2011年5月15日日曜日

無責任の覚悟

ふと思った

ぜ~んぶ、どうでもいいや

どうする事もできやしないんだよ
責任なんてとれないし、努力だってできやしない

じゃ、無責任になりきって阿弥陀様とやらにお任せでいいじゃん

無責任にぜ~んぶほっぽりだして、成るに任せりゃいいじゃん
それでどんな結果になろうと、捨てたんだからしょうがないよ

損するかもしれない。
怒られるかもしれない。
侮蔑されるかもしれない。

どれも自分の思いの問題なんじゃね?
なら全部すてちゃって、プライドも捨てちゃってりゃ
どうなったってかまわないいんじゃね?

そっちの方が楽に生きられるかもしれないな

亭主師の記事に「右の道か、左の道か…
どっちを選ぶかに悩まず、その思いから離れる」
というのがあったが、それができない凡夫以下は
普通に悩んで、右でも左でもその時いいと思ったのを選べばいいよ
結果が悪けりゃ、失敗したとか思うだろうけど、しょうがないじゃん

苦しみから離れる訓練ができないんだからさ


と、頭で思っていても、損したくないし、怒られたくない
全休先生も書いているが、社会生活は自己の責任を問われるのが当然なのだ
犯罪を犯せば警察のお世話になるわけだし、仕事ミスれば雇用と賃金に影響する

だから納得できないし、実践もできない
結局、どうどうめぐり…

感情とお勘定は別
感情は無責任にしても、お勘定には責任をもってあたらねばならない
慧海の世界の中の問題か外の問題か、その境がちゃんと見えていれば
いいのかねぇ…

全部に責任をもって行動しよう ってのが今までなら
逆に全部無責任で行動しつつ、境を知るしかないのかねぇ?

もう一度最初から色々とやってみようと思ったけど、できやしなかった
なら全部すてちゃうほうがまだ出来そうなきがする
救いがあるかどうかなんてしらんよ
でもこの議題で悩むのに疲れた・飽きた

既にキチガイなんだから、また病になるかもしれない
また会社いけなくなるかもしれない
今度は給与半額もでないだろう
そしたら妻子も家もなくなるかもしれない
しょうがないさ
キチガイだから

病気に勝とうとすることもやめよう
最低限の社会良俗を守って、会社勤めしてお給料頂いて…

やれることをやろう
やりたいと思った事をやろう
やりたくなくてもとりあえずやろう

死ぬまで生きていよう
死んだ気分で生きていよう
努力とかしないで流されて生きていよう


それでいいじゃん

最低限やることやってりゃ、普通に生きていけるだろ

この世を捨ててりゃ、地震だろうが原発汚染だろうがどうでもいいや

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