2012年11月6日火曜日

慧海は何かできるのか


9月末と10月の記事に、しゃり様と名乗られる方からコメントを頂いております。

しゃり様がどのような方なのかはマッタク存じ上げませんが、
とても大事な事を指摘いただいたように感じています。

慧海は本当に救って頂きたいのか…

自分の努力によって自分が楽になる という考えが抜けないまま、
何一つ自分の思い通りになんてならない というようにも感じて
「今」を意識しながら、唯生きればいいか とも考えたりします

考えてどうにかなるなら、よいのですが、
考えにはまって苦しむのがオチです


「解脱の耳」と、しゃり様は書かれていらっしゃる

解脱の耳という言葉を聞いた事がなかったので調べてみたら
蓮如の言葉の中にあるようです

住職がよく言う「身で聞く」という言葉を思い出します

念仏を聞くのが大事だとも言います
浄土教は聞くのが大事なのだとも言います


自分の頭の声、身体の声を聞くという事はある程度意識してやってますが、
解脱の耳をすまして、何をきくのだろうか・・・と考えてしまいます

何をしたら良いか教わり、それを努力してみよう

そういう考えがでてきます
で、努力じゃないのだ、思考じゃないのだと思い、
また、努力もやめて、途方にくれるのです

先月より、途方にくれた挙句、念仏でもするしかないかと
思い立ち、毎日Twitterに念仏をつぶやきつつ、気が向いた時や
苦しさを感じた時に、本願を思い出して念仏をつぶやいてみたりしてます

ドックで、「心筋梗塞の疑い」と診断結果がでて、
明日にも死ぬる命なのだと感じたものの、いまだ胸の痛みもないまま、
左肩こりがひと月続くのは心臓のせいかと気にしつつ、
今日もなんとなく生きています



南無阿弥陀仏


2 件のコメント:

  1. >慧海は本当に救って頂きたいのか…

    宿善ない人は、そんなこと思いません。


    >念仏を聞くのが大事だとも言います

    信巻に
    「眞實信心必具名號
     名號必不具願力信心也」と。

    信心うるまで、念仏は聞こえません。


    >浄土教は聞くのが大事なのだとも言います

    そのとおり。

    「本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。」
    とのことですので、信心うるところが聞くところ。


    >自分の頭の声、身体の声を聞くという事はある程度意識してやってますが、

    「意識してやってますが」がはからい。


    >先月より、途方にくれた挙句、念仏でもするしかないかと思い立ち

    そうですよ。

    「信なくば勤めて念佛すべし、精(いさ)みて申すべきなり。
     念佛の申されぬは、往生が大事にならぬか、信心なきかの二なり。能々思ふべし。」

      口にだに 南無阿弥陀佛をとなふれば
        御名よりひらく 信心のはな

    返信削除
    返信
    1. しゃり様

      コメントありがとうございます。

      どう受け取っていいのかがわからないので
      返信できずにおりました。

      伝わらなくても慧海にはどうしようもないので、
      何かを伝えようとしていただけていることに
      ただ感謝するばかりです

      ありがとうございました。

      削除