しかし、私は、任せることに異常な不安を感じ、それは、ほとんど不可能に思えた。という言葉があった
いや、なにより、その眼は私の心の中の“つくりもの”にすぎないのではないか、という疑心が離れなかった。
全休先生にもこういう時代があったのだなぁ なんて思えるありがたい一文だ
「会員からのお便り」は全休先生が僕の歳の頃に書かれたものであり、宗教体験まもない頃の先生なので、とても勉強になる。ありがたいことだ
実際、慧海においては、疑心どころじゃなく つくりものだ、錯覚だ
と思い込んでいるところがある
まさに、「任せるなんて不可能だ」というところに留まっている感じだ
残念な事に、自分の愚かさばかり見えてはくるものの
慈悲をむけられている存在だと感じることはないし、
彼岸に渡りきる事もできない
来月の法語カレンダーには
「遭いがたくして、いま遭うことを得たり」とあるが、
慧海はあの方にお会いすることができないし、あちらに逝くこともできない
慧海に出来る事は、愚者を極めていくしかないだろうと思う
0 件のコメント:
コメントを投稿