2013年9月26日木曜日

全休先生からの回答


ここ最近、相手の心が聞こえるとか、外界の刺激が苦しいとか
書いていた問題について、全休先生が説いてくれました。

心の溝をさらえる


もちろん、全休先生が本当に慧海に向けてかいているのかは、わかりませんよw
でも、慧海が私の為に説かれたと感じるのは、慧海の勝手ですのでw


最近は、偉そうな知ったかぶりばかりして、苦悩を記す事もなかったんですが、
心の変化と環境の変化が重なって、自分をみせつけられてきました。

ただ自分がみえてくるだけなら、今までどおり頂けばよいのですが、
そうではないものが増えてきて、振り回されてきていました。

そんな慧海のまじめな苦悩記事に、全休先生が「あ~あ。苦悩しとるなぁ」と
いうことで、記事を記してくれたのでしょう。(慧海の妄想)

今回の全休先生の記事で、それが慧海がつくってきた罪によるものだと知りました。

他者だとおもってきたので、どうしてよいのかわからなかったんですが、
そこにみえるものが自己だとわかれば、同じように頂く事ができます。

自分の業は自分で背負うしかないですからね。
宿業ですねぇ~

全休先生、ありがとうございました。




で、苦悩から離れたからさっそく、知ったかぶりですw
慧海はすぐこれだ・・・w
聞不具足で戒められてる事ですよねw


コメントで、他者の心が聞こえるので、8願の他心通だろうと書きました。
他者から感じ取る言葉は慧海に向けた説法にも聞こえるので、
7願の天耳通という事にもなるのかもしれません。

ここでいう他者は、慧海の意識が認識している他者ではありません。
慧海の意識の外にある他者です。
他者本人の意思と関係のない他者です。
そういった他者の動きが縁となって、慧海に作用しているように感じます。
慧海のまわりにはそういう他者がいっぱいいます。
それを慧海は諸仏というのだろうと感じています。
全休先生の記事も、全休先生の思いとは違う形で、
慧海はうけとり、勝手に打ちのめされます。
記事を書いている全休先生は慧海の認識にある全休先生ですし、
コメントを書いたさいのTo全休先生も、存在する全休先生だと思います。
でも、記事を通して慧海に働きかけてきたのは、諸仏だと慧海は思ってます。



本願の一つ一つが、慧海を佛にたらしめんとする願いなので、
そこには、慧海の煩悩にかんする事がかかれているはずなんです。

ただ理屈を勉強してもわかりませんが、経験するとわかる事がでてきます。

お経というものは、わかった人が確認するために読むものだと、
亭主師から教わりました。

夢物語のようなお経が、仏書が、慧海をすくうための言葉だとわかる事が
とてもうれしく、また面白いんです。


あなたは救われたいのか
それとも知りたいだけなのか

と、しゃりさんに問われました。
グサっとささった言葉でした。

救われないと、知る事もできない。 
蓮如さんの言葉じゃ、金剛の信心が最優先なんです。
蚤のキンタマ8つ割り程度の信心でも、なければ先に進めない

悩んでるなら、とっとと救われなさい!

自力無効を知るまで、自力をやってみればいい。
自力は無意味とか考えていても、他力のお世話になれません。
気が狂うような自力をすればいい。
それが19願に願われている事。観経で説かれている事。

自転車に乗りたければ、説明書読んでないで、自転車にのればいい。
今とはと考える暇もないくらいに今に意識をむけてみればいい。

念仏して何になると思いながら、念仏してみればいい。
如来なんて信じられんと思いながら、如来の眼にどううつるかに思いを向けてみればいい。

全部自力の話ですよ。

その先に、頭が下がる思いをするんです。

頭の中でこねくりまわしている間は、頭は下がりません。
頭が下がらないで、誰かに何かをお任せすることはできません。
ましてや、命を人生を如来にお任せする事なんて、まず無理でしょう。

だから念仏が口からでることがない。


というような事を僕は先生方に教わりましたw


そういえば、最近の全休先生は、言葉がお優しいですね。
なんど全休先生のブログ記事に刺し殺された事かw


お育てのままに…
帰命尽十方無碍光如来

2013年9月24日火曜日

真宗の法名は安い?


亭主師がスポットで記事をかかれてました。

http://www6.plala.or.jp/famil/dai701wa.html

お父様がなくなったとのことでしたが・・・ご冥福をお祈りいたします。
少し前に妹さんも亡くなられたはずですが・・・ご冥福をお祈りいたします。
(真宗門徒的には、こういうときになんて言うのが良いとかあるのかな?)

その中で、戒名で200万とか書いてありました。

あまり人様に戒名のお値段というのは聞きにくいのでよくは知りませんが、
近くの真言で200万だか300万とかだとききました。
曹洞で150万だったとかいうのもききました。

ちなみに、うちはこの10年で4人ほど葬式をあげてますが、
法名は一人、5万円でした。法名は葬儀の時につけると高くて、
帰敬式うけて名前をつけると法名が1万円になります。

真宗教団連合内でもお値段が違うようです。
東より西の方が高いみたいです。
ホームページみると、値段がかいてあったりします。
もちろんお気持ちなんで、以上ということですけどね。

東京にあるお西の立派なお寺では、法名で100万だったとか、
お車代で100万とか、なんだかんだでとても高かったという話もききます。
お気持ちなんで、それはそれでよいかと。 慧海は嫌ですけどw

真宗じゃ、1万でも、100万でも3文字しかつきません。
誰でも「釋○○」です。
最近お西では、「尼」の文字をつけなくしたと聞きますので、だれでも3文字です。

まぁ100万だと院号がついて6文字かもしれないですけどね。
「○○院釋○○」ということでしょう。

ちなみに、昔、大谷派のサイトを見ていたときには院号で8万円とかいてありました。
元々はお寺を建てて寄進した人に、そのお寺の名前をつけたという話ですけどね。
今は箔をつける為にお金だして買う感じがします。
死んだ後の名誉とは、なんなんでしょうねw

一度院号をつけるとバランスが悪いということで、その後も院号をつけるようになるとも。
名前で金稼ぎする暇があったら、自殺者が減るような説法でもして欲しいものです。


余談ですが、祖母がそういう事をしらずに法名を頂いた際、
お布施が安かったから文字が少なかったと嘆いたそうです。
文字を増やすために院号とかつけたりしなくて、よかったよw


どんどん、お墓とお寺の悩みを抱える人が増えるんでしょうねぇ。
お墓もつのも楽じゃないですからね。
真宗みたいに先祖代々のお墓はなしって仕組みは広まるかもしれないですね。


葬式仏教になりさがったんなら、それなりに客の事考えてビジネスしなさいよw

2013年9月23日月曜日

7年目の慧海


帰敬して、丸6年がたちました。

色々とお育ていただいて、なんとか日々を過ごせるようになりました。

思い通りにならないということで、苦悩することは減りました。
自分をよく見せようとする事や、自分を抑制し続ける事も減りました。
薬や医療に頼る気持ちも減りました。

帰敬しようと思った頃に抱えていた苦しさは、ほぼ解消できてると思います。


でも、毎日がとても幸せになったという事はないですね。

病む前は、色々と頑張って、自己主張して、振り回されて、イライラして
疲れて、苦しんで・・・それでも楽しいと感じてました。

楽しかった時期が過ぎると、毎日無気力に、つまらない、なんかないかと
新しい快楽をさがして、すごしていました。

心を満足させる生き方をしていたんですね。
そんなんだから、落ちた時に病んだのでしょうね。


今は、軽く苦しい日々です。

少し前まで、外界からの情報を出来る限り遮断することで、
わずらわしさから遠ざかってました。
というか、外を気にする余裕もなかく、
ただ自分が苦しまないようにするだけで一杯でした。

今は、外にも少し意識をむけて人とのかかわりの中で社会生活をしようとしてます。
結果、外からの刺激が妄想をよび、頭の中がとてもうるさく、苦しくなります。

外を遮断して、何かわかった気になるのはニセモノだといいますが、ホントそうですねw

釈尊が山にこもり続けず、人里近くにいたというのもそういうことかと思います。

色んなかかわりの中でおこる様々な出来事から、逃げずに受け入れていくのが
真宗門徒の行き方だという話しがわかる気がします。


軽く苦しい日々ですが、実は、苦しんでいない日々でもあります。

苦しみたくて、苦しんでいる慧海がいて、そいつが苦しんでいるだけです。

なので、意識がかわるとまったく苦しくない。

そうは言っても、引きこもっているのとちがって、面倒だし、鬱陶しいし、
やっぱり思い通りにならないってことで、苦しい。
体重が大幅に増えて、肉体的にも苦しいw
色々と頭が鬱陶しく、面倒で、憂鬱という感じの苦しさ。

そんな苦しみたい自分にどっぷりつかって苦しくなってしまった時ほど、念仏を思い出します。
念仏を口にした瞬間、ソコからでてきますのでもう苦しみもなくなってます。

念仏しながら苦しい思考はできませんからねぇw

たぶん、生きている間は苦しみから解放される事はないのだろうと感じてます。
だからこそ、念仏を称えさせていただける身になった事が、有難いことだと思います。


慧海がどうにかしよう悩まずとも、なるようになっていくのでしょう。

慧海が何かかんがえなきゃいけないご縁があれば、その時考えます。


すべては、本願のお育てのままに。

そんな感じで7年目をすごすんじゃないかなぁw


帰命尽十方無碍光如来

2013年9月20日金曜日

過去への執着


昨日、頭の整理をする為にも、頭の中を記してみました。

やっぱり苦悩があったら、心の中身を書いてみるのは効果抜群ですね。

なんてことはない、昔の自分に対する執着じゃないですか。
立派なものなら、過去の栄光にすがるってヤツですよ。

・自分勝手にやれて、評価もあった時期があった。
・商品開発で自分勝手にやったら、うまくいかなかった。
・新しい部署では自分勝手はできなかった。
・自分勝手に出来た頃に執着して、恨み悔やみ壊れた。
・仕事にもどったら、自分勝手にはもうさせないといわれた。
・自分勝手はもうやめようと自分勝手に決めた。
・自分勝手してる人の目にとまって慧海も自分勝手にやれと言われた。
・また自分勝手やれるかもしれないけど、その後、自分勝手やれなくなったら辛いなぁと
 また昔に執着している と。

今も昔も自分勝手にやっていたんですよ。

ただ、昔の自分勝手の頃がたのしくて、執着してただけだったんです。


全部、ただの思い出でした。

楽しく仕事してた頃も、
楽しく仕事してなかった頃も、
どちらも、今は過去の思い出。

その言葉がでてきたら、仕事の事では変な衝動がでてこなくなりました。

今やれる事をやるだけに戻りました。

ありがたいことです。


あと残る衝動は、損得感情だけですね。
ローンの借り換えとか、小金を稼ぐ話とか、物欲を刺激する話といった事と、
お客さんに、むりやり購買意欲をつくりだす方法への嫌悪と・・・

セールストークを聞くのも、見るのも、自分が使うのもウンザリです。

でも、そういう世俗の苦しみに悩む知人をみると、いとおしくて、応援したくなります。
慧海と同じように、苦しみの世を生きる仲間ですからね。

そんな俗世でいきるのが門徒の生き方だといいますが、
出家するより辛いんじゃないですかね?

今はお寺も俗世だから、真宗じゃかわらないかもしれないですけどね。
人助けでいきていけるなら、そういう仕事がしたいものです。
ローンの返済と子供が成人したら仕事やめよかな・・・

帰命尽十方無碍光如来

2013年9月19日木曜日

トラウマ?逆恨み??


4月に本籍の会社に戻り、一応SE系のお仕事をするようになりました。

新しい技術調査の仕事とか、新規サービスに関する仕事とかしていると、
営業支援ではない仕事に戻ったんだなと感じるようになりました。

ところが、一人で作業したり、営業と仕事しているには問題なかったんですが、
具体的にSEと技術的な話をしだしたら、苛立ちと悲しみが入り混じったような、
よくわからない衝動に襲われるようになりだしました。

ゆっくりと、衝動が起こる時の頭をみていると、どうやらその仕事を拒絶しようと
している感情がみえてきました。
それも2つの感情によって、引き起こされる衝動のようでした。


1つは、その仕事を慧海はやってはいけないのだと、頭のどこかで思っているようで、
体が拒絶するんです。

これは、復職直後位に上司(会社)から慧海のSEとしての働き場所は今の会社にないと、
リストラ的勧告をされて、営業支援の仕事に移った経緯とか、
慧海の仕事の悪さで多々迷惑をかけた事から、昔の仕事に戻らないと決めた事といった、
ものが引っかかっている事まではみえてきました。
その頃の思考が再生され、頭の中で再評価が起こっても、同じ結論がでてしまうので、
どうしようもなさそうです。

努力しても、利益の為に、また捨てられるんだろうな と。

もう1つは、今更SEとして昔のように仕事しろと言われても、10年近くSEではなかった
事に対する逆恨みがでてきて、現状を受け入れていないことで拒絶するんです。

今やっている仕事を、もう一歩深く掘り下げて仕事をしようと思うと、やれていない
やるべき事がわかってくるのですが、その作業についての情報が足りないと感じるんです。
その情報は数年前からある情報で使っている人も多い技術なので、
今更慌てて調べるようなものではないだろうと思っちゃう訳です。

後輩にきいても、詳しくは調べていないということで、わからない。
なんで、社内じゃ誰もしらんのだ?とイラ付くと共に、慧海は何故その仕事をしていない
のかと、あれやこれや、情報が足らんのに、どうやって考えればいいんだよと。

会社の判断でSEからはずして、今更昔のようにヤレといわれても、できるわけないだろと。


昔のようにやっていいよと言われても、戻る努力が怖いし、今更なんだよ という
2つの感情によって、戻る事を無意識に拒絶していたということです。

昔の仕事にもどらなくても仕事あるので、ヤレといわれても、僕には無理という回答で
すんでしまう話しでもあるんです。

でも、意識としては、おもしろそうだな やってみたいな と思うんですよね。

頭の中で勝手に色々と考えて、悩んでくれるおかげで、肉体的には気分がわるいです。
ホントうんざりです。

損得、苦楽、どちらも感情の問題なので、どっちも一緒だと思うんですが・・・
人の頭はよくできたものです。
うるさくてたまりませんわw

こういう時に念仏させてもらえる身になったことが、とてもありがたく感じます。

苦しむのが人であれば、念仏という薬なしには生きていけない

ふと、そう思う慧海でした。

2013年9月18日水曜日

Galaxy GT-N7000 アップグレード


今更ですが、グローバル版のGalaxy GT-N7000 のOSを4.1だかにUPしました。

samsung が提供を始めたって記事ばかりで、具体的な方法がわからなかったので、
とりあえず、慧海のアップグレード顛末を、ここに書いておくことにします。

まずデバイスから直接作業しようとしました。
そうしたら残念なことに、「No update available」と出てしまって、
うまくいきません。原因はわかりませんが、しょうがないので、KIESを使う事にしました。


1.KIESダウンロード

KIESを、SAMSUNGサイトからダウンロードます。
KIESを使うと、ファームウェアアップグレードができるんだそうです。
慧海はそれすらしらなかったんで、KIESに行き着くまで時間がかかりました。

慧海が落としたのとは違うURLですが、ここの左上の「WINDOWS用」をクリックすると落ちます。

http://www.samsung.com/jp/support/usefulsoftware/KIES/JSP

また残念なことに、慧海がおとしたのは、古いバージョンだったみたいで、
インストール後、最新バージョンをダウンロードするかと聞かれました。


2. デバイスをUSBケーブルで接続して認識させます。

慧海は、インストールに時間がかかったので、めんどくさがって
最新にしないで作業をしてしまいました。
そのため、N7000がSAMSUNGのデバイスとして
認識されず、ファームが落ちてこないという状態になりました。
また、そこらにあったUSBケーブルをつかったら、充電用にケーブルで
デバイスと通信ができないという基本からしておかしな状態でした。
色々と、楽しようとして悩ましい状態になってました。

ちゃんと最新にして、ケーブルもデバイスをちゃんと認識するものに変えることで、
無事作業が開始できるようになりました。

KIES Wi-Fi接続だとファームを上げられないらしいのでケーブルで接続する
必要があるようです。


3.ファームアップグレード

デバイスをちゃんと認識したら、最新ファームがあるってメッセージがでるので、
それでアップグレードしました。

時間がかかるので、つい他の作業をちょっとしてしまったら、アップグレード中にとまってしまい、
緊急ファームウェアリカバリーをすることになりました。

ファームアップグレード中にPCに負荷をかけるなんて、
システム会社の社員とは思えないおバカな行為ですね…
CD焼くのとファーム操作は、別の作業をしないというのは鉄則だったんですけどねぇw


ファームウェアリカバリーは、エラー時に番号がでてくるので、
それを使ってリカバリーをします。

そのままでは、リカバリー作業もエラーになるので、
一度ケーブルを抜いて、接続エラーの解消をすることと、デバイスも再起動して、
KIESでなんとかしろと書いてある画面にした状態でリカバリーをすることで無事完了

リカバリー後、OSは前の状態にもどるのかと思ったら、
最新になっていたので、とりあえずそのまま使ってます。



段々とこういう作業が面倒になってきてますね。
昔、SEの師匠がPCをWi-Fiに接続するのに手間取っていて、
なんで理論的に色々と思考できるのに、こんな作業に手惑うのかが不思議でしたが、
いまになると、こういう事ほど面倒で手惑うものなんだと思いますねw

ついでに、メインマシンのN-08Dも別ビルドがあったので、アップしました。
こっちは、電池不足で作業できず、充電しなおしてからの作業という、
やっぱり面倒なひと手間をかけましたw


2013年9月14日土曜日

最近の記録


前回も書きましたが、最近は他人の思いのようなものが聞こえるような気がします。
もちろん、妄想です。

慧海が勝手に、相手の声のトーンから怒りやら自慢やらの感情的なものを当てはめ、
話している内容とあわせて、慧海の経験にある苦悩とてらして、聞く言葉です。

これは、意識してやってるわけじゃなく、頭が勝手にやります。
だから止める事もできません。
妄想だからしょうがないですねw

他人の思い以上に自分の思いも流れてきますので、毎日の生活が鬱陶しいです。

たとえば、お客様に良い提案をしようということで熱く語っている人の言葉が、
自分の価値を、自分の正しさを認めてもらいたくて必死になっている言葉に聞こえるんです。
愚痴っているのに、自慢しているように聞こえたり。
テレビや本をみてても、そういうのばっかりですね。うんざりです。

逆に、自慢話しをしているのに、応援しているように聞こえたりするのもあります。

それを見て、自分の感情が動いて、ああでもない、こうでもないと頭が騒ぐ…
ホント、鬱陶しいです。


最近は、さらに勝手に過去の嫌だった思い出を脳内再生されることがあります。

中高生の頃の友人とのいざこざ話とか
昔の彼女の別れ話とか、
黒歴史といわれるようなものとか、
会社での事とか・・・。

大体忘れようとしていた事、思い出したくない事で、
片鱗を思い出すだけで気分が悪くなることばかりです。

それが勝手に思い出されてきます。

不思議と、再生され嫌な気分になった後は、
同じ記憶に嫌な感情がなくなっています。
嫌な感情になった部分も含めて、ただの記憶になってる感じです。

なんだか、もう、このままいけば、いつでも死ねそうですw


なにもわからないままで、落ち着いていられるので、
あえて、何かをしたりはしません。

これも、弥陀佛のお育てなんでしょうね。


帰命尽十方無碍光如来