2010年10月19日火曜日

やめやめ!

4年目という事、新しいブログという事で、語調をデスマス調に変えて記事をかいてきた
慧海にとって、デスマス調は社会生活を送るときに使う言葉だ
先輩はもちろん、後輩でもデスマス調であったり、フレンドリーな言葉を使っている
慧海にとって、そこには一線があり、そしてデスマス調は外に向けた言葉なのだ

今回、ブログをデスマス調で書いていることで、自然と”発信”的な言葉となっている
気分的にも、スタンス的にも”発信”なのだ
”発信”しようとすれば、いい事を書こうと思うというのもあるが、
内から外に向かう思考の流れになっていた。
心の観察をしようっていう慧海のブログは基本、表面から奥底へという外から
内への思考の流れになっていたはずだ

その際にしようする言葉は慧海にとってはデスマス調であってはならんのだ
デスマス調は仮面のついた言葉であり、自己を監視しながら世間で過ごす言葉だ
心からでてくる言葉、素で考える言葉は世間体を気にしたり、
相手にどう受け取られるかをを気にした言葉ではないのだ
仕事の際もそうだが、考えるときはどこまでも、自己との対話であり
問いの連続でしかない
そこに発信という要素はない

ここ数回の観察記事は、思考が全然内側にはいってこなかった
感覚的には苦しさのない、迷いや疑問をそこに記している
だから、記事を書きながらも気づきがない
ある意味、アノ記事は全休先生に失礼だ と感じた

全休先生のブログは今は相互リンクを受け付けていないとのことだ
そんな中で、最初から(リニューアルしたから日付が違うが)リンクをして頂けて
いるのに、なんと失礼なことだろう…

認められたい そういう欲求が強くある
これは、慧海の甘えである

昔の上司のおかげで会社においては、その欲求はだいぶ薄まった
ブログにおいては、まだまだその心が残っていた
仏様が私をどうみるかではなく、全休先生は私をどうみるか という事が気になる
ということだ

苦しい時は必死だった
今は苦しさが気になるほどでもないのので、日々の観察が軽い
全休先生のところにリンクが張られた「自営業」さんの記事を読んだら
そこには慧海と同じように道を求める人の姿があった

何をしているんだ俺は…

知ったかぶって、きれいな言葉を並べる必要なんてない
慈悲の無い慧海がやることじゃない
急ぎ仏になること これ以外になにがあるというのか…

まとめようと思っていた うつ の話とかは、要望があった時に書くとしよう

つ~こって

まだまだ愚痴を記録しつづけるとしましょうかね~

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