先日、喧嘩の仲裁的な感じで、会社の人宛にこんなメールをおくりました。
自分の考えが正解で、それを理解しない、阻害する行為は会社に損害を与えたいと思っている
というふつうの定年前サラリーマンの方です。
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お疲れ様です。
すいません。余計なことをします。
主観に基づくチョイスで、学んだ事を書きます。
何かに気づいていただければ幸いです。
■正しさ
正しいということは、誰がみても正しいと思われますか?
数学ならそうですが、論理式の世界以外では、正しさというものはあいまいで、主観的なものだと理解しています。
社会において正しさを表現するには、前提を明確にし、論理的な基準をつくった上でしか正しさを表せません。
ビジネスにおいては、万人における正しさはないと言ってもよいと思います。
自分が正しいと信じるやり方、目的、ゴールなどは、すべて主観的なものです。
論理式的には、正しさは正しくありません。
■「バカの壁」
バラバラの正しさの上で、自分の信じる正しさを貫くには、正しさの共有をする必要があります。
それは、極論すると、相手を自分の正しさに取り込むことだと思います。
相手と共有するには、同じことが理解できないとなりたちません。
説明しても、同じことを理解することはできません。
養老孟司氏の「バカの壁」にありますが、話せばわかる、説明すればわかるというのは幻想です。
知っている事しか理解できないのが人間です。
知らない人が知るには、体感したり、思考したりして、気づくしかありません。
そうなると、同じような問題意識をもって過ごしてきた人にしか、共有はうまれないということになります
■正しさを貫くことは
同じ問題意識がない人に、自分の信じる正しさを共有させようとすることは、エゴです。
自分の欲望です。わがままですらあります。
それが例え、会社にとって、社会にとって良いと考えられるものであっても、自分のエゴでしかありません。
原発の賛成/反対の対立とおなじようなものです。
同じ意見を持たない人には、理解できないし、意見すらいえません。
正しさを貫くことのもっとも問題な点は、自分の正しさが共有できない人を敵対視することです。
敵対したり、侮蔑したり、拒絶したり、と怒りの対象となります。
その感情自体が既に人間の煩悩、本能のままです。
正しさを貫こうとする思いも、煩悩、本能です。
本能の話ですので、あえて言えば、猿山のボス対決と変わりません。
■全ての答えは自分の中に
世界平和の為に戦争するような思考をするのが人間です。
なぜそんなことになるのかは、外側の理論、思考でみても偽善の言葉だけで意味がありません。
心の奥底にある、欲望、怒り、無関心、それらに付属する、プライド、嫌悪、自己の常識に気づくことだけが自らを安んじることができ、他人と争うことをしなくてすむようになります。
自分を知れば、他人が見えます。
孫子にはこうあります。
「故に曰く、彼を知り己れを知れば、百戦して殆うからず。
彼を知らずして己れを知れば、一勝一負す。
彼を知らず己れを知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。」
■苦しみの連鎖
例え嘆きの愚痴をこぼしても、心の中まで怒りでおおってしまったら自分を傷つけるだけです。
自分の苦しみは他人を刺します。
刺された人も苦しみます。相手の苦しみがまた自分を刺します。
苦しみの連鎖です。
僕は、お世話になった人が、親切さと正しさゆえに、苦しみ嘆いている姿をみたくはないのですよ。
と、いう僕の欲望を解消する為に、不快な思いをさせるメールを記させて頂きました。
大変申し訳ございませんでした。
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このメールの後、自己観察の方法としてRAINメソッドを紹介したり、
会社がヤバくなるのも努力の結果だという事を、「イノベーションのジレンマ」の引用で説明しました。
当然ですが、理解は頂けてないようですが、会話の間に「あいつらは!」という言葉があれば、
「彼らは彼らで…」と言えるベースにはなったかと思ってます。
こんなのは処世術だと思いますけどねw
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