2010年10月13日水曜日

知識があってもダメなんだ

慧海はブッディストではあるが、いまだ仏がなんたるかを知りません
信心悟りの智慧がこの身には宿っていないからでしょう

それでも楽になろうと、色々と知識ばかり入れてはわかった気になる生活をしています
すこしばかりの自己観察と、あれやこれやと知恵をいれる
そうすると、理屈だけが学べるんですよ
だって、一番大事な事は言葉になんかできないんですからw

最近では、知っていることだけを色々な言葉で何度も確認する
そんなことしかできてないんです
困りました…

そうやって、大事なところを理解できていないまま、
わかった人の言葉をみて、そういうものかと思うようになって虚しくするのは、
心理学を勉強して心を強くしようとしているのとかわらないのでしょう

そっち方面でなら、無駄に理屈をこねることだけができるようになってしまいました

心理学本やらビジネス書を読んで、自分の考えを理想的な姿にしていこうと
する事は、努力すれば誰でもできることのように思えます
実際にやってみて成功したという人もいるでしょう
でも、それは多分、本の中から違う気づきがあったからだと思います
物事の捉え方を自分の意思で変えるのは難しいんですよ
でも、物事に接する心の立ち居地みたいなものは、意外と簡単にかえられます
本にあるノウハウを学ぶのではなく、そこにある別のものが気づけば
心の置き所が変わります
気づいた分だけは楽になります

それは、仏書でも近いんじゃないですかね?

こうすればよい、ああすればよい そんな事ばかり学び、そんな事ばかり
考えていても、分別を超えたところは理解できないのだと、やはり知識では
わかっているのですけどね… この場合、知識は毒にしかならない とかききます

知識の先ではなく、努力の先でもない、何かを超えたところにある感覚 

あきらめて、苦悩の世界で過ごすしかできないのだろう なんて思いつつ
やはり苦悩の前ではあきらめられなかったりするのですよ

ただただ迷う そんな慧海です

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