2011年12月10日土曜日

ブログ存続の危機?w

自然のままに苦悩して、苛立って、考えて、ぼ~っとして、煩悩の林に遊んで…
それをただ感じつつ今をすごしつているのが慧海の日常だ

その場その場ではなんか考えたりしているんだが、
その思考をどんどん捨ててっちゃうから、残ってない
「感情とお勘定は別」なので、できるお勘定だけすましてしまうと
感情とそれにまつわる思考はどっかにいってしまう

今まで慧海の苦悩の愚痴を書き続けたブログなのに、
苦悩が保持されていないので、その愚痴がなかなか記事にできないのだ

わからない、どうしたらいいんだ、これでいいのか

昨年まではず~っとそんな事ばかり考え、思考と感覚を色々としてみた
あるところからは、感覚の違いもわからず、それどころか鈍くなる
思考は学んだり気づいた理論が繰り返されるだけだった
色々やって、わからなくなって、にげて、欲に呑まれて苦しんで
で、やっぱりなんかしないとと思考と感覚をいじってみて…

その繰り返しは2年位だろうか…記事をよみかえせばわかるんだがw

そして今年の地震に端を発して、色々おかしくなって…全部捨てた
頭の中で死んだ これも記事にかいた

これが思考として最後にやったことだろう
その後はただ勝手になるようになっていっている
どう勝手になっていったかは記事に書いてない
気が付いたら御任せするだけになっていた

思いつきの言葉でそのあたりの説明を書くこともできるが、
慧海にとっては無意味なんで書いてない

記憶にあるのは、一時期、慧海に見えるものが全部仮のモノにみえていた
どれもこれも、あの世にもっていけるものじゃないなぁ
いつか消えてくものにみえるし、他人と自分も大差なくみえていた

で、今は自然のままにほっぽりっぱなしに生きている
先の記事で、「行けているだろう」と書いたが、実の所よくわからない
でも、先はあっても戻るところがないから「行っちゃった」と思う次第だ
だれかに、お前はマダだ と言われても、そうなんですか 困りましたねぇ
としか思わないし、お前はこっちに来たといわれても、
ああ、やっぱり来ちゃってたんですか どうしましょうとしか思わないだろう

行く事しか考えてなかったんで、行っちゃったらどうしたらいいかは
考えてなかったのだ

慧海にとって、心の観察=聞法=念仏で、常に念仏以外の何も知らん
なので説法もできん
全休先生と、亭主師の記事を読んで、自分の心の声をききなされ
それだけw

まぁ今のまましばらくは日々の出来事を書くだけかな~

このブログは自分の為に書き続ける という方針のブログだからね
あとは、心の観察で見えた、どうでもいい話とか書くかな~

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