られながら、妄想にしがみついて、世を恨んで…
それでも、妄想を手放し、流れていかなきゃ生きていけないし…
ああ、嫌だ嫌だ
生きるのってなんて面倒なんだろう
自分の思い通りにしたいと努力するのも面倒だし、
コレコレがしたいとか、そういうのも無くなっちゃったしなぁ
酒飲んで、漫画読んで、アニメみて、ゲームして
楽な快楽に浸ってい時間やりすごしてたら、定年とかこないかな
でも、老いたらそれも不満なのだろうなぁ
早く死ねないかなぁ
こんな思いが10年前からずっとこびりついてます
年々、こんな自分がよく見えてきます。
どこまでも、自分本位なんですよね
欲求だらけです
たまに、気づかず欲求にのまれた行動をしてしまうと、
後で嫌な気分になります。
何をするにも、そんな自分との対話なので、
世間様への不満を口にしなくなってきました。
なにか不満を感じても、それは慧海の欲求だし
彼らは彼らで気づかず欲求のままに動いているんだから
自分の欲求を感情にまま口にするべきではない
欲求を満たしたいなら、ビジネス的に筋道とおしてやりましょ と
自宅や実家では、つい感情的になって不満をたれ流したりして
家族や親にうるさがれてますけどね
以前よりは感情的ではなくなったんですが…
そんな10年をすごした慧海でした
11年目もお育てのままに
2017年3月20日月曜日
見ない
前回記事を書いた時は、早咲きの梅が咲きはじめたところだった。
今、遅咲きの梅が散り始め、早咲きの桜が散ったり、満開になったりしている。
ソメイヨシノももう少しで咲くだろう
1月から毎週末ごとに梅桃桜を眺めて平日とは違う空間に逃避してきた。
環境が変わって、数年間時間が止まっていたことに気づいた。
目を伏せ、周りを見ないようにしつつ、足元だけみて歩いてたら移動はできていた。
どこに向かってたとかは置いといて、動きはしていた。
環境が変わって、仕事の為の勉強でもしようと、本を読もうとかしてみた。
新しい環境に受け入れてもらいやすいように、何かしようとか考えてみた。
疲れただけだった
また、周りが目に入らないようにして、余計な事を考えずただ動く
周りに期待なんてもちろんしない
気づかず期待して、イラっとして期待した事にきづいては、期待をすてる
そして週末の1日で花と空みて違う空間にトリップし、もう一日は布団で漫画にトリップ
止まってたと気づいたけど、また止まる
消化したかったタスクを放置してるから、気づいてるのに止まると息苦しい
捨てちゃえば楽なのになぁ
捨てるどころかもっと自分にものにしたいという欲ばかり
明日からまた、足元みて一歩一歩足を動かそう。
期末の報告の体裁整えないとなぁ
未来に夢見てるだけなら心地良い
日々のルーチン以外に考える事がなければ楽に過ごせる
夢のような欲望をかなえる未来を描いて、日々のルーチンにまで落とし込む
それができたか、定期的にチェックする
そして期末に、想定通りか報告する。
自然ということから離れた、めんどくさい世の中だ。
2017年1月3日火曜日
今年もよろしくお願いします
ほとんど記事も書いておりませんが、
今年もよろしくお願いします
2016年は、世間様の事で色々と悩ましい年でした。
慧海はシステムエンジニア(SE)という職種で仕事をしておりました。
この職種には慧海のこだわりがあって、精神に来たのもこのこだわりが
あった為だと思われます。
そのSEというこだわりから離れる決意をしたのが、2016年でした。
社会人歴26年弱、このこだわりでお給料頂いたのですから、
違うことでお給料を頂こうとなると、どうしていいのかわかりません。
ただ目の前の事を考えて、動くしかないようです。
理想(妄想)を描こうにも、それだけの知識もありません。
ただ今に集中する。
仏道の俗世処世術応用と言われればそうなのかもしれません。
会社員は、会社に役立つ自分の将来像を描いて、会社と約束して
会社に価値をみとめてもらって、お給料を頂いていますので、
会社の欲に合わせた自分の欲を表現する必要があります。
慧海は、自分の中からあふれ出る欲だけでも苦しいのに、
理想に向けてもっともっと欲深く考えるなんて、ホント苦しくたまらんよ
今はそんな理想はなく、今に集中するしかありません。
そんな事すら考えている余裕もなく、今やらないとイカンのは何か
それだけで、1日終わってしまいます。
こだわりがなくなって、苦しみが少なくなった分、
欲望をみたした満足もありません。
きっと、この位がちょうど良いのでしょう。
あ、一応会社員ですので、会社との約束事はありますよ
「お客様に満足していただくにはどうするか」を考える
が、今の約束事です。
具体的にすれば、もっとお金のにおいのする話になりますが、
きれいごとで言えば、お布施的な事になります。
日々の心持ちは仏道をあゆみつつも、お給料いただけて
欲望や怒りを表現しないでよい環境にちょっとずつ変えていく
そういう生活が始まったのかなと思いたいですねw
処世術の念仏が習慣化すると、無意識に念仏がでます。
今、口に浮かぶ念仏はもう処世術だったかどうかはわかりません。
この世で生きるのが苦しくなって学び始めた仏道ですが、
仏道にそった生き方以外には今となっては考えようがないのです
ケチで、不満ばかりの慧海です
南無阿弥陀仏
2016年9月22日木曜日
10年目の慧海
まずは近況
10月で、営業部門に出向が決まりました。
やっていた仕事は6月末で一区切りついた後、社内の調整に入ったようで
継続できるよう提案してたんですが、うまくいきませんでした。
結果として、日雇労働経営会社に勤務するサラリーマンは
お金もらえそうな所に身売りすることにしましたw
今の部署とは仕事の方向性があわなくて、仕事の方向性があう部署に
昔のつてで拾ってもらえるよう相談してたので、慧海としてはうれしい人事です
残念なのは、2年やってきた開発案件が中途半端な状態のままで、
一緒にやってきた業務部門の方々にご迷惑をかけちゃうことですね
9月になって、提案してきた継続開発が動きだしたのですが
継続するには慧海の頭の中が必要だと慌てて動かれたようですが、
既に異動の調整が終わった後で、うちの社長まで話がいったが
時すでに遅しということになりました。
この間、ずっと心の反応をみてきました
わかりやすいのは、誰かに認めてほしいという欲求ですよね
認めてもらえると、甘えがでるし
認めてもらえないと、逆恨みする
そんな頭の中が鬱陶しいです
認めてもらいたくて行動しようと思い、
それが気づき、馬鹿らしくなって何もしない
どっちにしろ気分に振り回されて疲れるんです。
SEという仕事は、慧海にとっては思い入れがある仕事です。
思い入れも、SEとしての知識もある分、こだわりが出てしまいます。
こだわらずに、モノが作れるか!
そう思いながらも、昔のようにはこだわりきれない
あきらめて、妥協して、中途半端ものを納める。
妥協した所ほど、お客様から苦情がでるんですよね
はい すいません
わかってました
こんなチームじゃなきゃこんな妥協はしないのに…
と言い訳が頭にでては、
全部、慧海自身の問題だと、
それらの思いを手放すこともできず、
ただ飲み込んで
酒だ、アニメだ、漫画だ、聖地巡礼旅行だと
現実逃避に走ります。
なので、慧海は思い入れのあるSEを辞めることにしました
ずっと案件は失敗続きで、立派なSEといえるものでもないので
卒業ではなく、中退です。
これ以上SEが続けられなくなったので、逃げだすんですw
SEとしての理想も思いもすてて、
新しい職場で、
お客さんが喜ぶことを提供したいと思います。
元々思い入れやこだわりがない分、今に集中しやすいだろうと思います。
2007年9月のお彼岸に帰敬してから、仏弟子10年目に入ります。
日々の生活で佛と向き合っているとは言えませんが
佛をわすれて過ごすこともできず
酒で自制ができなくなるか、静かに念仏している時以外
何かをずっと抑えて耐えているようなそんな日々を送ってます
今考えると、10年前に比べて、苦悩はしてても
苦しさが軽い気がします。
腹も立ちますが、苛立ちが短くなったようにも思います。
ただ、ものごとに関心が薄くなっただけかもしれません
10年大人になったということですね
社会人になって25年がたちました
うつ病から10年
40代は再出発の年と言われます
今までの記憶と思いとを整理して
ここからもう一度日々の生活を見直したいと思います
南無阿弥陀仏
2016年7月18日月曜日
もう7月
何回か書こうと思ってかけてないので、まとめて書いちゃいましょ
■ぐちってた仕事の話
1年以上かかった仕事は、6月末でやっと一段落しました
でも、終わりじゃないので、まだまだ続きます。
うちの会社、約束したことだけをやる下請け子会社の文化があるんで、
営業よりで、下請けじゃない仕事してきた慧海は異端なんですね
でも、今の仕事のお客様からの相談先は慧海になるので、切りたいけど切れない
という感じで扱っていただいてます。
とはいっても、お金もらえないと何もできないルールなので、
このまま次の開発にむけてのお金もらえないと、別の会社に出向とかしちゃうんです
早くそうならないかなぁって思いますw
■医者にみる技術とコミュニケーション能力
先日、歯が痛くて歯医者に行きました。
当日だったので、見てもらえるだけでもありがたいんですが、
症状の話の前に、お薬手帳をつけていないことに指導があり、
次に歯磨き回数が少ないと指導がありました。
次に、症状の説明のあと問題の歯ではなく全部の歯のチェックがあって、
そのあとctとレントゲンでした
レントゲンとったあと、歯があたると痛みがでるので削るといわれて削ったあと
別のところで、ctではなくレントゲン写真をつかって
歯磨きがすくないのと歯を噛む力がつよいので歯がささえられなくなっている
急ぎ抜くしか痛みがなくなる方法はないと説明され、手術同意書と予約を入れられました
抜いた後のことをきいたら、奥歯なんで抜きっぱなしとのことでした
口コミでは評判よさそうだったんですが、慧海の期待とは違う感じです
後から思うと、評判は10年近く前で、先代の先生に対するものだったようです
抜くのは避けたいので、セカンドオピニオンしてみました
そこの病院は、まず症状の説明のあと問題の歯をみて、
初診なんで全体をと一言があって他の歯をチェック
そのあとctとって、問題の歯と全体の状況の説明と
判断の為の選択肢を説明してくれました
普通は抜くのが良い状態なようなので、最初の病院の判断が悪いわけではないんですが
話をする内容が大きくちがいます
これはお客様と接する際の良い参考だと感じました
問題・不安を抱えて相談にきている人に対して、テンプレート対応は信頼を得られません
説明と納得が得られないで、決断をさせるのも信頼を得られません
どう接するのが良いかを身をもって経験しました
昔、営業同行して、問題点よりも全体把握を優先した話をして
終わってから営業に怒られたのを思い出しましたw
■ボランティアいってみた
会社のボランティア活動に参加してみました。
昔、子供がお世話になったので、今度はお世話する側になって恩返しですw
そのボランティアは色んな作業分担があるんですが、その役割は自由に選べません
実際、俺がこれやんのか!? って作業が回ってきました
「誰か代わってくれないかな」
「僕にはちょっと難しいです」
といった逃げ思考がでてきましたが、それをいうなら
ボランティアになんできた?って感じですんで言えません
身体的に難しいわけではありません
ただ、数ある役割のなかで一番やりたくない役割だったんです
もちろん、嫌だとは思いましたが、いろいろ教わりながらちゃんとやり切りました
おかしなことに、普通の仕事だったら言い訳作ってにげてるんです
言える状況じゃないから言わないというのは、本来仕事も一緒です
でも、上司は適材適所を考えるものだとか考えてるんで、
嫌な役割は拒否していいとかって思っちゃうんですね
俺様にそんな作業させるな ってことですよw
逃げずに、与えられた役割をやりきる
ただそれだけなんです
それだけが、今の会社にいるとできない
昔の思いが俺様を作っているんですね
俺様な慧海はなにものぞ?
■弥陀佛の範囲と人の範囲
こんな感じで2か月過ごしました
蕁麻疹も高血圧もよくならず、薬が変わり副作用に悩まされてます
ああでもない、こうでもないと不満だらけです
その不満は弥陀にお任せする範囲のことだろうか?
「現状」は「結果」ですから、そこはお任せするしかありませんし
なるようになるのですから、こう考えていることもお任せしかないんですが
思考停止して依存するのも違うように思います
人の判断には、人として対応して、その結果をお任せするのだろうと思います
人の対応とは、自分が納得することなんじゃないでしょうか
納得いくまで動くんです
納得いったら、どんな結果として何がきても、それを頂いて
また次の納得まで動く
過去に文句を言ってもしょうがない
未来に不安を抱えてもしょうがない
宿業のままに、動くしかないのでしょう
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