2013年9月23日月曜日

7年目の慧海


帰敬して、丸6年がたちました。

色々とお育ていただいて、なんとか日々を過ごせるようになりました。

思い通りにならないということで、苦悩することは減りました。
自分をよく見せようとする事や、自分を抑制し続ける事も減りました。
薬や医療に頼る気持ちも減りました。

帰敬しようと思った頃に抱えていた苦しさは、ほぼ解消できてると思います。


でも、毎日がとても幸せになったという事はないですね。

病む前は、色々と頑張って、自己主張して、振り回されて、イライラして
疲れて、苦しんで・・・それでも楽しいと感じてました。

楽しかった時期が過ぎると、毎日無気力に、つまらない、なんかないかと
新しい快楽をさがして、すごしていました。

心を満足させる生き方をしていたんですね。
そんなんだから、落ちた時に病んだのでしょうね。


今は、軽く苦しい日々です。

少し前まで、外界からの情報を出来る限り遮断することで、
わずらわしさから遠ざかってました。
というか、外を気にする余裕もなかく、
ただ自分が苦しまないようにするだけで一杯でした。

今は、外にも少し意識をむけて人とのかかわりの中で社会生活をしようとしてます。
結果、外からの刺激が妄想をよび、頭の中がとてもうるさく、苦しくなります。

外を遮断して、何かわかった気になるのはニセモノだといいますが、ホントそうですねw

釈尊が山にこもり続けず、人里近くにいたというのもそういうことかと思います。

色んなかかわりの中でおこる様々な出来事から、逃げずに受け入れていくのが
真宗門徒の行き方だという話しがわかる気がします。


軽く苦しい日々ですが、実は、苦しんでいない日々でもあります。

苦しみたくて、苦しんでいる慧海がいて、そいつが苦しんでいるだけです。

なので、意識がかわるとまったく苦しくない。

そうは言っても、引きこもっているのとちがって、面倒だし、鬱陶しいし、
やっぱり思い通りにならないってことで、苦しい。
体重が大幅に増えて、肉体的にも苦しいw
色々と頭が鬱陶しく、面倒で、憂鬱という感じの苦しさ。

そんな苦しみたい自分にどっぷりつかって苦しくなってしまった時ほど、念仏を思い出します。
念仏を口にした瞬間、ソコからでてきますのでもう苦しみもなくなってます。

念仏しながら苦しい思考はできませんからねぇw

たぶん、生きている間は苦しみから解放される事はないのだろうと感じてます。
だからこそ、念仏を称えさせていただける身になった事が、有難いことだと思います。


慧海がどうにかしよう悩まずとも、なるようになっていくのでしょう。

慧海が何かかんがえなきゃいけないご縁があれば、その時考えます。


すべては、本願のお育てのままに。

そんな感じで7年目をすごすんじゃないかなぁw


帰命尽十方無碍光如来

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