2011年1月8日土曜日

遭いがたくして…遭えません

全休先生のブログ 2011/01/05 「仏さまがわたしを発見する」に
しかし、私は、任せることに異常な不安を感じ、それは、ほとんど不可能に思えた。
いや、なにより、その眼は私の心の中の“つくりもの”にすぎないのではないか、という疑心が離れなかった。
という言葉があった

全休先生にもこういう時代があったのだなぁ なんて思えるありがたい一文だ
「会員からのお便り」は全休先生が僕の歳の頃に書かれたものであり、宗教体験まもない頃の先生なので、とても勉強になる。ありがたいことだ


実際、慧海においては、疑心どころじゃなく つくりものだ、錯覚だ 
と思い込んでいるところがある
まさに、「任せるなんて不可能だ」というところに留まっている感じだ


残念な事に、自分の愚かさばかり見えてはくるものの
慈悲をむけられている存在だと感じることはないし、
彼岸に渡りきる事もできない

来月の法語カレンダーには
「遭いがたくして、いま遭うことを得たり」とあるが、
慧海はあの方にお会いすることができないし、あちらに逝くこともできない

慧海に出来る事は、愚者を極めていくしかないだろうと思う

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