2010年12月12日日曜日

慧海は自己中w

慧海にみえる世界は全て慧海によって歪められているという認識をしている

日々の出来事が気に入ろうが、気にいらなかろうが、それは全て慧海のせい
どこかの誰かを恨むのは筋違いであり、どこかの誰かがなんとかしてくれる
と期待するのもちがうと思っている

だからと言って、慧海の理想どおりに物事はすすまないのだが、
理想どおりにならない要因の中に慧海の思考があるのだと思っている


全ては慧海の世界の問題だったのだ


それに気づいてわかったことは、逃げられない ということ

慧海はいままで逃げて生きてきた

ネガティブな逃げはもちろん、ポジティブにも逃げの精神だった

後輩より仕事のできる先輩でなければプライドが守れない
だから勉強もしたし人より多く考えるようにもした
さらに、人のやらない分野を選んで仕事をした
だれもやらない事を早めに始めれば、その分野じゃ先行逃切りができる

もちろん、嫌なことから逃げてのサボりとかは子供の頃からだ

逃げてごまかして…

そんな自分をしっているからこそ目をそむけ、プライドばかり高くなる
真剣にやりきった事がないから、自信というものがない
不安を隠すかのように自尊心ばかり育つ


いまでもそんな心がなくなったりはしていないが、
それが慧海が作ってきた慧海の姿なんだから、そこから逃げる事はできない
それを否定して逃げる事なんてできないのだ

慧海の歪んだ自動思考は気づきさえすれば一時停止ができる

また逃げようとしている
またごまかそうとしている
また大きくみせようとしている
また周りのセイにしようとしている

そんな思いから逃げないし振り回されもしない

全部が全部、慧海の世界での出来事

慧海の外に世界はない
慧海の中にある世界は慧海が作っている

どうやったってこの世界からは逃げられないし逃げちゃいけない
だから慧海は外に佛を妄想することも拒否する
外にある佛に頼れば慧海はまた逃げ道をそこに作るだろう

自分の外を妄想し、外に意識を向ける事は妄想に逃げ込むことだ
他人も会社も世界情勢も全部外のこと
慧海の生活基盤には関係あるかもしれないが、慧海の精神活動には関係ない


同様に、未来も過去も妄想だ

妄想をするから楽しくなったり苦しくなったりする


とはいっても、妄想はとまってくれない
頭がかってに妄想するんだから…

だから妄想している自分の頭をみて、妄想によって心が動く姿をみていればいい

慧海の過去表現ではマゾな受身姿勢で、なるようになっていく姿を見続けるだけ
妄想に逃げず、今を見て、あるがままを受け入れていくしかないと思うとき
ああ、宿業なんだな と感じたりもす
それは、外に刺激を求めて生活していた頃よりも、刺激だらけの日々…

慧海は慧海のまま、どこまでも慧海と共に…


真理とやらも慧海の世界を見続けることで見えてくるんだろう
と慧海は思っている

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