10月8日に慧海は以下のようにつぶやきました
「欲望の衝動が襲うが、ただその衝動を感じるだけにする。色んな煩悩が薄まったように思うが、煩悩はまだまだ元気らしい。南無阿弥陀仏」
最近、公序良俗に反するような欲望や、自分の価値を認めさせたい欲望が
頭をかきむしりたくなるような衝動と共に襲ってくる事がよくあります。
ひどいのは仕事でお酒を呑んだ後ですw
通常は、無気力で無感動であり、これといった欲求もなく
なにが楽しみで生きているのかと問われても
答えられない頭で日々を送っています。
でも、頭の中は色んな思いに引っ掻き回され続けてます。
ちょっとした事で煩悩の炎に焼かれてます。
焼かれても苦しくはないので、むしろその焼かれっぷりを心地よく感じてます。
慧海は下品で傲慢で臆病な煩悩の虜だ
って思いつつ、この煩悩が生きているということなんだなぁ って感じたりしてます。
そう感じて、上のようにつぶやいたのでした。
そんな思いがある中、10月9日の、全休先生のブログ自分の変わりようで
以下のようにかかれていました。
此岸を離れて彼岸へわたす渡し船、迷いの岸を離れて悟りの岸へと近づいていく。なにから離れていくかといえば、自分の心から離れていく。自分の心から離れれば離れるほど「罪悪深重煩悩熾盛の衆生」(歎異抄・第1章)と見えてくる。ああ、そうなのかと、またもや教えていただきました。
昔のように世の中に求めるものはないのに、なんで煩悩の衝動に襲われるんだろうと
不思議でした。
過去の慧海の姿が、いたるところに投影されている事を前回教えていただきましたが、
それと同じような何かかと思っていました。
そうではなく、彼岸に近づいていっているんですね。
如来の願船に乗るまでも色々ありましたが、願船に乗ってからも色々あるものですね。
酒を呑まずにいられなかった慧海が、今は酒をあまり呑みたいと思わなくなりました。
つきあいがなければ、家でも酒は呑みません。
アニメも暇つぶし程度の視聴になりました。
あまりにも平らな感情の日々に、また精神的に疲れてるのか?と疑った位です。
そういのも全部、お育てってことなんでしょうね。
帰命尽十方無碍光如来
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