2010年10月16日土曜日

逃げられない目

慧海が見上げる空、慧海が見つめる先に、想像の目をみる事があります
慧海をみるその目は慧海自身の心の奥底までもみる目です

本尊を見つめていた後、就寝した際にまぶたの裏に本尊の絵が残ってました
それをそのままみているうちに、本尊を見ている慧海と慧海をみている本尊が入れ替わったような感覚になりました。幽体離脱ってこういう感じ?っていうような
慧海がみる本尊の視線でみる慧海…それを見る慧海…

ああ、こりゃ弥陀仏から逃げられないはずだわ…

どっか別のところに弥陀仏がいて慧海をみてるんじゃなく、
今みてるこの目は慧海の目だもの…
自分からどう頑張ったって逃げたり隠れたりできないものなぁ…
その時にそう感じて、軽く脱力感と笑いがあったのを覚えています
翌日会社で忙しくするまでは、目の先にず~っと目がありました

これは過去記事にも書いた内容です。イツのことだったかは覚えてませんがw

なにやらやっていれば、ちょっと不思議な感覚体験なんて、よくある事ですよ
仏の眼とはこれか? これが悟りなんか? なんて思ったりもしましたが、思考の中から出てもいないし、宇宙と一体にもならないし、どっか別のところにも行かないし、なにも特別なことはないし、さらに、いつのまにか苦しみの渦中に入ってたりもしたので、やっぱりタダの不思議体験だった と思います

残念なことです

でも、その目がある間は、心が穏やかな感じがしますよ
逃げられないから、いい子にしている みたいなものかもしれませんし、もがきようもないので、脱力しますし、自分で自分を認めて、降参するしかないわけですし…そんな目です

大抵は、意識しないとでてこない目ですが、先日、会社の天井を見上げた瞬間に突然目を感じてドキっとしました。この目からは逃げられないかったんだっけ… ふと思い出して、なんとなくニヤっとしてしまった慧海でした。(それで思い出してこんな記事かいてます)
ここ最近、ちょくちょくその目にみられては、降参させられてますw

先日、博物館で阿弥陀像をみたら、八方にらみといって、常にこっちをみているようなつくりをしていました。弥陀仏は常に私をみているぞ という表現がここにされているのだな と感じて関心しましたw
その目をみながら懺悔してたら、たぶん慧海と同じ意識感覚になるんじゃないですかね?
…実際に同じような体験をした人(たしか真宗門徒)の記事を読んだ事がありますw


慧海の体験していることは、こんな感じの主観的で自力的な感じのものばかりですが、近いうちに、不思議体験自慢の記事を再度かいて、不思議体験でどんな事に気づいたのかを書いてみたいですね

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