2013年6月2日日曜日
明日で41歳
慧海は明日で41になります。
もう41かとも思うし、まだ41かとも思います。
自分より10も20も30も上の方々とばかりお話をしているのと、
人生の終わる日を待つような感じが、41はまだまだこれから
という気にさせないのかもしれないです。
先日、後輩に復職したてより今の方が元気がない、暗いと言われました。
予想外な一言でした。
慧海としては、その頃の方が色んな事に苦しく、必死であり、
まだまだ死にたい思いがつよくて、そっちの方が暗かったと思っていたんです。
今はというと、肩の力も抜け、残業しないと終わらない状況でも、
仕事は忙しくセッセと頭つかって作業をこなしますが、どこかノンビリしていられるんです。
気負って頑張って、なんとか思い通りにしなくちゃいかんっていう所がないし、
テンションを高くして自分の価値を知らしめる必要もない、
ただやるべき事を自分にできるやりかたでやればいいって思って仕事にむかうと、
落ち着いていられるので、やる気がないようにも見えるかもしれない。
自己主張しないでも居られるから、人の話をきいていられるようにもなるのですよ。
発言がすくないと、積極性に欠けると見られるようですね。
外は元気に見えて内は空回り
外は暗くみえて内は穏やか
外見の評価など実にあてにならないものです。
やるべき事は増えているし、事務処理の手間も増えているし、色々あって
ストレスは増えているようで、体は辛いです。
それに引きづられて元気もイマイチでません。
それでも、どうにでもなるというか、どうにか勝手になっていくっていう感覚があって
変なあせりがでてこないのが不思議でたまりません。
今年のお正月に全休先生から、自縄自縛することなく、
「仏縁の中、仏の光をいっぱいにあびて、のびのびとなまけ生活を楽しみたいものです」
「軽く軽く、生き生き、のびのび、怠け者生活を楽しみましょう」
と いうようなお言葉をもらいました。
自らを縛ることを怠けることはこんなにもノンビリした感覚なんだと実感しています。
いまはマダ生き生きという感じがわきません。
人生の課題がみえてきたら、生き生きとするんじゃないかな?
41のこの年には生き生きとノンビリすごしていけるといいなぁ
なんて思います。
いくつになっても取りとめもない駄文を連ねる慧海でした
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