2012年5月25日金曜日

同じ問い


全休先生の5/24の記事、試行錯誤を重ねていますで読者からのお便りを紹介されてました。

これは、慧海のメールか?と思うほど、同じ思いをした経験があります。

2011年1月8日のメールとのことなのと、言葉使いが慧海とちがうので、
他人なのは間違えないですし、慧海が同じようなメールをお送りしたのは
全休先生が、濁川と名乗られている頃の話・・・

やっぱり皆さん同じように悩むのですね
ご同朋なのだなぁと感じました


念仏しろと教わって、念仏してみたが救われたと感じないのは、
念仏の仕方が間違っているのか?
自力だからか??勉強がたりないのか???
でも、「よき人」はそうは言ってないし・・・ うむぅ・・・

ということなんでしょう


先日本で、この悩みこそが、浄土教の大事な点だ という事を読みました。
歎異抄の9章で出てくるのも、同じ問いであり、信巻と化身土巻の話だとか・・・。


この問いの先に、きっと何かがあるのでしょう
考えではなく、この問いの答えを感じ取れ時は、既になにかに気づいているのでしょう


どうやらこの先は、私と佛との問題な気がします

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