2010年11月7日日曜日

善悪

どうせこの世はなるようにしかなってない
慧海がどうこうしたから、どうにかなったりしてはいない
じゃ、どうこうしても一緒だから何もしない って事じゃない

どうにもならんところで、なんかして、
予想のとおりにいったらおもしろいじゃないかさ

ただそれだけの話さね

どっちに転がろうがかまわぬ話なのだよ
こっちがいいとか、こっちがわるいとかが無いわけじゃないけど
じゃ、どっち?となれば、それもどうでもよかったりする

善でもなければ悪でもない

落ち着いて見てればわかることじゃんかさ

で、なにもしないでみてもいられないから、どっちかえらばにゃならん
平社員は自分の手足しか動かせるものないからさ

じゃ、面白そうだったり、楽そうだったりするのをやりゃいい
見得とか欲とかでてきたりもするけど、そいつらは相手にしないんよ

面白いとか楽とかって事になると、自分の経験だったり考え方だったりするんで、一概にコレとは決められないんだけど、他人には難しいものが、自分には楽だったりする事も多々あるわけだわさ
本人楽でも、他人からみりゃ大変な仕事にみえるってこと

まぁ、そんな感じでのんびり楽しくすごせばいいじゃん

でもね
意識しわすれると、この体は勝手に動いてるから注意せんとね

チャリの鍵や財布をどこにしまったかわからない
飲み会の2次会でお金をいくらはらったか…そもそもはらったのかすらわからない
エアコンとめたか?給湯器とめたか?家の鍵しめたか?

これらが常にわかってりゃ、誰に何をいってるかとか、体がどういう反応してるかとか、もちろん、自分がなに考えてるかとかが常にわかってるんじゃないのかねぇ?

正解はしらんが、コレが今に気づいている ってことなんじゃないのかなぁ?

これがわかってるだけで、慧海のような凡夫は、日々が楽さ

幸不幸の起伏がきえて、1点分苦しくて 1点分幸せ みたいな感じ
頭の中が騒がしくて、日々刺激にあふれているから、退屈でもないしね


慧海には何一つできやしない
それでいて、なんとかなって、慧海がしたことになる

それもコレも、慧海の預かりしらぬこと

ただ慧海はあそんでいただけ

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