慧海は、慧海がもっと思い通りになるように考える時、苦しみます。
慧海は、目の前のやるべき事にのみ向かっているとき、苦しみを忘れます。
慧海は、結果は自分の努力で得るものではないと納得しているとき、努力をする事ができます。
慧海は、やるべき事が終わって無くなっていくとき、安らぎを感じます。
慧海は、如来の法により、このような自分の反応を知り、日々の生活の中で、
苦しみと向き合って、おだやかに生きていく事ができています。
如来の法に遇わなければ、この欲望と怒りの無関心の世界で
どうやっておだやかに生きつづけていけるのだろうか
未来の心配よりも、今の自分の心を気にすべきです。
世界の心配よりも、世界に向けて思う自分の心に気づくべきです。
未来も世界も如来の領分です。
人が考えるその領分は、全て妄想の中の出来事です。
自分には自分の領分があります。
自分に遇えばわかります。法に遇えば分かります。
人にできるのは内観の念仏しかないのでしょう。
流れていく今を常に気づき続けるしかないのでしょう。
慧海はそのように教わり、信じられない念仏をとなえ、
佛が慧海をどうみるかを感じました。
苦しみに苦しみたくないならば、善き人の教えに従うしかないのですよ。
なぜなら、自分自身が苦しみの原因なのですから。
南無阿弥陀仏
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