2011年4月30日土曜日

花祭り

ドーパミン不足を補う薬がなくなって、やっと服用前には戻った
すぐ無気力になるし頭もうるさいが、まぁなんとかなっている
亭主師の言うように、逃げてちゃいかんのだが…
 既に「病気」に逃げるあたりが慧海の限界なんだと思うのだよ…
 健康でなければ彼岸に渡れないという事がわかるような気がする


29日にお寺で時期ハズレではあるが、花祭りがあった
本来は4/8に釈尊の誕生を祝ってやるやつだが、
門徒もきにくいだろうってことでGWの頭である4/29にしたらしい

3/11の地震があったので、中止しようとも考えたようだが
震災の法要というのも追加し、義援金もあつめるかたちにして
決行することにした

住職は甘茶をかけるアレも買って楽しみにしていたし
寺の50年祭に出られなかった門徒の希望でお稚児さん衣装もだすし
落語と講談の手はずを整えたし ということで
中止にはしたくなかったようだ
慧海も落語と講談はきいてみたかったので、よかった

うちの地元のお祭りはなくなってしまったんで…

慧海はまともに落語とか講談をきくのは初めてだ
落語家のあの番組でも落語自体をまともにみたことはない
講談なんてもっとない

で、実際にみてみた
落語は…まぁあるていど予想通りな感じに面白かった
講談の方は…予想のなかった面白さがあった
ちなみに、講談師?は神田きらり さん

お約束的な口調による講釈?と、合間に普通の口調でのおもしろ説明
情景が見えてくるような、ひきこむような…実にすばらしかった

こういう日本の芸能を知らずにきたのだなぁ と思った

得信寺にいたのはお爺さんお婆さんばかり
同年代は住職の親戚だけ
そんな感じではあったが、子供つれて見に来ればよかったと思った
月例の門徒講座で寺慣れしてるから慧海はいいが、
家族は寺にあそびに行こうとは思わないだろうから、無理だろうけど…

2011年4月24日日曜日

経過観察

薬が増えたのと、GW の関係で早めに通院してきた
増えた薬を服用後の症状を説明したところ、
薬が合わなかった事、量が多かった事が判明
過食症状もおさまっていたので、その日から服用終了となった

服用しなくなって、変なだるさはなくなったように思う
でも、再びおかしくなったという事実は変わらず、
同じように生活すれば、どこかでまたおかしくなると改めて認識した

昔は出来ていた無意識な社会生活はホントに送れないようだ
自分の欲をみたす生活は頭の中からでてこれなくなる
欲を追わないように注意してみただけでは、やはり頭の中のまま
今、この身の感覚なんてものはどんどんわすれていく
身体からの信号も頭で処理してしまえば見てないのも一緒

だめだなぁ

そう感じていることすら、頭の中
…仏法を拠り所に

社会生活とは別のレイヤーで精神生活ができるようになりたいな
それがどういうことなのかを言葉でどうこうはできない

でもこの数年の中で感じたことを思い出してみるとなにかありそう


変な苦しさを久々に感じながら妄想がでてきた

今の苦しさは慧海の苦しさではなく、法蔵菩薩の苦しさ なのかもしれない
慧海が浄土に生まれなければ彼は阿弥陀になれない
慧海を救おうとする法蔵菩薩が慧海の中の苦しんでいる
でも、既に阿弥陀仏でもある…ならば慧海も救われている…はず

言葉で妄想をふくらましてみてもしょうがない…

言葉でないところに行けばいいんだろうな

2011年4月17日日曜日

経過観察

薬の副作用だか、”病気”と宣告されたことによる自己暗示だかで
体調と精神状態は悪い一週間だったが、陽にあたると少しよくなる
ここ数日は風がヒヤッとするときはあるが、日差しは初夏を感じるほどで、
昨日なんぞは、短パンで屋上にでて日光浴ができたほどだ

陽に当たると、どこかに飛んでいきそうな意識が返ってくる
逆に低気圧やら雨やらだと、意識がボーっとしてくる
屋内で光があたらない時間が多いと眠く無気力になる
…人間も動物なんだと認識させられる


仕事も暇でしょうがなかったが、4月に入りお客さんも動き出したので
仕事探ししなくてもやることがではじめてきた

机の座席は窓寄りに移り、蛍光灯をつけていなくても少し明るく
窓の先の空をちょっと眺めているだけでも頭のモヤが薄くなる

薬の副作用になれてきたのか、状況がちょっと変わったからか
再病みに反省し、ゆっくり頭のなかをみなおしたからかわからんが
とにかく、金曜あたりから気力がもどってきた

精神異常が顕著に感じられるのは、読書のようだ
異常だと本がよめないのだ
まず、本をよもうという気にならない
手にとっても、文字が頭にはいらないし、妄想がでてきて脱線する
ちなみに、マンガですら読めないのだ
前回の病後に読んだマンガの中には、ストーリをまったく覚えていない
ものがあって驚いた位だ…でもポイントだけ記憶にあったし
その時は読んだ気になってたんだろう…

そして異常であったと感じるものとして、全休先生のブログをの違いがある
異常前は頭で読んで反省しつつ、わかった気になるだけ
異常中は本同様読めない
異常後は身で読んで反省しつつ、楽になるような感じがする
直近だと、4/15も4/17も、ああ…と思う
4/11、12、13の記事もため息がでる。
こういうことを全休先生は普通に書くが、寺では決して聞けない内容だ


西洋文化による近代の発展の中には自我とキリスト教が中心にあるように思う
キリスト教はよくわかっていないが、日常生活と宗教観がずれてはいないのだろう
でも日本においてはどうだろうか
さらに言えば、慧海においてはどうだろうか
多畑を耕すように、狩猟にいくように自然と共に過ごしている時代とは違う
観念と言葉によって作られた世界
慧海はその世界で過ごすことが苦しくなってしまった
頭で仏教を学んでみても、世間に飲まれれば元の木阿弥

全休先生の言う「環境の支配を受けない自由な心境を確立するのが信仰」
というような信仰が慧海にはないないのだ
だからすぐ環境の支配をうける…


善智識たる全休先生に一度おあいしてみたものだ
思いの熱は文字より対面でのほうが感じられるもの
真宗は、「救われた人」にお会いせずには感じ取れないというものらしいし…

お仕事辞められた直後で、色々とお忙しいのだろうけど…


ちなみに、亭主師は意外とお近くで生活していらっしゃるようなので、
ご挨拶位はしてみたいのだが… 全休先生以上にNGだろうなぁwww

2011年4月10日日曜日

経過観察

薬は飲み続けてみてはいる
なんか薬を飲んでからの方がひどい気はする

身体はだるいし、頭はひっぱられるような…
風邪ひいているか、酔っ払っているかといった感じが
ず~っと続く
横になっていると視界があかるくなっていくが、
起きていると、モヤがかかったようにボーっとしてくる
恋煩いのように胸がくるしい

ふとした瞬間にアホな思考がでてくる
陸橋の上から飛び降りてみたくなったり、
裸で外に飛び出してみたくなったり、
棒等で人を無差別に叩いてみたくなったり…
衝動に飲まれたら、慧海は終わりだ あぶないあぶない…

そんな危ない頭の分泌物を無視して、桜をみつつ
なんでこんな状態になってんのか考えてみた

答えは、考えてばかりいるからだろう

昨年度はその前の1年に比べると、欲望と執着と断念とがやたらに多い
元気になった気になって、いろんなことを渇望してしまい
物事をどんどんゆがめて見ては、あとから気づいてガッカリする
なんどとなく、ゆで蛙になりつつ、運良く気づけて茹で死んでないだけ

キャリアプランやら、永年勤続やら、会社の合併やら、担当の異動やら…

昨年度は現実社会にどんどんと感情で入り込んでいたんだなぁ…
一昨年度は、現実と一歩距離をおいて生活していたような気がする
あれやこれやと分別つけづに、ただ今に意識をむけようとしていた気がする
昨年度は、余計な事考えてた時間が多い

もう一度2007年10月頃の時間の過ごし方をする必要がありそうだ

頭の言葉にのまれて、現実から逃げないで、ただ今を過ごす…


あ~あ 輪廻しちゃた…
今度こそ…

2011年4月8日金曜日

通院日

最近、調子が悪いと感じてはいた

葬式の後、なんか疲れが抜けないと感じていたが、
その後の地震…
多くの仕事が延期になり、目の前に案件がない
それでも会社にいかない訳にもいかない
節電で会社の蛍光灯は付いて無いし、
計画停電で家でも電気がつかない
原発は気になるし、余震もきになる

何で自宅勤務とかできないかなぁ

そして、組織異動の時期でまぁ色々と…
キャリアプランねぇ…

そんな感じで要らぬ事に腹立たしく思いつつ
あわせて、虚無感も感じつつ休息を取りながら
このひと月ちょっとをすごしてきた

電車がホームに入る瞬間に「飛び込んだら楽かな」
と昔懐かしい思考がでた時、「俺やばいな」と確信した

診察結果は「ドーパミン不足」だそうだ

うつ病は「セロトニン不足」なんだそうだが、
ドーパミン異常はパーキンソンやら統合失調やらと関係があるらしい

報酬系とドーパミンは関係あるらしいし、たとえば窃盗とか放火とか
自傷行為だとかの抑えができなくなったりもする とかあった
このあたりはわからなくもない
少し前から異常な衝動が多々あって、念仏して衝動をやりすごしたり
ということが何度かかった
理趣教を思い出し、ああ、是菩薩位… と衝動を観察したりもしていた


そんな衝動があまりでてこなくなったあたりでは、既にテンションは
ダダ下がりで、やる気もでない
でも睡眠はとれてるし、過食状態でもある
そんな中で通院した結果が、ドーパミン不足だ

で、薬がでた

この薬が悪いのか、「悪い」という診察結果による暗示か
通院した日から眠りが浅くなったし、ボーっとするようになった
身体はず~っと酔っ払ったみたいにホワホワしている
そのくせ、雲のかかったような頭の中ではなにやらどうでもいいことを
ず~っと考えつづけている

ボーっとしているからか、愛用のBluetooth のレシーバも落としてしまった
そして、落とした事をボーっと考え続けている頭がある

血圧も高いし、動悸もするし、ちょっと歩いても疲れるし…
完全に病人状態である

ほぼ治ったし、再発はないと油断しきっていた
俺はちゃんと治せたぜ…なんて自惚れが思考の滞りを作っていたのだろう
調子がよければ自我が元気で欲求がつよくなる
欲求がつよければ妄想も多くなり、結果やらなんやらで苦悩も増える

酒でも呑みに行って憂さでもはらしてれば良いのだが、
そうそう呑みにいける仲間もいないし、脂質異常もあるし…
地震の後は呑みも散歩もせずにまっすぐ帰るんで、ストレス過多だったようだ
まぁ、どっちにしろ逃げの手段にすぎないから、早かれ遅かれ
同じように異常をきたしていたのだろう

全ては自分の中で起こっている問題

慧海はやっぱり何もわかっていなかった
そういうこった


2006年に通院したのもこのような桜が咲いた時期だった
ボーっとした頭でみた桜が、ただただ美しく華やかで、かつ儚げで
たまらなく愛しいものとなってしまった

通院後、上野公園の桜をみてきた
桜祭りは中止でも、桜を見に来る人を止める事はできない
例年よりはすくないものの、桜の下で宴会をする人たちは今年もいる

桜を愛でずに春が過ごせるか!

桜を愛でてドーパミンふやすとしますかw

2011年4月3日日曜日

門徒講座3

どんよりした精神状態のまま、2週間ほど過ごしていた

会社にとりあえず行き、蛍光灯をきった通路側の薄暗い自席で
PCをながめつつ、時間をすごし、日によっては電気の付かない
家にかえり、キャンプ用のランタンつけて、気力のないまま酒を呑む

そんな感じで、慧海がいまでもしっかり病人であることを認識されられつつ
昨日、義父の七七日法要が終わり、今日はお寺の門徒講座で2日連続お寺参り

七七日なんで、お寺の3Fに納骨も行ってきた
本堂で法要して、そのままお骨もって1分で納骨…w
実に楽なもんだ


さて、門徒講座3回目は、四法印と四諦と八正道の話

今回は婦人会の方々が一気にへって4人、男は得度した人と僕の2人だけ
婦人会の方々には難しかった ということなんだろうか…

今回、難しいし、こういう話はつまらないんだよ
と住職は何度も言っていた
次回から日本仏教の話だから、面白くなるとも…

慧海には四法印や四諦、八正道は実に面白いと思うのだが、
住職や、お寺関係者はあまり関心がないようだ
講座後に話をきくと、はじめから真宗の勉強ということで、やってるから
学校でも釈尊の話は言葉だけで、内容はさらっとながしてしまうものらしい
だから、四法印や四諦八正道についてほとんど考えてもこなかったらしい

言葉から感じのは、苦というものと向き合ってこなかった感じをうける
我々には仏陀や親鸞のような苦はわからん というようなことも言う
僕らの感じる苦は、彼らとは比べ物にならないと…
なにかを思って、そういう見解になっているのだと思うのだが…
住職がまだまだ救われていないのだな と感じてならない

まちがった表現かもしれないが、仮に救われている状態に段階があるとして
・・・二十願から十八願までの段階のように…
住職の言葉をきいていると、僕は彼より救われているのではないだろうか…
と感じる 主観的すぎて怪しいもんだが・・・

まちがいなく、僕の方が知識はないし、僕自身救いはどこだ?ともがいている
しかし、住職達の言葉は「阿弥陀様に救われる」と言ってはいるものの、
救われたい または 救われた と思っているのだろうか と思う

そのままでいいというのが真宗だ という門徒の言葉をきくが、
自我を否定することなく、そのままでいい というのでは何もかわっちゃいない
自我の否定、苦悩と懺悔、それをそのままでいいと肯定する他力があって
正しく苦悩をみつめつつ、これでいいんだなぁ なんて思うんじゃないかなぁ

本願ぼこりでも救われると歎異抄にある といって、自らを省みなかった
ならば、救われる事とはなんなんだろうか… やっぱ、よくわからんや



全休先生の記事を読むと、ショックをうけることが多々ある
亭主師の記事も、さらっと痛いことを書いてある
真宗の先生方や鈴木大拙師等の本も、ただの哲学書や単語解説とは違う
たとえば、中村元先生とか、ユンギアンの河合隼雄先生が書くような
仏教の話は上の方々の言葉とちょっと違う

同じような話をしていても、学問か説法かは、大きく違うのだよ…


今のお寺じゃ、本当に苦悩している人を救うことはできないのだろうなぁ…
何か慧海にできないものかなぁ…