「わからぬなら黙れ」
という感じがしたので、数日黙ってみた
全休先生の昔の記事で、自力の1階、他力の2階 というような話が書かれていたことがあったのだが、1F をしっかりしないと、2F にはあがれんのだ というような話で、1Fの自力宗派がしっかりせんから、他力宗派の真宗が自力もやらにゃならん とか書いてあったように思う
慧海はまだまだ自力
自力たって、何かできてる訳じゃない
できやしないけど、何かしなきゃどうにもならない
だからやる
それだけの話
わかった人には、他力がわかるようだ
他力を感じれるまでは、自力の世界をがんばるしかない
中途半端に自分の思い通りにはならない事を知ったので、
昔のように自己実現とか言って、自分創造はもうできない
適当に逃げて、得意な仕事をさらっとやって、思いを放置する訓練でみにつけた、思いにのまれない感覚を処世術に面倒な仕事もそれなりにこなす
あとは趣味の時間と酒飲み時間で日々をすごす
そんな堕落生活を送っているのだから、自力の極みもわからんだろう
それでも、自分をみながら生活するしか ないのだよ
真理なんて、なにもわかりゃしないけど
自分の中にある勝手にうごくものを勝手にさせとくこともできんのだよ
足跡くらいは追い続けていかないとね
2010年10月26日火曜日
仏を妄想しないように読む
全休先生の「仏が見ておられる」に
を、これは慧海への回答か?なんて思ったりしつつも、
この手の言葉は読み手の力量を問われているように思える
何が力量かというと、仏を妄想しないで読めるか という意味での話だ
仏の眼とは?
仏はいつもわたしをみておられるとは?
そのまま読めば、自分の外に仏なるものを想像し、
その仏の眼の話をしているように読めてしまうだろう
それでは、仏道ではなく外道となってしまうのだそうだ
じゃどう読むのだろうか
先生の過去の記事にあるように、仏を智慧と読むことで、「仏の眼」とは「智慧の眼」と読みかえられる
じゃ、智慧がいつも私をみてる というのはなんじゃらほい?
それは、その上の行にあるように「智慧とは煩悩が見える眼」と書いてあるのだから、「煩悩が見える眼はいつもわたしをみている」ということになるんだろう
じゃ、仏は何をみているのか…そりゃ、煩悩の見える眼でみえる私とは煩悩以外にないではないかw
煩悩とは、三毒やら分別知やらと読み替えられる訳で、端的に言えば慧海のような凡夫以下のヤツの心のことなであり、ああ、慧海のことか! とか思ったあなたの事だ!w
そうするとなんだ、「わたしが仏を忘れようと…」ってことは、自我としての私が煩悩を見る眼を忘れようとも…ってことになってだなぁ… これまた先生の過去記事にあるように、見られる私(自我?)から見る私(真我?)になるってことで、私が私を見るのではなく、私が私を見るのだ って言葉は一緒じゃん!w
信心の獲てないヤツは仏道を語る資格がないんで、
そろそろ黙っとけつ~こった
まぁ油断無く自分の心をみておけ って事しかできんのだよ!
今の慧海には私の目で私の心を油断無くみるしかないってこった
慧海のあたまにゃ、
仏に逢うては仏を殺せ 祖に逢うては祖を殺せ だ!
…やっと届いた、わが名を称えよ を読みながら聞法しようっと
一念とは一瞬の体験であり、信心を得るとは智慧が生ずることです。智慧とは煩悩が見える眼であり、むこう側からこちら側を見る眼で、凡夫に属する眼ではありません。憶念とはわたしを見る仏の眼の中にわたしがいるということであり、わたしの眼でわたしを見るのではない。よって、わたしが仏を忘れようと、仏はいつもわたしを見ておられます。とあった
を、これは慧海への回答か?なんて思ったりしつつも、
この手の言葉は読み手の力量を問われているように思える
何が力量かというと、仏を妄想しないで読めるか という意味での話だ
仏の眼とは?
仏はいつもわたしをみておられるとは?
そのまま読めば、自分の外に仏なるものを想像し、
その仏の眼の話をしているように読めてしまうだろう
それでは、仏道ではなく外道となってしまうのだそうだ
じゃどう読むのだろうか
先生の過去の記事にあるように、仏を智慧と読むことで、「仏の眼」とは「智慧の眼」と読みかえられる
じゃ、智慧がいつも私をみてる というのはなんじゃらほい?
それは、その上の行にあるように「智慧とは煩悩が見える眼」と書いてあるのだから、「煩悩が見える眼はいつもわたしをみている」ということになるんだろう
じゃ、仏は何をみているのか…そりゃ、煩悩の見える眼でみえる私とは煩悩以外にないではないかw
煩悩とは、三毒やら分別知やらと読み替えられる訳で、端的に言えば慧海のような凡夫以下のヤツの心のことなであり、ああ、慧海のことか! とか思ったあなたの事だ!w
そうするとなんだ、「わたしが仏を忘れようと…」ってことは、自我としての私が煩悩を見る眼を忘れようとも…ってことになってだなぁ… これまた先生の過去記事にあるように、見られる私(自我?)から見る私(真我?)になるってことで、私が私を見るのではなく、私が私を見るのだ って言葉は一緒じゃん!w
信心の獲てないヤツは仏道を語る資格がないんで、
そろそろ黙っとけつ~こった
まぁ油断無く自分の心をみておけ って事しかできんのだよ!
今の慧海には私の目で私の心を油断無くみるしかないってこった
慧海のあたまにゃ、
仏に逢うては仏を殺せ 祖に逢うては祖を殺せ だ!
…やっと届いた、わが名を称えよ を読みながら聞法しようっと
2010年10月25日月曜日
知らない事が腹立たしい
昨日の記事を書いたあとに気が付いた
既にそのモノが欲しいのではなく、そのモノを期待通りに入手できない事に執着している自分の頭があった
仕事をしていて問題が発生した場合、問題を解決させる方策があればそれを実施してみて結果をみればいいと考えられる。しかし、その問題をどうやって解決させるかがまったく思い当たらないとなると、その問題は何が問題であるかから理解してからじゃないと問題解決作業に入れないのだ
よく上司とかには、余計な事を考えないで問題となっている現象を回避させるように仕事をしろといわれたのだが、1足りないから1足した みたいな対応は問題を解決したことにならないと思っているので納得がいかないのだ
で、物欲の話に戻すと
どこのお店でも同じ商品を同じ値段でしか買えないのなら悩まない
世の主婦の方々が、近所数箇所のスーパーの品質と値段に悩むのは
同じものが同じ値段でうっていないからだろう
そこに、損得の感情がのり、時間と労力はタダという感覚から
数件のスーパーをはしごして、肉と野菜を別々にかったりするのだ
この場合、どこのスーパーに行けばよい というのが解決方法だが
このスーパー情報がないと求めるモノを獲る事がむずかしい
慧海の物欲もにたようなもの
わが名を称えよ は そもそも売ってない
そういう売ってないもの 売り切れているものを買うとなると
定期的に情報検索をしなければならない
情報がみつからないと、長い時間ネットであれこれと
宝探しをすることになる
他にもPCやら家電やらの機械類は、特価商品がでる
それを探すしかないのだが、これもタイミング
機械類は、そもそもの規格がわからないとドレを買えばいいかがわからないので、それを勉強してからじゃないと、判断ができない
なので買う前に勉強しなきゃイケない
そんな中、安い! という商品がでたりすると、あせるのだ
最近は携帯電話を買ったりもしたので、これまた悩む
携帯はプランやら買換えやらで値段が全然違うし、メーカ色もそれぞれ違う
ミスれば2年縛りがまっているのだから、余計に悩む
長年つかうメリットがなくなった最近の携帯なので、2年毎に継続するか、他社切り替えするかを悩まないといけないのだ
ドコモはSIMのロックをなくす とかいううわさもあったので、端末とSIMを分けて考えられるようになるのかもしれないが…
そんなわけで、知らない状態で世間様のお得情報に振り回されて、あわあわ と踊ってしまったが、段々わかってきたら、手を打てそうなので落ち着きだしてきた
慧海は、分別の虜だなぁ
ところで、慧海の わが名を称えよ が届かない…
23日に発送し、一両日中に届くだろう というのだから今日位にきてるかとおもったのだが… 明日には着てくれるだろう…
わからない ということは不安である ということ
わかろうとしなけりゃ、不安はなくなるのになぁ
既にそのモノが欲しいのではなく、そのモノを期待通りに入手できない事に執着している自分の頭があった
仕事をしていて問題が発生した場合、問題を解決させる方策があればそれを実施してみて結果をみればいいと考えられる。しかし、その問題をどうやって解決させるかがまったく思い当たらないとなると、その問題は何が問題であるかから理解してからじゃないと問題解決作業に入れないのだ
よく上司とかには、余計な事を考えないで問題となっている現象を回避させるように仕事をしろといわれたのだが、1足りないから1足した みたいな対応は問題を解決したことにならないと思っているので納得がいかないのだ
で、物欲の話に戻すと
どこのお店でも同じ商品を同じ値段でしか買えないのなら悩まない
世の主婦の方々が、近所数箇所のスーパーの品質と値段に悩むのは
同じものが同じ値段でうっていないからだろう
そこに、損得の感情がのり、時間と労力はタダという感覚から
数件のスーパーをはしごして、肉と野菜を別々にかったりするのだ
この場合、どこのスーパーに行けばよい というのが解決方法だが
このスーパー情報がないと求めるモノを獲る事がむずかしい
慧海の物欲もにたようなもの
わが名を称えよ は そもそも売ってない
そういう売ってないもの 売り切れているものを買うとなると
定期的に情報検索をしなければならない
情報がみつからないと、長い時間ネットであれこれと
宝探しをすることになる
他にもPCやら家電やらの機械類は、特価商品がでる
それを探すしかないのだが、これもタイミング
機械類は、そもそもの規格がわからないとドレを買えばいいかがわからないので、それを勉強してからじゃないと、判断ができない
なので買う前に勉強しなきゃイケない
そんな中、安い! という商品がでたりすると、あせるのだ
最近は携帯電話を買ったりもしたので、これまた悩む
携帯はプランやら買換えやらで値段が全然違うし、メーカ色もそれぞれ違う
ミスれば2年縛りがまっているのだから、余計に悩む
長年つかうメリットがなくなった最近の携帯なので、2年毎に継続するか、他社切り替えするかを悩まないといけないのだ
ドコモはSIMのロックをなくす とかいううわさもあったので、端末とSIMを分けて考えられるようになるのかもしれないが…
そんなわけで、知らない状態で世間様のお得情報に振り回されて、あわあわ と踊ってしまったが、段々わかってきたら、手を打てそうなので落ち着きだしてきた
慧海は、分別の虜だなぁ
ところで、慧海の わが名を称えよ が届かない…
23日に発送し、一両日中に届くだろう というのだから今日位にきてるかとおもったのだが… 明日には着てくれるだろう…
わからない ということは不安である ということ
わかろうとしなけりゃ、不安はなくなるのになぁ
2010年10月24日日曜日
物欲が止まらない
欲しいモノができると、頭の中はいつも大騒ぎだ
いかにして得をしようかと頭はその事ばかり考える
手に入れたら手に入れたで、期待と違っていたりして
また大騒ぎだ
認知的不協和を解消させるため、あれやこれやとまた考える
欲する心を相手にしなければ、とても楽なのに…
わかっているのに、一度欲しくなると止まらない
今買うのが安いのか?
一ヶ月まったら値が下がるのか?
それとも在庫がなくなって逆に値があがるのか?
ドコで買うのが一番安いのか?
どこにその情報がある??
そんな事ばかり考えて、段々と
今動かないと損をするんじゃないか?
って気になり、何故それが欲しいのかじゃなく
どう買うかが問題になってくる
目的と手段を取り違えてしまう
それどころか、正気すら失ってくる事すらある
手に入れるまでは落ち着いて過ごせない
これは実際の買い物の話ばかりではない
評価であったり、機会であったり、改善状態であったり…
だんだん強迫性障害の状態に近くなっていく
僕が手に入れるべきものは、向こうからやってくる
向こうからやってこなかったのなら、必要のないもの
そう考えて過ごしていた時期は実に楽だった
世の中は、何かにとらわれたら最後
自分で抜け出すまで生死をくりかえす…
いかにして得をしようかと頭はその事ばかり考える
手に入れたら手に入れたで、期待と違っていたりして
また大騒ぎだ
認知的不協和を解消させるため、あれやこれやとまた考える
欲する心を相手にしなければ、とても楽なのに…
わかっているのに、一度欲しくなると止まらない
今買うのが安いのか?
一ヶ月まったら値が下がるのか?
それとも在庫がなくなって逆に値があがるのか?
ドコで買うのが一番安いのか?
どこにその情報がある??
そんな事ばかり考えて、段々と
今動かないと損をするんじゃないか?
って気になり、何故それが欲しいのかじゃなく
どう買うかが問題になってくる
目的と手段を取り違えてしまう
それどころか、正気すら失ってくる事すらある
手に入れるまでは落ち着いて過ごせない
これは実際の買い物の話ばかりではない
評価であったり、機会であったり、改善状態であったり…
だんだん強迫性障害の状態に近くなっていく
僕が手に入れるべきものは、向こうからやってくる
向こうからやってこなかったのなら、必要のないもの
そう考えて過ごしていた時期は実に楽だった
世の中は、何かにとらわれたら最後
自分で抜け出すまで生死をくりかえす…
2010年10月23日土曜日
聞法は大事
全休先生の記事「無念無想で生きている」の
ああ、宿業 ってことだな などと、知識として認識し、そして、
苦しい時にはこの宿業感にホっとした覚えすらある
なのに、先日読んだ時には、なにか認めたくないような、寂しいような、抵抗してみたくなるような、そんな感覚があって、それ自体もまた、認めたくないような気分だった
その翌日、「すでに救われている」で
その日は地に足が着いているような、そんな感覚を強く感じた
さらに、「無念無想で生きている」の記事をみてもすんなりと、そうだな と思ったりするという、僕の立ち位置みたいなのが変わるような言葉だった
やっぱり全部自分の中での出来事なんだよね
しっかり地に足つけて、余計な妄想を交えず、ちゃんと見よう
救われた という部分が慧海にはイマイチ薄いが、地に堕ちて、やっと自分の足で立つことを知った
自分の足で立ち、自分の五感で感じることに意識を向ける事で、五感の知ることにどう妄想が入ってくるかを知った
そして、自分の妄想に乗っからないでいるにはどうしていればよいかを知った
これがわかっただけで、世の中を過ごすにはずいぶんと楽になる
残念な事に、知ったことは、よく忘れるw
慧海は3ヶ月ほど聞法を怠けた
結果、自分で感じたことすら忘れた
アレやらコレやらが欲しいとか、暇だけど新しい仕事すんのがめんどいな とかそんなことばかり考えてたり、あれやこれやとやることが溜まって、追われるように片付けていたりするのも、同じようにふわふわと地に足をつけずに日々を過ごす事になっている
そして、なんとなくアセアセ イライラとした日をおくるのだ
この記事をみて、ああ、そうだった と思い出したという感じだ
「内観の念仏」の記事に
ブログ立ち上げ時の記事なんで引用させてもらっては無かったが、
この記事は実に慧海のような初心者向きな言葉だと思う
こうなるまで、何をしろ と書いてあるからだ
とはいっても、実際にやれるかは別
もちろん頑張ってみるのだが、油断無く観察がドンドンできなくなっていっている
観察する事に慣れというのがあるのかな?
元々油断無い観察ができていないが、感情のヤバそうなものだけは自動アラートが出るくらいの観察が最初の頃とちがって、強く意識することなくできている
逆に、観察している事を忘れる
車の運転で、ドコをみるか を意識してた最初の頃から、意識しないで色々みることができるのと同じような感じではあるが、頭が勝手に動いているという事なので、無自覚でいることをやめるべく観察してたはずが、また無自覚になるという事になって、本末転倒な状態なのだ
釈尊の教えが正しいかは実践してみて苦が減れば正しい と言う言葉を読んだことがある
であれば、実践した結果、楽になった部分はまちがっちゃいないんだろう
そのあたりも観察しつつ、地に足をつけていきてきたいものだな
こうやって、全休先生の言葉をよんでは、自分の事を振り返る
慧海にとってはこれが聞法の一部なので
あとは、日々?寝ながら?? 自分の心と体の声をきくだけ
新しいブログのエディタはイマイチだな…
入力領域が狭いからかな?
ちょっと運用方法も検討しよ…
わたしたちが“自分”だと思っている思いや感情は自動機械のように自然に湧いてくるのであり、「全くわれわれが考えてやっていることではない」。自然に湧いてくるのだから、わたしの努力の結果でもなければ、自由意志で起こしたわけでもない。わたしたちは自由意志というものをかつて一度も起こしたことがなく、「人間というものは本当は無念無想で生きているのである」。仏になろうとしなくとも、そのままの仏なのです。という言葉があった
ああ、宿業 ってことだな などと、知識として認識し、そして、
苦しい時にはこの宿業感にホっとした覚えすらある
なのに、先日読んだ時には、なにか認めたくないような、寂しいような、抵抗してみたくなるような、そんな感覚があって、それ自体もまた、認めたくないような気分だった
その翌日、「すでに救われている」で
宗教はすべての者を平等に救うという。なにかを信ずることで、あるいは特殊な経験を得たものだけが救われるのではなくて、すでに誰もが救われている、そのことに気づきなさいと教えます。あらためて救いを求めようとする、それが迷いというもので、求めることをやめれば、その瞬間が浄土の真っ只中です。の記事をみて、ああ、そうか となんかすっきりした気になった
求める人の苦悩の滑稽さは、あたかも、道路の真ん中で腹ばいになって「溺れる、溺れる」と騒いでいる人のようです。「どこに水があるの、立ち上がりなさい」と教えてあげるのですが、気づいて立ち上がる人はほとんどいない。もし気づけば、その滑稽さに大笑いする違いない。
その日は地に足が着いているような、そんな感覚を強く感じた
さらに、「無念無想で生きている」の記事をみてもすんなりと、そうだな と思ったりするという、僕の立ち位置みたいなのが変わるような言葉だった
やっぱり全部自分の中での出来事なんだよね
しっかり地に足つけて、余計な妄想を交えず、ちゃんと見よう
救われた という部分が慧海にはイマイチ薄いが、地に堕ちて、やっと自分の足で立つことを知った
自分の足で立ち、自分の五感で感じることに意識を向ける事で、五感の知ることにどう妄想が入ってくるかを知った
そして、自分の妄想に乗っからないでいるにはどうしていればよいかを知った
これがわかっただけで、世の中を過ごすにはずいぶんと楽になる
残念な事に、知ったことは、よく忘れるw
慧海は3ヶ月ほど聞法を怠けた
結果、自分で感じたことすら忘れた
アレやらコレやらが欲しいとか、暇だけど新しい仕事すんのがめんどいな とかそんなことばかり考えてたり、あれやこれやとやることが溜まって、追われるように片付けていたりするのも、同じようにふわふわと地に足をつけずに日々を過ごす事になっている
そして、なんとなくアセアセ イライラとした日をおくるのだ
この記事をみて、ああ、そうだった と思い出したという感じだ
「内観の念仏」の記事に
自分の心をよく観察して、いっときも油断なく観察できるようになれば、やがて、見られる心があなたなのではなく、見る眼があなたになる、そういう転換が起こるでしょう。とあった
ブログ立ち上げ時の記事なんで引用させてもらっては無かったが、
この記事は実に慧海のような初心者向きな言葉だと思う
こうなるまで、何をしろ と書いてあるからだ
とはいっても、実際にやれるかは別
もちろん頑張ってみるのだが、油断無く観察がドンドンできなくなっていっている
観察する事に慣れというのがあるのかな?
元々油断無い観察ができていないが、感情のヤバそうなものだけは自動アラートが出るくらいの観察が最初の頃とちがって、強く意識することなくできている
逆に、観察している事を忘れる
車の運転で、ドコをみるか を意識してた最初の頃から、意識しないで色々みることができるのと同じような感じではあるが、頭が勝手に動いているという事なので、無自覚でいることをやめるべく観察してたはずが、また無自覚になるという事になって、本末転倒な状態なのだ
釈尊の教えが正しいかは実践してみて苦が減れば正しい と言う言葉を読んだことがある
であれば、実践した結果、楽になった部分はまちがっちゃいないんだろう
そのあたりも観察しつつ、地に足をつけていきてきたいものだな
こうやって、全休先生の言葉をよんでは、自分の事を振り返る
慧海にとってはこれが聞法の一部なので
あとは、日々?寝ながら?? 自分の心と体の声をきくだけ
新しいブログのエディタはイマイチだな…
入力領域が狭いからかな?
ちょっと運用方法も検討しよ…
2010年10月21日木曜日
色合い変えましたよ!
会社の元同僚が、新しいブログのタンポポブログを見た後に
白い画面みると目がおかしくなる!
とクレームがつきましたw
ええ、わかりましたよ!
と、いうことでバック変えました
これでどうですか?
今後、リアルでのブログの質問、苦情等は、酒飲みながらに限定ですよ!w
さぁ飲みに行かない同僚はどうされますか?w
なんなら、コメント書いてもらってもいいですよ!w
病んでなくなった人向けには、会社で話すネタでもないわけですしね
白い画面みると目がおかしくなる!
とクレームがつきましたw
ええ、わかりましたよ!
と、いうことでバック変えました
これでどうですか?
今後、リアルでのブログの質問、苦情等は、酒飲みながらに限定ですよ!w
さぁ飲みに行かない同僚はどうされますか?w
なんなら、コメント書いてもらってもいいですよ!w
病んでなくなった人向けには、会社で話すネタでもないわけですしね
古本ゲットだぜ?
「わが名を称えよ」をよみたくて、なんどか検索していたのですが、
古本がみつかならいでいました
今日もふと思い出して調べたら…ありました!
・わが名を称えよ
・櫛谷宗則 編
・カバー・帯付 四六判 美本 使用感なし
・1989
・1.00
・2,500
・柏樹社
1500円位の本だったようですが…いたしかたないですね
まぁ使用感なし ってことでよしとしましょう
早速申し込んではみましたが、まだ入手できたかはわからないです
兵庫から送ってくるようですので、送料とかも付くんでしょうね…
楽天で月末まで限定の1000ポイントがあるので、
楽天ブックスでも1冊本を買おうかと思っているのですが…
コレという一冊にきめられませんね
全休先生のお勧め本の順番だと、浄土三部教の真実 が最初のようですが
蓮如の本も気になるけど、コレは図書館にあったのでまずは借りてみよう
かと思ってます
〈定本〉歎異抄も読んでないですね…
わかりもしないのに何冊もの仏書を読むより、1冊を何度もよんでみたいと
思ってますが…その1冊がこまります…
他にもあれやこれやと欲しいものがあって…
さてさて、どうしましょう
古本がみつかならいでいました
今日もふと思い出して調べたら…ありました!
・わが名を称えよ
・櫛谷宗則 編
・カバー・帯付 四六判 美本 使用感なし
・1989
・1.00
・2,500
・柏樹社
1500円位の本だったようですが…いたしかたないですね
まぁ使用感なし ってことでよしとしましょう
早速申し込んではみましたが、まだ入手できたかはわからないです
兵庫から送ってくるようですので、送料とかも付くんでしょうね…
楽天で月末まで限定の1000ポイントがあるので、
楽天ブックスでも1冊本を買おうかと思っているのですが…
コレという一冊にきめられませんね
全休先生のお勧め本の順番だと、浄土三部教の真実 が最初のようですが
蓮如の本も気になるけど、コレは図書館にあったのでまずは借りてみよう
かと思ってます
〈定本〉歎異抄も読んでないですね…
わかりもしないのに何冊もの仏書を読むより、1冊を何度もよんでみたいと
思ってますが…その1冊がこまります…
他にもあれやこれやと欲しいものがあって…
さてさて、どうしましょう
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