2011年2月23日水曜日

皆様のご縁ってこった

自力万歳で自分というものを強く輝かしくすることしか考えていなかった慧海に
生死ということを考えさせる為かのように、次々と身内が他界していく

日本において、仏教という事と葬式ということは強く紐づいている
葬式を何度も経験したからといって仏門がひらくことは稀だとおもうが、
寺や僧侶の話を聞くこと、そして生死をいうものをちゃんとみて、
そして生老病死の苦を知ることは、日本において仏門への一つの道なのかも・・・
坊さんの言葉を聞く事…日本においてはやはり葬式や法事がないと難しい…

慧海が帰敬するに至った発端を考えると、祖父の法事の際に住職の言った
「いかに死ぬかを学ぶ事は、いかに生きるかを学ぶこと」というような
事をいったのが因縁だったように思っている

帰敬やら復職やらから何年がたちながら、最後の祖母が他界して3年…
日々の生活に呑まれて、生死をわすれる…餓鬼畜生の生活を送りだした慧海に、
生老病死を忘れるなと、義父までも慧海に突っ込みをいれてきた
そんな風に思えてならないタイミングだ
ご縁ってことなんだろうな・・・ ありがたいことだ


自分の思いというものを見つめる事のなかった母が、祖母が他界し、
1年後の法事の際に、始めてそれっぽい事を口にして驚いた記憶がある

ちなみに、妻は息子の持病に悩み、神社や密教のお祓い等し
神棚に祈り日々を送っていたら、自分の勝手な思いに気づいたといっていた


義母も自分の思いをみつめる事のない方だが、義父の他界によって
仏壇のある生活が始まる
義母は仏前で何をかんじるのだろうか…

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