2011年6月5日日曜日

誕生日・・・そして、門徒講座

6月3日は誕生日だった
30代最後の歳となった


休職しているとき、誕生日が休日だったので、
家族と、友人と誕生日サービスのあるレストランを梯子して食べまくった
自分の誕生日を子供のように楽しんだ

社会人になって、だんだん誕生日だからと言っても
普通の日とかわらずに過ごすようになったが
休職の時をきっかけに、最近は、誕生日を楽しむようにしている
死にたいと思っていたからこそ、その年の誕生日が大事だったのだろう…


今年は有給をとって、ジムに行って汗を流し、
家族で外食し、誕生日サービスも受けてきた
子供が大きくなると、なかなか使いにくいサービスだから今のうちw

3日間、好きなものをたべまくって、呑んで…
また太ったな・・・


で、今日は門徒講座
日本仏教ということだったが、日本仏教の話は殆どなかった
真宗教団のカレンダー法語の解説が脱線して1時間半ほど
色々と住職の話があった
メインターゲットは婦人会のお婆様方なので、笑いながらやんわりと だ
親鸞が、正信偈の最後に「唯可信斯高僧説」というのは、信じられない親鸞が
あったからの言葉であろう。雑行を捨てて本願に帰する というもの雑行が
すてられないからだろう。 と自説を説かれていた


今回いた男性は3人。そのうち2人は得度済みの人
6回目にもなると、段々顔見知り状態になってきたw

講座の後、得度された方と本の話から始まって、楽しく修行会話を…
その後、住職も交えてちょっと話をし始めたところ、再来週の
永代経法要の後、飲みに行こうと誘われた
人生の大先輩方だが、同じ門徒衆だ。喜んでお供させてもらう事にした

ゲストで法話してくれる方は、飲み会のお時間がとれなさそうだが、
その人は、信心獲得してる人なのかなぁ?

佛教を、真宗を勉強する人は多くいても、
佛教や真宗で救われようとしている人は殆どみない
・・・もっと人にあってみればいいのかねぇ~

2 件のコメント:

  1. >佛教や真宗で救われようとしている人は殆どみない

    *善導大師・般舟讃

    貪瞋火宅相焼苦 障重心頑未覚痛
    覚痛即断愚痴業 悔心慙愧生安楽

    真に痛みを感じる人は救いを求め安楽を得る、と。
    人はつらいことがあっても、ごまかすすべを身に付けているので、
    心底痛みをつらく思い、それをぬぐい去りたいと思うことが
    有り難いのかもしれません。

    救われようとしている人が殆どいないように見えるのは、
    善導大師はこんなふうにおっしゃっているようです。

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  2. サラ様
    コメントありがとうございます

    南無阿弥陀仏

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