2012年3月25日日曜日

梅と桜の慈悲

仏壇の灯明は佛の智恵を、花は慈悲を表現いているといいます

そんな花のなかで、梅と桜から感じる慈悲について主観たっぷりで書いてみます

まず、桜ですが、耐える季節が終わり、始動の季節を喜び、励ますかのような
「がんばったね。またがんばろうね」というような慈しみを、癒しを感じます

暗い道を抜けきったような、明るさがあり、それでいて無常を教えるかのような
散りっぷりは、悲しみを感じます

あざやかに歓喜をあたえ、あっさり執着することなく素にかえる
そんな慈悲を慧海は桜、特に染井吉野から感じます


次に梅です

バラ属サクラ科の植物ですので、まぁ桜の親戚な訳です

梅は桜のような万人を圧倒的に魅了させる癒しではなく、
静かに、暖かく癒しをあたえるような感じをうけます

寒く暗い冬が終わりつげ春が始まることを伝えるような、
暗闇に出口を教えるかのような、そんな慈しみを感じます

咲く季節も2月末頃で、関東地方じゃ雪が降り、寒さが厳しくなるのが2月です
そんな2月の寒いけど真っ青な空の下に満開にさく梅は、
「あと少しだ、大丈夫だ、もうちょっとがんばろうね」と励ますかのようです

また、梅は桜とちがって、あっさりとは散りません
1枚1枚と花びらがおち、しっかり萎れていきます
その枯れても枝に残る様が、生に執着する人のようで悲しみを感じます


慧海は、桜が、特に散り際の花吹雪が舞う桜が大好きです

華やかさと、寂しさを一緒にかんじながら、
盛衰、生死が一緒であり、大きな木としては何一つかけることのない
そのままの自然を感じ、慧海もかくありたいと思うのでした

桜に比べて地味な梅に慧海はそれほど関心をもっていませんでした
とはいっても、ここ数年、地元の梅園に行っては梅と青空の写真をとってました

ところが、今年は、梅がなかなか咲いてくれません
感覚的には春が来ないのです
暗闇の中で迷子です
困ったもんですw


そしてやっと咲いたというので、梅をみてきました
午前中は雨だったのですが、14時過ぎから晴れてきて15時過ぎには真っ青な空です

ああ、これなんだな

青空の下、満開に咲く梅をみて、慧海の中でやっと春が始まりました

桜吹雪のような分かりやすく物悲しい無常の説法ではなく、
暖かさのなかで無常と慈悲を伝える梅の説法をやっと聴くことができました


桜とちがって梅をみにくる人にご年配者が多いのは、静かな慈悲が
しみるからなのでしょうかね?



今日、地元の梅園で遅い梅に癒されたので書いてみましたw

南無阿弥陀仏

0 件のコメント:

コメントを投稿