2013年1月21日月曜日

こんなんでいいんかなぁ


先日、お茶のみ同僚O氏から
同じようなことばっか書いてつまらん
という感じの指摘をされましたw

そりゃそうでしょうねぇ
偶然起こった感覚をああだこうだと書いてるんですから…
まるで俺はUFOを見たぞと言わんばかりですねw
他人からすりゃ、ホラ話きくのと同じ位つまらんでしょうね
でも、慧海としては記録を残しておく事が大事なので…
読んで頂けている皆様、ごめんなさいねw


まぁ、慧海にとってはいままで想像していた理解とは違った感覚ですし、
物事のとらえ方も以前とちょっと違っちゃうような経験なんですよね
だもんだから、頭がソコに依存しているかのような状態なんですよね

あの時に感じた事、気づいた事はどういうことだったのか と

イマイチ表現できないし、書けば書くほど感覚とは違ってるような気がして…
でも、今まで、そういうものかと思っていた仏書等が、今は、なんかわかるような気がして…
でもやっぱり自分では表現できないし、やっぱり単なる不思議体験だったかとも…

いずれ、慧海の念仏も親鸞聖人の念仏と同じ念仏ですと
言えるようになるんですかねぇ
元々慧海の念仏じゃないんだから、同じなはずなんですけどねぇ…w



そんな感じで、意識がそっちにむいて、気になってはいるものの、
別の意識は、普通にドライに淡々と動いて、普通に生活してるんですよw
十牛図でいう牛に乗っている感じですかねぇ?家に帰った感じですかね?

いままで、苦しいナァ、なんとかならんかなぁと
ず~っと気にして、気にしないようにして、やっぱり気にして
少しずつ、自分の思い込みが壊れていって、気にしている事も
苦しい事も何もかもそのままに受け入れることにして…
と過ごしてきた慧海ですが、そういう苦しさがなくなってしまった結果、
これからどうしたらよいのかが、わからなくなったんですよ

奴隷から開放されて自由になったら、命令されなくて不安になった
っていう、そういう感じでしょうか?

もう苦しさと闘わなくていいのかな?
また一時的のもので、やっぱり苦悩に焼かれるようになるんかな?

終わりじゃなく始まりだっていう感じなのに、何が始まったかわからんのですよ

奴隷の例えじゃないですが、自由になった感じはします
本願を頼りに自由に(一人で?)生きていくんだなって感じですかね
それが始まりってことなんですかね?

結局、考えてわかるものでもないし
そういう事は御任せしちゃってるんで、
普通に生活するだけだから、悩む事も実はないんですけどね

どっかで、御任せしちゃダメって感覚が残ってるんでしょうねぇ

もう不思議体験の話は書かないようにしようと思っていたんですが、また書いちゃいました。

南無阿弥陀仏


PS

これ書いている時に、いっしょにSDにデータを移動させていました。
そしたら、SDカードライタがエラーを起こして、28G分データがきえてしまいました。
元データがあるのは半分くらいでしょうか…

ショックはあるんですが、いままでのような後悔の嵐には飲み込まれていません。
数年前なら、これだけで数日布団からでられなかったですから…
でも、やっぱりショックですよ
きになるものだけでも、なんとか再入手したいですね…

HDDにあるデジカメの写真だけはDVDに焼いておこう…僕が良くても家族が許してくれないw


2 件のコメント:

  1. 慧海さん

    解脱の耳が開けたのですか、
    念佛申させ給う毎日、つねにたえぬこころ、本当に難有い。
    後生に大事かかること、本当に難有い。

    いよいよお聖教のように・・・


    末燈鈔には、

    「彌陀の本願とまふすは 名號をとなへんものをは極樂へむかへんとちかはせたまひたるを ふかく信してとなふるか めてたきことにて候なり 信心ありとも名號をとなへさらんは 詮なくさふらふ また一向名號をとなふとも 信心あさくは往生しかたくさふらふ」と。


    御一代記聞書には、

    「心得たと思ふは心得ぬなり 心得ぬと思ふは心得たるなり 彌陀の御たすけあるへきことのたふとさよと思ふか 心得たるなり 少しも心得たると思ふことはあるましきことなりと仰せられ候ふ されば口伝鈔にいはく 「されば、この機のうへにたもつところの彌陀の佛智をつのらんよりほかは 凡夫いかでか往生の得分あるべきや」といへり」と。

    「一句一言を聴聞するとも たた得手に法を聞くなり たたよくきき 心中のとほりを同行にあひ談合すへきことなりと云々」と。


    彌陀の名號となへつゝ
     信心まことにうるひとは
     憶念の心つねにして
     佛恩報するおもひあり

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  2. しゃり様

    コメントありがとうございます。

    しゃり様のコメントは難しいのでどう受け取って良いのか
    毎回考えてしまうのですが、今回は・・・

    弥陀に御任せし、弥陀に感謝し、念仏してる生活が
    これからの日々の送り方でよいのだな

    というように頂きました。


    >解脱の耳が開けたのですか、

    と言われても、やっぱりよくわからないですね。
    信を得たとか、書いてはみましたが、違うと言われれば
    そうなんですねとしか言えないような感じです。
    でも、本当に、急に、驚くほど楽になりましたので
    救われたのだなとは感じてます。
    何を感じたかは記事に書いたとおりです。

    しゃり様に慧海の記事はどうみえるんでしょうかね?

    また気になる記事がありましたらお立ち寄りください。
    ありがとうございました。

    南無阿弥陀仏

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