2015年2月17日火曜日
ただいま
2013年末までは仏書読んで、知った気になって、仏教知識に逃げ込んでいました。
それでいて日々の生活と信仰が乖離し、趣味の仏教となっていました。
2014年はちゃんと仕事をしはじめて、結果を得るために先々まで考える日々になり
ただ、自分にできることを精一杯やろうとしてみました。
結果、何でもかんでも自分がやることに思えて、苦しむことになりました。
今年に入って、御同朋の信巻についてのレポートをみさせて頂き、
自分とむきあいもせず、佛にお任せすることも忘れ、
次はどうする、次はどうすると、先の先まで考え、
今、自分が何をしているかもわかっていない自分にきづきました。
改めて仏書に触れると、見えてくるものが違ってました。
他人から評価とか、プロジェクトの成功とか、
そういう事に注力するんじゃなかったんですね。
力の置き所というか、重心というか、そういうものを間違ってました。
信仰の中で日々を生きる
なんかちょっと感じられるものがでてきました。
この先もお育てお任せです。
南無阿弥陀佛
2015年1月1日木曜日
1年をふりかえって
あけましておめでとうございます。
年末に記事書き始めて、気が付いたら新年でしたw
2014年は佛だなんだと言わない一年を過ごしました。
1月から自分で考える必要のある仕事になって、
あれやこれやと、毎日の欲と怒りにうんざりしながら
すごして、気が付けば1年になってました。
何度も不如意な事をなんとかしようとして苦悩し、
念仏が口からでない日々であったと思い出し、
一人静かに念仏を称えて、
あらためて自分ができる事をするしかないのだと
再認識することばかりでした。
あとは・・・ずっと調子悪かった気がします。
胃腸の具合が悪くなって、この1年で10kg体重が落ちました。
年賀状を4月の写真をみたら、顔がパンパンで驚きましたw
この年末、風邪を引いて微熱だしながらこの記事かいてます。
2015年は・・・どうなることでしょうね。
どうなるかわかりませんが、最低月1回は記事かくようにしたいですねw
本年も宜しくお願いいたします。
2014年12月12日金曜日
一人称に見る自分の心
わかったと思えば、何かを自分の中に作り上げたということ。
佛を頭の中に取り込んじゃダメだということも、わかっていること。
とはいっても、世間の法にそまれば、頭の中になんでも取り込みたくなるものです。
そうやって、頭の中の自分がつよくなると、慧海の一人称が「俺」になります。
相手が親しくないと使いませんが、俺と言っている時は感情的です。
通常は「僕」を使います。
遠慮するときは「私」を使います。
ブログの時だけ「慧海」を使います。
慧海という一人称は、客観的になっているような気がします。
日々心の声はききますが、ブログを書くときは声を言葉にかえます。
頭にでてくる言葉を書いているので、何を書くかは殆どきまってません。
なので、慧海にも気づかない事が言葉として目の前に綴られます。
しばらくリアルに呑まれて無気力でブログもかけてませんでした。
ブログに頭の中を書き出すと、自分の頭の世界に穴があきます。
どれだけ慢心し、殻を作っていたかがわかります。
ブログ書いていたら、やっぱりブラウザ落ちちゃいました。
リアルにもどったので、今日はもうかけませんね。
PCなんとかしようっと・・・
2014年9月18日木曜日
布教?
先日、喧嘩の仲裁的な感じで、会社の人宛にこんなメールをおくりました。
自分の考えが正解で、それを理解しない、阻害する行為は会社に損害を与えたいと思っている
というふつうの定年前サラリーマンの方です。
~~~~~~~~~~
お疲れ様です。
すいません。余計なことをします。
主観に基づくチョイスで、学んだ事を書きます。
何かに気づいていただければ幸いです。
■正しさ
正しいということは、誰がみても正しいと思われますか?
数学ならそうですが、論理式の世界以外では、正しさというものはあいまいで、主観的なものだと理解しています。
社会において正しさを表現するには、前提を明確にし、論理的な基準をつくった上でしか正しさを表せません。
ビジネスにおいては、万人における正しさはないと言ってもよいと思います。
自分が正しいと信じるやり方、目的、ゴールなどは、すべて主観的なものです。
論理式的には、正しさは正しくありません。
■「バカの壁」
バラバラの正しさの上で、自分の信じる正しさを貫くには、正しさの共有をする必要があります。
それは、極論すると、相手を自分の正しさに取り込むことだと思います。
相手と共有するには、同じことが理解できないとなりたちません。
説明しても、同じことを理解することはできません。
養老孟司氏の「バカの壁」にありますが、話せばわかる、説明すればわかるというのは幻想です。
知っている事しか理解できないのが人間です。
知らない人が知るには、体感したり、思考したりして、気づくしかありません。
そうなると、同じような問題意識をもって過ごしてきた人にしか、共有はうまれないということになります
■正しさを貫くことは
同じ問題意識がない人に、自分の信じる正しさを共有させようとすることは、エゴです。
自分の欲望です。わがままですらあります。
それが例え、会社にとって、社会にとって良いと考えられるものであっても、自分のエゴでしかありません。
原発の賛成/反対の対立とおなじようなものです。
同じ意見を持たない人には、理解できないし、意見すらいえません。
正しさを貫くことのもっとも問題な点は、自分の正しさが共有できない人を敵対視することです。
敵対したり、侮蔑したり、拒絶したり、と怒りの対象となります。
その感情自体が既に人間の煩悩、本能のままです。
正しさを貫こうとする思いも、煩悩、本能です。
本能の話ですので、あえて言えば、猿山のボス対決と変わりません。
■全ての答えは自分の中に
世界平和の為に戦争するような思考をするのが人間です。
なぜそんなことになるのかは、外側の理論、思考でみても偽善の言葉だけで意味がありません。
心の奥底にある、欲望、怒り、無関心、それらに付属する、プライド、嫌悪、自己の常識に気づくことだけが自らを安んじることができ、他人と争うことをしなくてすむようになります。
自分を知れば、他人が見えます。
孫子にはこうあります。
「故に曰く、彼を知り己れを知れば、百戦して殆うからず。
彼を知らずして己れを知れば、一勝一負す。
彼を知らず己れを知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。」
■苦しみの連鎖
例え嘆きの愚痴をこぼしても、心の中まで怒りでおおってしまったら自分を傷つけるだけです。
自分の苦しみは他人を刺します。
刺された人も苦しみます。相手の苦しみがまた自分を刺します。
苦しみの連鎖です。
僕は、お世話になった人が、親切さと正しさゆえに、苦しみ嘆いている姿をみたくはないのですよ。
と、いう僕の欲望を解消する為に、不快な思いをさせるメールを記させて頂きました。
大変申し訳ございませんでした。
~~~~~~~~
このメールの後、自己観察の方法としてRAINメソッドを紹介したり、
会社がヤバくなるのも努力の結果だという事を、「イノベーションのジレンマ」の引用で説明しました。
当然ですが、理解は頂けてないようですが、会話の間に「あいつらは!」という言葉があれば、
「彼らは彼らで…」と言えるベースにはなったかと思ってます。
こんなのは処世術だと思いますけどねw
自分の考えが正解で、それを理解しない、阻害する行為は会社に損害を与えたいと思っている
というふつうの定年前サラリーマンの方です。
~~~~~~~~~~
お疲れ様です。
すいません。余計なことをします。
主観に基づくチョイスで、学んだ事を書きます。
何かに気づいていただければ幸いです。
■正しさ
正しいということは、誰がみても正しいと思われますか?
数学ならそうですが、論理式の世界以外では、正しさというものはあいまいで、主観的なものだと理解しています。
社会において正しさを表現するには、前提を明確にし、論理的な基準をつくった上でしか正しさを表せません。
ビジネスにおいては、万人における正しさはないと言ってもよいと思います。
自分が正しいと信じるやり方、目的、ゴールなどは、すべて主観的なものです。
論理式的には、正しさは正しくありません。
■「バカの壁」
バラバラの正しさの上で、自分の信じる正しさを貫くには、正しさの共有をする必要があります。
それは、極論すると、相手を自分の正しさに取り込むことだと思います。
相手と共有するには、同じことが理解できないとなりたちません。
説明しても、同じことを理解することはできません。
養老孟司氏の「バカの壁」にありますが、話せばわかる、説明すればわかるというのは幻想です。
知っている事しか理解できないのが人間です。
知らない人が知るには、体感したり、思考したりして、気づくしかありません。
そうなると、同じような問題意識をもって過ごしてきた人にしか、共有はうまれないということになります
■正しさを貫くことは
同じ問題意識がない人に、自分の信じる正しさを共有させようとすることは、エゴです。
自分の欲望です。わがままですらあります。
それが例え、会社にとって、社会にとって良いと考えられるものであっても、自分のエゴでしかありません。
原発の賛成/反対の対立とおなじようなものです。
同じ意見を持たない人には、理解できないし、意見すらいえません。
正しさを貫くことのもっとも問題な点は、自分の正しさが共有できない人を敵対視することです。
敵対したり、侮蔑したり、拒絶したり、と怒りの対象となります。
その感情自体が既に人間の煩悩、本能のままです。
正しさを貫こうとする思いも、煩悩、本能です。
本能の話ですので、あえて言えば、猿山のボス対決と変わりません。
■全ての答えは自分の中に
世界平和の為に戦争するような思考をするのが人間です。
なぜそんなことになるのかは、外側の理論、思考でみても偽善の言葉だけで意味がありません。
心の奥底にある、欲望、怒り、無関心、それらに付属する、プライド、嫌悪、自己の常識に気づくことだけが自らを安んじることができ、他人と争うことをしなくてすむようになります。
自分を知れば、他人が見えます。
孫子にはこうあります。
「故に曰く、彼を知り己れを知れば、百戦して殆うからず。
彼を知らずして己れを知れば、一勝一負す。
彼を知らず己れを知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。」
■苦しみの連鎖
例え嘆きの愚痴をこぼしても、心の中まで怒りでおおってしまったら自分を傷つけるだけです。
自分の苦しみは他人を刺します。
刺された人も苦しみます。相手の苦しみがまた自分を刺します。
苦しみの連鎖です。
僕は、お世話になった人が、親切さと正しさゆえに、苦しみ嘆いている姿をみたくはないのですよ。
と、いう僕の欲望を解消する為に、不快な思いをさせるメールを記させて頂きました。
大変申し訳ございませんでした。
~~~~~~~~
このメールの後、自己観察の方法としてRAINメソッドを紹介したり、
会社がヤバくなるのも努力の結果だという事を、「イノベーションのジレンマ」の引用で説明しました。
当然ですが、理解は頂けてないようですが、会話の間に「あいつらは!」という言葉があれば、
「彼らは彼らで…」と言えるベースにはなったかと思ってます。
こんなのは処世術だと思いますけどねw
2014年8月18日月曜日
役に立たなきゃ捨てるのか?
虫垂炎になりました。
尿管結石慣れがあるからか、急性虫垂炎じゃないからなのか、
普通の胃炎かと思って1日耐えて過ごしたら、痛みが引かず、
臍右下に移ったので病院に行ったところ、虫垂炎でした。
炎症はひどいけど、即手術は必要なさそうということだったので、
抗生物質による治療を選択し、入院が必要とのことでしたが、
食事をとらず、ポカリのみとし、毎日通院を条件に帰宅しました。
入院すると、それだけで体力とられるので治療が一緒なら家がいいですよw
夏休みが終わるので、会社に虫垂炎で休む旨を連絡したところ、
部長は、虫垂切除をしない選択が気に入らないご様子。
再発するかもしれないし、虫垂はあってもなくてもかわらないのに
なぜ切除しないのかということなのでしょう。
その部長、小さな胃がん(転移してないから胃がんモドキかも?)を発見し、
手術して一度死に掛けたような人です。
不安はどうしても排除したいタイプなんですね。
そんな人からすれば、虫垂は切り捨てるのが当たり前なのに、
慧海がそうしない事が判断ミスに見えるご様子です。
慧海からすると、虫垂は会社における慧海のように感じています。
慧海は入社した会社が統廃合を繰り返し、今の会社名は3つめです。
会社も変わり入社したときから23年たちますので、仕事の仕方も変わりますが、
慧海の仕事の仕方はあまり変わってません。
2つめの会社名の時にミスもあり、出向になってますが、
会社には慧海がやりたいと考えていた仕事はなくなったとのことでした。
虫垂と同じく、必要なくなったって事だなぁと。
そんでもって、精神いっちゃったんで、会社からすると腫れ物です。
炎症起こした虫垂と一緒です。
いつ再発するかわからない。
あってもなくてもかわらない。
慧海の事ですねw
ふと思い返すと、部長は慧海が再度炎症起こさないように
気を付けながら使っているのがわかります。
本当は切り捨てたいのでしょうね。
その部長に限らず、多くの日本人が「盲腸は切ればいい」と
考えいるように思います。
慧海もそう考えていましたから。
最近は切らないケースが多いそうです。
薬でも手術でも結果をみるとかわらないだそうです。
人も身体も今じゃ米国の方が生かそうとする時代。
古い米国かぶれの日本は、効率と言って非効率な事をしているようです。
損得じゃないよ。
効率じゃないよ。
もっとあるとおもうのですよ。
もっと真剣に考えなきゃいかんと思うのですよ。
悩ましくともいたしかたないですね。
わが身の思い通りになる範疇は自力をもちいて
それ以外の思い通りにならない事は他力にお任せする。
それが他力より頂いたものですので。
余談ですが、この記事かくのにブラウザが7回落ちました。
慧海PCも慧海同様壊れていますw
2014年7月13日日曜日
科学という宗教
kirinさんのつぶやきに
ストレスのピーク時に、心を落ち着かせる4つの思考法 - キャリア女性に役立つサイトというのがありました。
http://www.cafeglobe.com/2014/07/039221rain.html
ストレス状態から立ち直るための「RAINメソッド」 というものを紹介しているサイトでした。
中でリンクされてますが、慧海は女性じゃないのでこっちも紹介しておきますw
押しつぶされそうなストレスに立ち向かうための「RAIN」メソッドこのRAINメソッド、何かと思ったら坐禅とか、内観の話じゃないですか。
http://www.lifehacker.jp/2014/06/140624_rain_method.html
宗教の分野として継承されてきたものが、科学的なものとして表現されているだけなんだと思うのですが、この科学的というのが、今の世の中じゃ大事なんですよね。
神や仏というとうそ臭いといい、心理学だ科学だと言って発表された、とか言うと、詳しい事もしらずに正しいと思い込むような、科学信者が現代人だからです。
内容は、慧海も全休先生や亭主師のサイトから学んだ事と大差ないし、
このメソッドにあるような方法で、鬱症状から抜け出すこともできたとは思います。
そんなRAINメソッドみて思ったのは、こんな事です。
①ストレスで思いに悩まされている状態で、これがやれるもんならやってみろw
②自分から離れ過ぎたら、虚無感におそわれて死にたくなるけど大丈夫か?
まず、自分を信じて頑張ってる人がその思いを手放すことができるだろうか。
思いが自分だと信じている人は、思いと同一でないことが理解できるようになりますか?
そして、思いからはなれてしまったら、自分の過去が価値あるものと受け入れられますか?
価値がなくなり、虚無感におそわれ、死にたくなったのは、慧海の経験談です。
その時は、宗教ではなく、自己の観察をして、思いが私ではないと知った時でした。
宗教の入り口から入ると、自分の思いから離れた先があるように思います。たとえば「生かされているのだなぁ」とか思うとか、お任せすることとかです。
それは科学にはありません。
そこまで突き詰めないでも楽にはなるので、
必要になってRAINメソッドやってみるといいです。
2014年7月11日金曜日
体が風邪をひきたがる
昨年あたりまでは、健康系の本をいくつもよみました。
結果的に、病気は自分の体が治すものという事を学びました。
そして、風邪というのは、体調を整えるために体がそれらの菌などを受け入れる
という考えも学びました。
正しいとか正しくないとかはどうでもよくて、慧海からすると、病気になるほど、
体が正常ではないということを、体感的にうなずけてしまったのだから、
理屈はどうでもよくなってしまいました。
たとえば、むくむというのは、日常のなかで気づくものです。
それが何日も続くと、体調が悪くなってしまいます。
お腹がすかないとか、吐き気がするとかで症状がでてきます。
それでも体に負担をかけると熱をだします。
慧海は熱を出すと食事をとらなくなります。
温かい飲み物をのむだけで、食事はとりません。
熱が出るような時はお腹もすかないので、特にこまりません。
そんな感じで、今回の風邪も食べないで過ごしました。
結果、血圧もひくくなって、降圧剤をのんだらやばそうな数値になりました。
1週間野菜ジュース生活をしたら、血圧が正常値になりました。
今日、主治医にきいて、降圧剤ものまなくてよくなりました。
数ヶ月前の体重と比べて10kgほど体重も減りました。
体を壊すたびに体重がへってます。不健康な痩せかたですね。
きっと、その体が維持しにくかったんでしょうね。
今回の風邪でさらに食べ物をよく噛むようにもなりました。
体はなるようになってます。体は自然のものなのだなぁと感じます
登録:
投稿 (Atom)