2010年10月12日火曜日

失敗は大事

慧海は眼ができてない未熟者なので、気が付くとよからぬことになったりします
そして、失敗をしてしまいます

そりゃ、失敗なんてしたくないですよ
でも、そんな失敗をしたときだけは、しっかり自分の心と向き合えたりします
うまくいっている時は過信しているので、振り返ったりしないものですものね

自分の心をみていると、慧海は慢の煩悩の強さを感じます
無駄に高いプライドってヤツです
そんな慢の煩悩がいつまでも元気でいられると、他人の言葉を素直に聞くことすら
できなくなるし、他人を認めることもできなくなります
多分、この煩悩の裏にある慧海自身の認められたいという欲求があるのでしょう

先日、以前の上司の上司と話をしていた際に、
「お前は細かく指示をされて仕事をするのが嫌いで、苦手だが、
 お前をうまく使ってくれる上司の下で好き勝手やれる時に成果をだす
 そして、お前は周りにもっと大きなことができることを認めてもらいたがっている」
というようなことを指摘された事がありました

まさにそうなのですよ
部長以上の役職者だった方ですが、こんな平社員のことをよく理解してくれてるなぁと
今更ながら、もっと色々とご指導いただくんだった と思いました

その方から、会社で泣き研と呼ばれる研修に出られた事があるという話を
聞いたことがありました

僕ら人間は生きているうちに色々なことを学んで、素直に物事をみることができなく
なってきます
子供の頃のような素直な心で物事をみることにより、社会人としてステップアップ
しましょう というような研修なんですが、自分の子供の頃の記憶をふりかえったり、
親、兄弟とのかかわり方を振り返ったり、自分でみる自分や自分は他人をどうみるか
自分をみる他人は自分をどうみているか という事を作文したりと、
子供の頃から今までの自分をおさらいして、自分で作り上げた自分像を破壊するような
そんな感じの研修で、泣いてしまう人が多いので泣き研と呼ばれているそうです

この内容を聞いた時におもったのは、内観道場をセミナーっぽくしたものというイメージが
わきました
内観道場もこの研修も受けたわけじゃないので確かなことはいえませんが、
自分で自分の過去を見つめ直すという事は外から自分をみるのと近いのかもしれません
「今」の自分を「今」の自分が見つめるのは、「今」の自分がどれかがわからなくなります
みているのが自分か、考え事をしているのが自分か…
そしてすぐ脱線してしまい、自分を見失います
どうしたらよいか… それは慧海には答えられない話なので口を閉じるとしましょう

慧海は、なぜ心のソコから「ごめんなさい」がちゃんと言えないのか…
そのあたりを子供の頃の記憶をたどりながら、慧海の心の声をきいてみたいと思います

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