2011年7月3日日曜日

門徒講座6

定例の門徒講座に今回も出席

今回は最澄の話
天台の話とか、比叡山の話とか千日回峰行のルートをみてきた
という話をしつつ、一切衆生悉有仏性 という事の話があった

あとは、最近住職がお気に入りの言葉
「雑行を捨てて本願に帰す」の逆「本願を捨てて雑行に帰す」
ということを千日回峰行の話をしつつ、雑行がしたいんだよ
と話していた

ふと家に帰る頃思った

親鸞は雑行をしてたから捨てるという選択肢があった
釈尊だって苦行をしてたから、苦行を捨てられた

僕らは捨てるべき雑行をしらず、頭で本願に帰すと考え
雑行は必要ない無駄なものと決めて考えているような気がする
慧海は雑行と言えるかわからないが、本願よりも雑行の類に
集中している・・・そもそも本願ということがわかっちゃいない

本願を捨てて雑行に帰す・・・ 東大で真宗の坊さんが言った言葉らしいが
彼や住職は捨てるような雑行を行っていたのだろうか?
佛に遇いたくて、雑行をして・・・無我になんてなれないし、煩悩も消えない
そんな現実から佛にお任せするしかない となるんじゃないのかなぁ~

これこれはこうである
だって、お経にこう書いてあるから

住職はよく、こういう言い方をする
どういう考えでこの言葉をつかうのかは知らないが
慧海は好きな表現ではない

お経にある言葉をただ読んでもわからない
苦悩等の経験があると、なんとなくわかった気になれる
そんな経験は内観やら瞑想やら空念仏やらの、
雑行がないとわからないのかもしれない

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