2015年9月27日日曜日

帰敬から8年



忙しい・・・

疲れた・・・

あのバカどもが・・・


そんなことばかり頭に浮かべて、
自分の殻作って引きこもって、
お客さんの前でだけいい顔して、
お給料もらうためと自己弁護して、
苦しい苦しいともがく日々。

生きるのって、面倒くさいなぁ
生きてたら、ずっと苦しいままだよ
子供は高校受験だし、まだまだお金いるから仕事しないといかんなぁ
でも、今の仕事つらいなぁ
転職しようかなぁ
あと何年我慢してればいいかなぁ
死にたいなぁ。
でも迷惑かかるからせめて早く死ねないかなぁ

苦しさが続くと、頭は、人生からの逃げを提案してくる。


こりゃヤバいと、そこから逃げる手段として念仏をする。
念仏すると、念仏は呪文じゃないと頭に浮かぶ。

心を制御しようとしたことに気づく。
思い通りしようと妄想の中で戦っていたことに気づく。
自分が正しくて、他人は間違っていると考えていたことに気づく。
すごい奴だと、あいつの言うとおりにしようという状況を望んでいたと気づく。
この思いが苦しみを生むのだから、やめようと考えたことに気づく。


娯楽に逃げても、
酒に逃げても、
妄想に逃げても、
教えに逃げても、
苦しみは形を変えてついてくる。
むしろ、逃げた分だけ増えている。

逃げたって駄目なんだよ

知っているよ
自分を大事にもったまま、どうこうしたってどうにもならないんだよ

知ってるよ
本当に苦しいなら、手放せばいい
なるように任せちゃえばいい
逃げるのをやめて、止まればいい
止まって、来るものをすべて受ければいい
受けるけど、なるように任せちゃえばいい
どうなるかは任せて、目の前のやるべきことをすればいい
他人事のように、自分に指示して自分でやればいい

自分が努力しなかったから
自分が無責任な行動をしたから
あの時、ああしなかったから

そういうことも手放せばいい
お任せすればいい

失敗したくない
損したくない
恥かきたくない
迷惑かけたくない
後悔したくない

そういうことも手放せばいい
お任せすればいい


知っているよ

その「知っている」が手放せないから苦しんでいるんだよ


如来のお育ては、どこまでも用意周到

ほんと参ります。
頭が下がります。

降参ですよ。
もう好きにしてください。

そんな感じの帰敬して8年たった慧海でした



2015年7月4日土曜日

我が世は苦しい


先日、家の通信環境を変更しました。

それにともなって、いくつかモノを買ったり、契約したりと手間が発生します。
そして、色々と慧海の想定にない事も多々発生しています。

何かを得ようとする時、自分の欲望と、それにかかる費用や作業等のコストを比べます。
かなえる欲望の量より、コストが低い時、購入を決定しますが、
購入後に、少しでもコストが増えると、嫌な気分になります。

これも怨憎会苦ってことでしょうね

愛別離苦…好ましいもの(+)が離れていく(-)苦しみ
怨憎会苦…嫌なもの(-)が近づく(+)苦しみ

人は、好ましいもの(+)が近づく(+)ことと、
嫌いなもの(-)が離れていく(-) ことを喜ぶものです。

好ましいものを得たはずが、そこから嫌なものが生まれる…
得なければ生まれなかった苦悩…

慧海のすむ世は、モノを買わないと生きていけない世界です。
何かを得よう、なにかを成そうとすると、必ず嫌な事を伴ってしまいます。
作為すればするほど、苦悩が増えます。

いたしかたなし と念仏しながら、
慧海にやれることを、ただやるしかありません。

嫌だ嫌だと苦悩の炎に焼かれる慧海をみつつ、やれる事をしていくと、
状況が慧海の想定よりも好転したりします。

一人で勝手に不満を膨らましていたのだなと、あらためて気づきます。

そして、また次の些細な嫌な事に苦悩しはじめますw

欲望の真っ只中で、全てを思い通りに我張っていた頃に比べて、
こういう苦悩に過敏に反応していると思います。

慧海が感じるこの世で生きる事は、ホント苦しいことばかりです


南無阿弥陀仏


2015年6月4日木曜日

処世術


慧海は、慧海がもっと思い通りになるように考える時、苦しみます。

慧海は、目の前のやるべき事にのみ向かっているとき、苦しみを忘れます。

慧海は、結果は自分の努力で得るものではないと納得しているとき、努力をする事ができます。

慧海は、やるべき事が終わって無くなっていくとき、安らぎを感じます。



慧海は、如来の法により、このような自分の反応を知り、日々の生活の中で、
苦しみと向き合って、おだやかに生きていく事ができています。

如来の法に遇わなければ、この欲望と怒りの無関心の世界で
どうやっておだやかに生きつづけていけるのだろうか



未来の心配よりも、今の自分の心を気にすべきです。
世界の心配よりも、世界に向けて思う自分の心に気づくべきです。


未来も世界も如来の領分です。
人が考えるその領分は、全て妄想の中の出来事です。

自分には自分の領分があります。
自分に遇えばわかります。法に遇えば分かります。

人にできるのは内観の念仏しかないのでしょう。
流れていく今を常に気づき続けるしかないのでしょう。

慧海はそのように教わり、信じられない念仏をとなえ、
佛が慧海をどうみるかを感じました。


苦しみに苦しみたくないならば、善き人の教えに従うしかないのですよ。
なぜなら、自分自身が苦しみの原因なのですから。

南無阿弥陀仏


2015年6月3日水曜日

今日は誕生日だった


書く事がなく、久々の投稿です。

最近は本願のしたで、日々なんでもなく、あるがままに過ごせるようになってきました。


前回の記事のあと、2月の全休先生の記事で、
「そうだった。慧海も念仏するためにいるのだった!」という事を思い出しました。

その前までは、信仰体験で感じた事もすっかり忘れ、
俺が俺がと日々をすごし、何でもかんでも、全部自分の思い通りにし、
自分しかできない仕事をして、成果をだして、
上司、同僚に認められたいという思いばかりになってました。

そんな思いにふりまわされてみたり、苦しんで、なんとかしようとして念仏したりと
思いを思い通りにしようとして、それでまた苦しんでました。

思いが出る事自体があるがままだと頂くことができませんでした。

畢竟依を帰命せよ

自分の思いでなく、如来の本願に答えて念仏をする慧海は、
如来を本願を拠り所に生活するだけだった。

慧海は、色んな思いに駆られて、いろんな事をします。
まわりの人がかかげる正義の自己主張にうんざりしながら、
今、慧海がやる事は何かを問いながら、愚痴をいいながら、やるべき事をやってます。

慧海に誰かを助けることはできませんが、何もしないでもいられません。
慧海にできることを、慧海の自己満足としてやってます。

自己満足でやっているのですから、誰かからお叱りをうけてもしょうがありません。
お給料が増えなくてもしょうがありません。
遊んでてお給料いただくんですから十分です。

自己満足なんで、やりたくない仕事からは逃げます。
自己正義主張大会の場に居ると、皆さんの苦しみが聞こえます。
慧海の仏教的な思考からくる思いもでてきます。とても苦しいのです。
なので、逃げちゃいます。で、お叱りをうけますw

こんな感じで、 普通に過ごせてます。
特に念仏を唱え続ける生活をしているわけでもなく、
祈ってみたり、信じようとしてみたりするわけでもありません。

ただ、自分の思いに気づけている事は多いと思います。
気づいているだけで、振り回されたり、イライラしたりしてます。
それをなんとかしようとしたりもします。
それでいて、どこか落ち着いていられるようになりました。

何を思っても、何を行っても、なんか、もう大丈夫かな って気がします。

そんな43歳の誕生日を迎えております。

南無阿弥陀仏

2015年2月17日火曜日

ただいま


2013年末までは仏書読んで、知った気になって、仏教知識に逃げ込んでいました。
それでいて日々の生活と信仰が乖離し、趣味の仏教となっていました。

2014年はちゃんと仕事をしはじめて、結果を得るために先々まで考える日々になり
ただ、自分にできることを精一杯やろうとしてみました。

結果、何でもかんでも自分がやることに思えて、苦しむことになりました。

今年に入って、御同朋の信巻についてのレポートをみさせて頂き、
自分とむきあいもせず、佛にお任せすることも忘れ、
次はどうする、次はどうすると、先の先まで考え、
今、自分が何をしているかもわかっていない自分にきづきました。

改めて仏書に触れると、見えてくるものが違ってました。
他人から評価とか、プロジェクトの成功とか、
そういう事に注力するんじゃなかったんですね。

力の置き所というか、重心というか、そういうものを間違ってました。
信仰の中で日々を生きる
なんかちょっと感じられるものがでてきました。

この先もお育てお任せです。

南無阿弥陀佛

2015年1月1日木曜日

1年をふりかえって


あけましておめでとうございます。

年末に記事書き始めて、気が付いたら新年でしたw


2014年は佛だなんだと言わない一年を過ごしました。

1月から自分で考える必要のある仕事になって、
あれやこれやと、毎日の欲と怒りにうんざりしながら
すごして、気が付けば1年になってました。

何度も不如意な事をなんとかしようとして苦悩し、
念仏が口からでない日々であったと思い出し、
一人静かに念仏を称えて、
あらためて自分ができる事をするしかないのだと
再認識することばかりでした。

あとは・・・ずっと調子悪かった気がします。

胃腸の具合が悪くなって、この1年で10kg体重が落ちました。
年賀状を4月の写真をみたら、顔がパンパンで驚きましたw

この年末、風邪を引いて微熱だしながらこの記事かいてます。


2015年は・・・どうなることでしょうね。
どうなるかわかりませんが、最低月1回は記事かくようにしたいですねw


本年も宜しくお願いいたします。

2014年12月12日金曜日

一人称に見る自分の心


わかったと思えば、何かを自分の中に作り上げたということ。

佛を頭の中に取り込んじゃダメだということも、わかっていること。

とはいっても、世間の法にそまれば、頭の中になんでも取り込みたくなるものです。

そうやって、頭の中の自分がつよくなると、慧海の一人称が「俺」になります。
相手が親しくないと使いませんが、俺と言っている時は感情的です。

通常は「僕」を使います。
遠慮するときは「私」を使います。
ブログの時だけ「慧海」を使います。
慧海という一人称は、客観的になっているような気がします。

日々心の声はききますが、ブログを書くときは声を言葉にかえます。
頭にでてくる言葉を書いているので、何を書くかは殆どきまってません。
なので、慧海にも気づかない事が言葉として目の前に綴られます。

しばらくリアルに呑まれて無気力でブログもかけてませんでした。

ブログに頭の中を書き出すと、自分の頭の世界に穴があきます。
どれだけ慢心し、殻を作っていたかがわかります。

ブログ書いていたら、やっぱりブラウザ落ちちゃいました。
リアルにもどったので、今日はもうかけませんね。

PCなんとかしようっと・・・