2012年9月30日日曜日

無気力です


最近は、何もする気がおきません。

毎日晩酌も今のところ再開してないです。
週末に缶ビール2本飲んだら酔って寝てしまう事も多々。
昔のようにおいしいと思わないのと、呑みすぎると翌朝、頭の中が騒がしくなるので、
特に呑む気がしない感じです。

食べる気もしないので、昼食を食べない日が増え、
朝もお茶だけなので晩飯のみの日が増えました。
胃が小さくなったっぽいのに晩飯は今まで通りの量があるので
食べられなくなるまで食べる事に…その為か、体重も増えました。

体重が増えると息苦しくなります。
MyBest体重に比べると5kg以上重いです。
復職直後と同じ体重ですので、慧海的にはかなり重く、息苦しいです。

息苦しいのは、仕事先の机が狭くなってパーソナルスペースの確保ができないとか、
会社で慧海の価値というものが、自分が思っていたよりずいぶんと少ないものだと
感じてしまい、ガッカリしているのも関係していたりします。まぁ色々ありますw

寝込んでいる頃に、苦しいと、「苦しい→嫌だ→逃げたい→死にたい」思考ができ、
「苦しい」を感じるだけで「死にたい」と思うようになっています。
息苦しいだけでも死にたいと頭に浮かびます。

そんな中、全休先生の「仏様の命」という言葉が浮かんできました。
死にたいと思おうが、命は自分のものじゃないのだからどうすることもできない
という事が納得できた感じです。
それからは、死にたいは出てこないようです。(早く死にたいは思いますがw)

 「仏様の命」を納得できた(気にたった)からか、今頃になって、やっと全休先生の言う
「仏様は私をどのようにみられるのか」という事を想うようになりました。

頭で仏様、阿弥陀様、絶対者を想像するのではなく、自分の思考による眼でもない
言葉で考えたらダメな感じなモノ

あえて言葉にすると、本願というか法というか、自然というか… そういう
働き的なものの中にある慧海がどうみえるのか という感じ?

 kirinn さんの言われる、「阿弥陀様とともに」という言葉のように、
阿弥陀佛を想像することなく、弥陀佛と共にという意識みたいな??


よくはわかりません。

無理に言葉にすることも、深く考えてみることもできません。

ただなんとなく、そんな事を思い、思っただけで、どうということもなく
息苦しい毎日を、無気力に送っているだけです。

仕事して、ゲームして、アニメみて、本読んで…たまに酒呑んで…
あれ?ずいぶん遊んでばかりいて楽しそうな日々にみえますねw

2012年9月15日土曜日

6年目の慧海


2007年9月23日が帰敬式を受けた日なので、その日を命日としすれば、今年が6回忌です

慧海は、毎年この時期には苦悩して何かに気づいた風な事を書いています。
今年も気づきました。
この数年間、あれやこれやと努力したつもりだったんですが、実は

何もわかっていませんでした。
何も変わっていませんでした。

それがわかりました。


知識は増えました。
自分の身体と頭の中の見方は知りました。
でもそれだけだったようです。

口先で逃げて
過去に依存して
人の目を気にして
プライドばかり高く
何もできない

そんな帰敬前の慧海と何もかわりゃしません。


それに気づいた時には、もうガッカリです。
でも、ここ最近ずっとあった苦しさとか異常な感じが抜け軽くなりました。



この数ヶ月、仕事関係も体調もよくなく
なんだか苦しい感じを抱えたままの日常でした。
言動もおかしく、家内から「超上から目線が最近の芸風?」と揶揄されるほど
中二病的な感じでした。

会社にいると昼になっても空腹にならず昼食も抜いて1日一食になりました。
家の都合で急遽晩飯を食べて帰る事になった時、一人で酒も呑めない事に気づき、
毎日欠かさなかった晩酌も特に必要としなくなりました。

そんなある日、外部の人もいる仕事呑みで昼抜き久々アルコールで完全に酔って
中二病全開…妄言多発で、外部の人にも失礼な言動・態度を取る始末…


慧海おわた・・・


翌日は二日酔いで、頭の中も大嵐状態
前日の会話の反省状態と現実逃避
嫌だ、逃げたい、苦しい、死にたいとわめく…

そんあ言い訳に言い訳を重ね、自己弁護をしている頭の中をみていると、
段々自分の状態が、中二病状態であった事がわかってきました。
現実と理想の乖離というか、役立たずで必要とされない自分が受け入れられないというか…
知らないうちに余裕もなくなって、どっかで思考が変わっていたようです。

その時まで自分の精神状態を、ホントまったく気づいてなかったんですよ…w

そして、落ち着きだしたて、ポンと気づいたのが冒頭で書いた

何も変わってない、わかってない

ということでした。

そして、ガッカリした後、あれ?っと気づいたのが

元々何も持ってないんだから、持ったフリしようとしなくても良い

ということです。

空っぽなのに、身があるように振舞おうとしてたんですよ。
何も知らないのに、少しでも知ってるというところを見せたかったんですよ。
いつのまにか、慧海というブッディストを演じていたようです。
本当は、何もないままだったんです。
風が吹けば飛ぶだけ。そんな程度の慧海だったんです。


何も無い慧海になってみて、2つわかることがありました。

1つは、慧海はたった3つの感情に流されてるだけだったということ。
3つの感情…好き、嫌い、どうでもいい です。
欲しいのに手に入らないから拗ねたりと、子供のような感情に支配されてます。
自我って、言葉と経験が作るんだろうって思いますが、この感情には言葉も理屈もありません。ただの強烈な感情の波があるだけです。
三毒の知識はありましたが…まぁホントそのまんまのようです。


そして、会社の偉い人とかをみても、ただのおっさん、おばさんとしか感じない
ということです。

ただのおっさん、おばさんの目は上司の目と違いそれほど気になりません。
まだわかりませんが、いい顔をする必要もないので、
人に会うのも苦痛じゃなくなるような気がします。
ただのおっさんと、進んで交流をもとめようとも思はないので、会いませんがw


今のところ、酒は呑み始めるととまらないようなので、外で飲むときは
量を決めることにしました。
家だと、すぐ酔って眠くなるので量は飲めませんから、多分大丈夫w


そんな感じで、5年間の努力は徒労であったと結論づけられました。
病気の方も抗鬱剤を飲んでないだけで、精神病に逃げたい自分がある限り治らないです。


今度こそ何もできないので、何もしません。
救われたいのかどうかすら、もうわかりません。
あとは、念仏が口から出る日を待つことにします。

念仏が口から出る前に、また何か新しい衣をつけてしまうのかもしれないですけどね…


南無阿弥陀仏