2011年3月17日木曜日

生きたいように生きてはいけないのか

先日、茨城の筑波山の麓にいる、慧海の祖母の弟がなくなった
地震の日の前日で、土曜、日曜が通夜と告別式だった

地震で停電したり、混乱もあったので1日延期したのだが、
やはりどうしても葬儀には出たいというので、送る事になった
帰りは…当然電車は動かないし、ガソリンもない
でも帰るから迎えにこいと…結局、往復6時間かけて茨城まで…

親父は肩を骨折しているのに自分で運転するといいはるし・・・


子供が親に何をいっても、親は聞き入れることは殆ど無いのだな

と改めておもった

義妹の両親がいわき市に住んでいる
弟は茨城まで葬式にいくのがあぶないというくせに
義理の両親をつれてくる とかはしなかった

話をきくと、社員もいるから自分だけ逃げられない といっていて
原発がさらにやばくなったので再度きいたら、
今度はガソリンがないからどこにも行けない だそうだ

結局、その土地から離れるのが嫌なのだろう
それは、死ぬ事よりも嫌なことなのだろう

知らない土地に移って、生活もどうなるかわからない
そんな事になるなら死んだほうがまし ということなのか…?

会社の後輩の両親が南相馬に住んでいた
原発がヤバイということで、とっとと親戚の家に移ったそうだが、
父親だけは、嫌だといいはったそうだ
もちろん強制連行し、後輩は連れて行っておいて良かったと安心していた

子供の側からみれば、それがよかったと思う
でも親の側からみると、どうなのかがわからない

脳梗塞で倒れて骨折し、うちの実家に移った祖母は、自分の家に
早く帰りたいといいつづけて、精神的に参ってきてしまった
家に戻って、父の介護をうけつつも、それがやはり精神的に嫌だったらしく
自宅に戻った半年もしないで他界した
迷惑をかけるのが嫌で、迷惑をかけるなら、早く死んでしまいたいと思い続けていたらしい


自分の思い通りにならないと、人は苦しむ

苦しみから怒り等の感情をあらわにしたりする。
感情をを抑え込むと鬱になる

親が生きたいように生きようと思うのは親の欲求
親を生かす為に子の指示に従えと思うのは子の欲求

どちらをとっても、欲求が満たされなければ、苦しむ
欲求をみたした方は、相手の欲求不満の姿をみて欲求が満たされず苦しむ
だからと言って、ただ黙していても苦しむ

お互い本音で話して、納得することが苦しみの合計は小さいように思う

とはいっても、本音で話し合うことなんて簡単にできない
それができないから、苦しみは拡大していくしかないのだろう



被災地になんか手助けがしたいと駆けつける人が、
被災者の飯と被災者の毛布をつかってしまう とテレビで言っていた

今必要なのは人手じゃなく、物資
親切心で邪魔をするな だそうだ

ホント心のままに生きる事は考え物だ

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