2013年12月28日土曜日

慧海とタバコと救い


以前、坊守さんから
「苦しんでない人は救われないと思うか」
と聞かれたことがあります。

苦しんでいる人ばっかりが救われるって話が多くて、
苦しんでない人は救われないみたいじゃないか と
苦しんでない人だって全部救うんじゃないのか と

慧海の頭には、

救いってなんだと思いますか?
苦しんでないのに、助けて欲しいっておもうんですか?

そういう質問がでてきたんですが、
その時は口にすることができないまま、頭に残っていました。

この問いは、喫煙と禁煙ににてるのかな?なんて思いました。

喫煙してない人には禁煙の苦しみがわからない
喫煙してても、やめようと思わなければ禁煙の苦しみはわからない
タバコの衝動にふりまわされ、最後のひと箱、最後の一本と思いながら吸い続ける
無理やりやめても記憶に残って恋焦がれる

そういう人にとってタバコの衝動に呑まれないことは救いなんだと思います。

喫煙を努力とか願望とかに置き換えてみてもらえば佛教の話しでしょw

私はこの考えでいいんだと、自分にいいきかせている人は
そう思わせているいるものが何かとを見つめることはないでしょう。
そういう人が思う救いとは、私の考えを肯定してくれるものなのでしょう。

タバコを止めたくない人にとってはタバコをやめる必要がないと言ってくれて、
金額を下げてくれる事が喫煙者にとっての救いなのだと思います。

亭主師の言う、感情とお勘定の話しを思い出します…。


そんな事を考えた結果、慧海自身がタバコに恋焦がれながら
8年間禁煙を続けていることを再認識しました。

重度高血圧症で、禁煙を医師から強く指示され、いつかやめようと思っていた
事もあり、禁煙本のメソッドに従ってなんとか断煙できました。
生活リズムの中に喫煙がふくまれていたので、タバコを吸わないことは
生活リズムを変えることにほかなりません。
結局、現実ですわないだけで夢でなんどもタバコを吸い続けていました。
息苦しさを感じると、タバコを吸う夢をみると気づいたのは、半年ほど前です。

やっと慧海は過去を否定せずにいられるようになりました。
いろんな衝動と向き合うことができました。

そんな時に救いとタバコの喩えがでてきたので、
タバコを1本だけ吸えるかと自問してみました。
答えはNGです。
苦労してやめたのに、タバコがおいしかったらまた吸いたくなる と。
じゃ、酒はどうか…
酒はもう衝動で飲んではいないので、大丈夫だと感じました。

タバコへの執着が現実離れをしている事がわかりました。

クリスマスの日、忘年会のさなか、昔話をしている間にタバコが1本回ってきました。
ふと吸ってみようという気になり火をつけました。

8年ぶりのタバコはうまいなぁと口にしながらも、
こんなもんだったのか…と思いました。

最後に吸ったタバコよりも強いタバコでしたが、咳き込むこともなく肺に入り
ため息とおなじように吐き出されました。

高血圧でドクターストップかかってから8年ぶりだよ と話したら
まわりから急に吸うなと止められて、3口吸っただけで消してしまいました。

その後にも想像してたような衝動は、まったくありませんでした。

やっとコレで愛しかったタバコと別れられます。
もう、ただのタバコです。

本当の最後の一煙は、2014年のクリスマスに美人のサンタさんから頂いたモノでした。

新しい思い出と共に、ひとつ執着がなくなりましたw


世の中、なるようになっているものだと、畏れ入るばかりです。

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