2014年6月22日日曜日

西洋的教育


慧海の飲み仲間に帰国子女がいます。

彼の娘は、日本で生まれ、日本で育っている小学生ですので、
「皆が…」という事をいい、皆と同じであろうとするようです。
その娘にかれは、こういって教育するそうです。

あなたは誰ですか?
そうですね。○○□□さんですよね?
○○□□さんは、世の中の誰でもない○○□□さんですよね?
○○□□さんは、そのお友達ではないですよね?
○○□□さんとして、そのお友達とどうおつきあいしていくかを考えなきゃいけません。
友達は、自慢をきいてもらう為とか、一緒にいる為に居るわけでもないですね?
○○□□さんは、どうしたら良いと思いますか?
まさに道徳です。
自我の育成だと感じました。
こうやって、「私」をつくっていくんだなぁと関心しました。
自分を強くえがき、自分を抑制し、他者に親切であるように訓練されていくようです。

こうやって育てた娘は、
「私は○○△△と◎◎の娘、□□です。お父さんが心配するような事はありません!」
と発言したんだそうです。

ちなみに彼は、ドラゴンを倒し財宝を手に入れる事を夢見るタイプだそうです。
四季の花々が咲きほこる場所で人々が仲良く踊るような夢はみないそうです。
日本の逸話で、龍を倒して宝と姫を手に入れるのはヤマトタケル尊位ですからねぇ。
西洋には西洋の、東洋には東洋の思想がそれぞれあるのだとつくづく感じます。


慧海は、「”私”は自分がつくってきた虚像」であり「全ては認識の問題」と感じてしまった事で
今までの価値観を失って、頼るものがなくなって・・・勉強をすることになりました。
自分で自分を作りそこにとらわれる自我を我執というのだと後でしりました。

今は偽西洋文化ですので、我執ばかりが育ちます。
西洋の宗教、逸話で育たない私たちは自我が我執にしかならないのかもしれません。

2014年6月11日水曜日

老化を受け入れられるか?


42歳ですが、老眼が始まりました。

元々視力は良く、20代は、2.0でした。
機械化されて、1.5までしかわからなくなりましたが、今でも1.5はあります。

でも最近、近いところの焦点があいません。
つめを切ろうとすると、ぼやけます。
実家で老眼鏡をかけてみたら、焦点が合う事がわかりました。

目の筋力の低下だといわれると、なんか努力して低下をおさえたくなります。
また、目の筋力低下にともなって、斜視がでてきました。

ちょっと気を抜いた目をすると、左目がどっかちがうところを向いてしまいます。

斜視の人の目をじっとみるのは悪い気がしますが、話をして目を合わせれば気づくものです。
僕もきっと、そういう感じで気を使われる日がくるのでしょう。

髪の毛が薄くなっていったり、足腰がよわくなったり・・・

色々とでてくることだと思います。

健康の為にも筋力をつけたいところですが、老化は受け入れるしかありません。
だからといって、寝て過ごすわけにもいきません。
どこまで抵抗して、どこは受け入れればいいのか・・・

これから学んでいくことなんでしょうね

2014年6月4日水曜日

誕生日は苦しみの始まり


昨日は、慧海の誕生日でした。

誕生日は有給取得推奨日になっているので、休みをとってましたが
仕事の事があって、アセアセ、イライラした休みになってしまいました。

せっかく誕生日なのに

家内はそういうのですが、なんだか頭が騒がしい。

蝋燭に火をともし、静かに手を合わせて念仏をしてみると、頭の騒ぎがすこし落ち着きます。
そうこうしていると、ふと思いました。
一切皆苦、生老病死…

ああ、誕生日って苦しみの始まりだったんだ
じゃぁ、誕生日に家でイライラしてるのもおかしな事じゃないじゃんw

誕生日は特別な日です。

生まれてきた事に特別な意味なんてありませんが、
ヒトとして生まれ、大切な事を知り、人になり、
苦しみの人生を満足しながら死んでいく、そういう事を体験できる
そういう事の始まりの日です。

喜ばしい事です。

ありがとうございます。


追記

頭の騒がしさから逃げる為の様々な行為に走ることよりも
静かに手を合わせたほうが、頭は静かになります。

欲求、煩悩からくる苦しみから逃げる事をせず、
それらと共に人生を歩むとしましょうw