2011年1月24日月曜日

おかげさまと人のせい

慧海は子供の頃から、すぐ人のセイ、モノのセイにしていた

ふと考えたら、これが「縁」ということの一端なんじゃなかろうか と思う
自分だけで今があるわけではない事のわかりやすい一端
誰か、何かとのかかわりの中で、今の状態がある

でも、こに自己弁護、自己正当化があると、人のセイは逃げになる
今は人のセイにして、自分を正当化する訳ではないのが、
未だに人やもののセイにした言動がぬけない

慧海が太ったのはメシがうまいセイ 
苦手な日本酒を呑むようになったのは、飲み仲間のM氏のセイw

という感じだ

そこに感謝があれば内容としては「おかげさま」ということになるが、
自尊心が高く、ひねくれものの慧海は素直に謝辞を口にできていない
あいつが悪いんだ から、あのひとのおかげで にかわりつつも
慧海は未だに、人のセイ、モノのセイ にしている

どこまでも、心が幼いのだろうが
そこにご縁というものを実感として感じるようになったのは
ありがたい事だと思う

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